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山形に来て1年目の農業研修期間中、休日出勤の貯金で連休を作り、秋田・青森を攻めました。北海道に行こうともしたのですが、憧れを捨てて山形で農業をすると決めたのに「今さら」という思いがあり、やめました。まぁ、本州最北端の大間まで行って、海峡越しに北海道を見たいとは思っていたのですが・・・
今回の行程は以下の通りです。山形に来て買った、ダイハツ・ムーブ(H8年式の中古)で、例によって車中泊しながら回りました。
●研修中の連休で北東北編
8月19日 田沢湖・八幡平・十和田湖・奥入瀬渓流・八甲田山
8月20日 恐山・大間崎・下北からフェリーで津軽へ・竜飛崎
8月21日 白神山地

2002年夏 北東北 主な撮影ポイント紹介図
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●北東北編詳細
8月18日の夜に飯豊町を出発し、最初の目的地、田沢湖畔まで走行します。朝まで湖畔の駐車場で車中泊です。
<8月19日:田沢湖・八幡平・十和田湖・奥入瀬渓流・八甲田山>
深さが日本一で透明度は摩周湖に次いで2番らしい「田沢湖」です。他でも書きましたが、湖の類はあんまり好きではないのですが、北上する道沿いだったので、「せっかくだから」ついでの寄り道です。
1枚目は、近くにあった展望台から。
2枚目と3枚目は湖畔で撮影。金色の像は、永遠の美を願って龍になったという「辰子」さん。田沢湖の主だそうです。
続いて、高いところということで「八幡平」へ向かいます。秋田と岩手の県境にそびえる山です。
1枚目は頂上までの道沿いから鳥瞰した「八幡沼」。
2枚目は記念に撮影。
3枚目は頂上の展望台から。天気が悪く、蔵王ほどの景観は望めなかったので、近くに見える原生林と湿原を写しました。
先の写真の通り、八幡平には高層湿原があります。木道が用意されていて、30分くらいでぐるっと回れます。小さい湿原ですが、こういう何もない所は好きです。
以下、八幡平の高層湿原です。4枚目は、沼に植物が生えている様子です。こういった植物が枯れて堆積し、長い年月をかけて徐々に陸地化していく初期段階なのでしょう。
八幡平を後にし、奥入瀬渓流へ走ります。その手前には「十和田湖」があるので、せっかくなので立ち寄ります。
1枚目は、国道103号から湖畔に下りる峠「発荷峠」から眺望した十和田湖。
2枚目は、湖に浮かぶ恵比寿大黒島。十和田湖はカルデラ湖だそうで、この島は溶岩が固まったものだそうです。
3枚目は湖畔の岩壁。先の島にしてもそうですが、こんな岩場にも根を張る樹木があるわけで、スゲー生命力だと思います。
して、奥入瀬渓流です。これもメジャーですが、岩場が続く激流をお目にかかることができるということで、期待してました。川沿いに遊歩道がありますが、不安定な岩場に登り、目の前で水が砕け散る様子を見たいなら、それなりの覚悟が必要と思います。
奥入瀬渓流は、今回の北東北の中で一番のお気に入りです。ただ、メジャー過ぎるために夏休みの旅行客らしき人がかなり目立ちました。平日だから観光客も少ないだろうと思っていただけに、それだけは残念でした。
以下4枚とも奥入瀬です。期待通りの流れを見せてくれました。
もうちょっと下ると、こんな静かな一面も見せてくれます。これもこれで、なかなかキレイです。
当初の計画では、このまま恐山まで走って車中泊の予定でしたが、時間に余裕ができたので、「八甲田山」へ行ってみることにしました。明治時代だったか、ロシアでの戦いを想定して、軍隊が「雪中行軍」訓練中に遭難したとかいう場所ですね。
八甲田にはロープウェイがあるので、それで登ろうとします。しかし、時間的に最終便だそうで、頂上に行っても10分くらいしか時間はとれないとのこと。それでも、往復1800円を払って登るのは、やっぱバカだからでしょう。そして頂上まで行っても、今度は雲に隠れて何も見えない・・・仕方がないので、雲の中で茫然と立ち尽くし、「無」の世界を味わってきました。
1枚目は、ロープウェイまでの道沿いにある「地獄沼」。火山熱で温泉みたいになってるようです。触ると、風呂にするにはちょうどいい温度でした。
2枚目はかろうじて見えた山裾。
3枚目は頂上の記念。
この日はそのまま青森市街へ抜け、夜には下北半島を陸奥湾沿いに北上、恐山の駐車場で車中泊します。ここでも雲だか霧だかに包まれ、恐山という場所に対するイメージとあいまって、「それはそれで」いい感じで眠れました。
<8月20日:恐山・大間崎・下北からフェリーで津軽へ・竜飛崎>
京都の比叡山、和歌山の高野山とあわせ、日本三大霊場とされる「恐山」。他の2つは行ったことがないですが、近畿地方にあるということは歴史的に政治の中心に近かったわけです。一方で恐山だけは、遠く離れた「陸奥」にあるわけで、その事実だけでも「俗世を離れた」感じを受けます。
恐山は「宇曽利山」とも言われ、かつてアイヌに興味があった俺が調べたところ、ウサツオロヌプリ=灰の降る山という意味とか、ウッショロ=入り江・湾という意味とかが語源らしいです。
で、「灰の降る」というにふさわしく、火山の火口を背にして建っている寺です。比叡山や高野山とは違って、まさに「生と死の境界」に位置する寺なわけです。奥入瀬の他、恐山もオススメです。
1枚目と2枚目のように、ぱっと見は普通の寺ですが、
3枚目と4枚目のように、奥の院から道をたどるとすぐに火山性の岩場が広がります。
その岩場を進むと、いろんな仏像が点々とあり、随所に「賽の河原」のように石が積み上げられています。そして足元を見ると、所々で「コポコポ」と温水が湧き出ています。ほんと、すごい場所にある寺だと思います。
そんな道を進むと、カルデラ湖「宇曽利山湖」が広がります。天気が悪かったのですが、今回に限っては、その方が「雰囲気」が出てよかったと思います。
1枚目は湧き出る温水。見づらいですが、触ると結構熱かったです。
残りは湖の様子。雲がかかっていい感じです。湖面はけっこうキレイな色で、静かで波の立たない静かな水面が、「霊場」の雰囲気をかもし出します。湖の中から、「何か出てきそう」な気配すら感じます。
恐山を後にし、今回の本命(?)たる目的地、本州最北端「大間崎」に向かいます。ところが、天気は回復せず、残念ながら北海道は見えませんでした。ちなみに、大間から函館までは、フェリーで1時間半くらいだそうです。
北海道は見えないので、あきらめて下北半島を南下します。下北半島を「斧」に例えるなら、その「刃」に沿って走る国道338号を行きます。この道沿いにある「仏ヶ浦」という断崖を見たかったのですが、工事のために県道へ迂回することになり、行けませんでした。
「刃」の南端、脇野沢からはフェリーに乗り、1時間ほどかけて津軽半島の蟹田へ渡ります。
1枚目は大間崎。記念に。
2枚目、右側は下北半島で、左側にある小さな島は、脇野沢の沖にある「鯛島」です。いわく付きです。昔々、征夷大将軍の坂上田村麻呂が下北に来た時、脇野沢の娘が彼の子供を身ごもったが、産んだ後に彼女は亡くなったそうな。で、人々が哀れんで、より都に近いこの鯛島(南の沖合い)に葬ったらしいです。
3枚目は、フェリー上から見る下北半島の「刃」です。
1時間程で、津軽半島の蟹田に着きます。ここから再び北上し、「竜飛崎」を目指します。
天気は回復しませんでしたが、ここからは雲の下に、北海道の渡島半島がどうにか確認できました。近くには、青函トンネルの本州側起点もあります。
1枚目は、竜飛崎展望台から津軽海峡を眺めたもの。かすかに渡島半島が見えます。
2枚目は、最大望遠にした渡島半島。海の向こうに確認できます。距離にして約20kmくらいだそうです。
3枚目は、津軽半島東側。海沿いや岬近くは例によって風が強く、風力発電の風車が写っています。
4枚目は、半島の西側。こちらを南下していきます。
この日は、周囲にリンゴ園をかかえる「岩木山」のふもとまで走り、休憩用駐車スペースで車中泊します。
<8月21日:白神山地>
この日、本当は有料登山道路を朝一で走り、岩木山に登るつもりでした。しかし、何時だったか忘れましたが、料金所が開く時間まで待っていられず(翌日は仕事に戻る必要がある)、天気も悪いだろうと思って岩木山に登るのはやめました。
最後の予定地、たしか世界遺産にもなっている「白神山地」へ向かいます。散策路があるというので、そこを歩こうと思います。青森県道28号沿いから、「暗門の滝」というところまで歩けます。
ここはツアー客が少なくていいのですが、かなり狭い道で川を渡るにも橋ではなく岩を足場にするしかないので、ある程度山歩きの格好をしたほうが無難です。時間は、往復で1時間ちょっとです。奥入瀬よりも、より「野生」な源流部です。ここもオススメです。
以下、散策路から撮影した写真です。3枚目が暗門の滝です。この先に道はない(あるけど安全のために通行禁止になってる)のですが、その脇をむりやり登って撮影したものが4枚目です。
最後に、この「青森県道28号」についてコメント。
この道は、弘前から日本海側へまっすぐ西へ行ける唯一のルートですが、暗門の滝前後から砂利道でしかも登坂路になります。以後、日本海側に抜けるまでの約50km近く、一部アスファルトになりますが、ほとんど砂利道です。しかも山道なので、スタンドもありません。北海道でも、こんなに続く砂利道はなかったと思います。(2002年現在)
なので、タイヤの減り具合がヤバイ場合や、ガソリンがギリギリという場合には、避けた方が良い道です。それさえ気にしなければ、散策路も含めて個人的にはかなりオススメの道です。
県道28号から無事に国道まで出られたので、あとは夜間に日本海側をひたすら南下して、山形まで戻りました。
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以上が、2002年夏の北東北放浪紀でした。
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