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2008年1月上旬の作業日誌
2008年1月10日
 曇
 松下電器が社名変更してパナソニックになるらしい。グローバル化への対応?別に「愛国心」から「日本語を大切に!」とか思って言うわけじゃないが、グローバル化ってのは、社名をカタカナに変えないと対応できないことなのか?固有名詞なんだし、別にそのまま「Matsushita」でもいいのでは?と、素朴な疑問。
 んで、このサイトも変わらねばイカンらしい。3月末で、現在のサービスを打ち切るとのメールが来た。そのまま使うこともできるみたいだが、せっかくなんでドメイン取得&引越しの検討を始めた。

2008年1月9日  食塩って、どんな味?
 雨みぞれ
 「ばけがく」が、さらに分からなくなってきた。あんまりにも分からんので、毒劇物テキストは一旦おいといて、高校化学自体の再履修を始めた。資格試験用のテキストってのは「学校の教科書」ではないから、解説も最低限しかない。基礎がある人ならこれでもOKなんだろうが、「基礎が全くない」人にはキビシイ・・・そして壁にぶちあたる。
 塩化ナトリウムNaCl、つまり食塩。これを水に溶かすと、「Na+」のナトリウムイオンと、「Cl-」の塩化物イオンに分かれるらしい。俺にしてみりゃ、もうこれだけで「へぇ〜」なわけだが、高校では間違いなく習っている(だって教科書に線引いてある・・・)。
 まぁとにかく、食塩水ってのは、
 @食塩(NaCl)が、分子レベルとかの微小な粒になって、水中を漂っている
 わけじゃなく、
 Aナトリウムイオンと塩化物イオンが、水中を漂っている
 という液体らしい。
 で、疑問が生じたわけだ。普通の感覚で言えば、「食塩の粒はしょっぱい」「食塩水もしょっぱい」というのは当たり前だ。だから、「食塩水とは、水の中に微小な食塩(NaCl)が溶けている液体であり、なめた時にはNaClが舌に刺激を与え、しょっぱいという感覚を生じさせる」ってんなら、すんなり理解できる。
 だが、教科書はそうじゃないという。Aの通り、「ナトリウムイオンNa+」と、「塩化物イオンCl-」って2つに分かれ、水中では「食塩」とは別の存在になっているらしい。そうすると、もし俺が「食塩水を飲む」という行為をした場合、俺は水と一緒に「食塩」を飲み込んでいるのではなく、あくまでも、水と一緒に「ナトリウムイオンNa+」と「塩化物イオンCl-」を飲み込んでいるという説明が正しいことになる。とにかく、「食塩水」の中に「食塩(NaCl)」は存在していない。でもでも、食塩水を飲むと、間違いなくしょっぱい・・・
 じゃぁ、「食塩水のしょっぱさ」とは、何に由来しているのか?もしかして、飲み込む直前に、口の中で2つのイオンが再び結合して「食塩」に変化していて、なんぼ水中ではイオンに分かれていても、最終的には「食塩」になった状態で舌に触れて「しょっぱさ」を感じさせているのか?・・・って、それは考えにくい。水が無味無臭ってのは自明。よって「しょっぱさ」というのは、「ナトリウムイオンNa+」と「塩化物イオンCl-」の、どっちかに由来するんだろうが、さて、どっちなんだべ?あるいは、どっちもしょっぱいのか?
 そしてもう一個問題がある。自明と思っていた「食塩それ自体」の味だ。食塩(NaCl)は、水に溶けるとNa+とCl-になってしまうのであれば、「そもそも、食塩自体はどんな味なのか?」って疑問も生じる。たとえ「食塩の塊」を、直接舌で舐めてみたにせよ、やっぱり「唾液」には溶けてしまう。そーすると唾液の中で2種類のイオンに分かれてしまい、「食塩(NaCl)」ではなくなってしまう。よって、「食塩それ自体」の味というのは、誰にも分からない??ということになる。
 「食塩それ自体の味とは、どのようなものか?」
 哲学命題みたいだ・・・こーいうムダな方向に脱線しないで、バカはおとなしく勉強しろってことか。

2008年1月8日
 雨みぞれ
 何の本だったか忘れたが、ある調査で、こんな感じのアンケートを取ったというネタを読んだことがある。
 「あなたは、現在勤務中の会社で昇進できることになりました。当然、給料も上がります。ただし、昇進条件として転勤が必須です。さらに、転勤先の都市は大気や水などの環境が悪く、それを原因として住民の1〜2割が何かしら健康上の不調をかかえています。転勤すれば、あなたも健康上の影響を受けるかもしれません。一方、現在の勤務地では、そのような心配はないとします。」
 それでも転勤するか?っていう質問に対し、転勤すると答えた男性の割合が、女性の倍近くになった。つまり、「金と健康」で比較すると、男性の場合は「金(あるいは社会的地位)」、女性の場合は一般に「健康」を重視すると言えそうだ、という結果になったらしい、と。
 この結果からはもちろん、経験的にも「健康にウルサイのは、一般に男よりも女」っていう認識は、だいたい正しいんじゃないかと思うし、俺もそう感じている。が、だからといって「全ての女が、健康にウルサイ」とは言えないのは自明だ。そうと分かっていても、ついつい「女は全て・・・」という二元論的に単純化した偏見(まさにバイアス)で見てしまいがちになるのも事実だ。しかし、こーいうオバチャンもいる。改めて、「単純化」には気をつけなければイカンと思ったり。
 松永和紀 2007.『メディア・バイアス あやしい健康情報とニセ科学』光文社新書.
 元は新聞記者だった筆者が、その経験を踏まえつつ、「健康情報」に関するメディアの姿勢について、その外側から警鐘を鳴らす的な中身。全体としては、とにかくメディア側も情報の受け手側も、「安全か危険かとか、単純化が過ぎる」「もーちっと考えて報道しろ」「見る側も鵜呑みにするな」と、個人的には今さら読むまでもない感じで、ウンウンそーだよねとスンナリ読めた。だが、こういった「当たり前」のことを、わざわざ本にして書こうと思える土壌が存在するっていうこと自体、やはり問題であろうとは思う。それに、そーでもなけりゃ俺もグダグダと駄文でグチったりしない。
 軽薄短小、加えて「ソク(速あるいは即)」。テレビ・新聞には、情報伝達の素早さ=速・即が求められるんだろうが、その要素は「リアルタイム」すら可能なインターネットには、どーやっても勝てない。だったら、そこで勝負するんじゃなく、事態をもーちっと吟味してから「情報の確実性」で差別化すりゃいいんでない?と思うんだが。権威を監視する立場と言われるメディアそれ自体が権威化してしまっては意味がないし、危なっかしい。情報が多すぎて、何を信じたらいいか分からないっていう態度の蔓延は、容易に権威を生み出す。「これを信じれば心配要らない」とかいう存在など、ない。「大丈夫、大丈夫」と無批判に信じられてきた「お国」でさえ、もはや信じられないご時世である。親だって子供を殺すし、子供だって親を殺す。にもかかわらず、「自分の外側に信じられる存在を見出す」ってことがナンセンスだってことに、何で気付かないんだろう?かく言う俺自身もメンドクサがり屋であるが、自分に直接影響することまで「メンドクサいから他人任せ」にして、何かあったら「おまえが責任取れ」では、あまりに都合良すぎると思わないのか?
 そんなくだらねー時代でも、成海璃子ちゃんは、いい。

2008年1月7日
 曇晴
 頭痛い。理数系じゃない脳ミソは、基礎化学に苦しんでいる。しかも、高校のときと同じ所で引っかかってる。「モル」「mol」「6.02x10の23乗」・・・
 無論、字面の日本語は分かりますよ。ただ、「なんでその単位を持ち出す必要があるのか?」「その単位を作ると何が都合いいのか?」が、分からない。分からないから、理解できない。これは、俺自身の良い意味でも悪い意味でもクセなのは自覚してるが、「理屈はともかく、とりあえずは”そーいうもんだ”と覚える」ってのが苦手なのだ。「それを覚えると○○というように都合が良くなる、あるいは便利になる」ってことが分かれば、おとなしく納得できるんだが。
 同じ障害は、農業簿記を始めた頃もバッチリ存在した。「貸方」「借方」っていう基礎の部分から、個別具体になれば「何で金払ってるのに”利子割引料”なのか?」とか・・・必要だから腑に落ちないままやってきたが、未だに「なるほど、そういう理由でこうなってたんだ」という理解には至っていない。たぶん「モル」についても同じだろう。
 でも、今年初のクリステルが良かったので、がんばろうと思う次第であります。

2008年1月6日
 みぞれ
 珍しくNHKでオモシロそうな特集やってるんで、ここんとこ毎日見ていた。世界各地の「民主主義」ネタ。
 イスラムだのロシア正教だの、いわゆる「伝統」を持ち出す連中にロクなのはいない。いやね、それを信じる人が勝手に信じてる分には構いませんよ。困るのは、周りからの声に対して敏感すぎるって点で。なんで、「あっそ。あんたはそう思うの。でも俺は俺だし。」って態度で流せないのか・・・
 まぁ、昨日までのはある程度「ひとんち」の事として見ることができた。が、今日のトドメは中国&日本。中国の方は、小学校で学級委員長を選挙で選んでみようという「民主主義教育」の現場を取材した番組。とにかく相手候補をけなす。しかも、根回しして仲間を増やして集団で攻撃するって態度が、既に8歳とかの段階で身についている恐ろしさ。親も親で、何をアドバイスするのかと思えば「相手の欠点を探すのよ」ってアンタ・・・最後は結局、投票直前になってクラス全員に「ワイロ」を公然と渡した奴が当選。落選した2人に対する担任教師の言葉は「2人もこの経験で多くを学びました」って、教育として大いに問題ある結果に終わる。それはつまり「選挙で勝つには、ワイロが重要」ってこと?
 日本の方は、川崎の市議会補欠選挙。持ち上げられた新人候補が、「誰も聞きやしないんだから、自分の名前と党名を連呼すべし」とか教えられ、なんだかよく分からないままに選挙運動を行い、当選するまでの軌跡を追った番組。結局、選対本部としても「自民党として議席を確保できれば誰でもいい」みたいな空気の中での選挙だったのに、当確が出た瞬間に候補者本人が事務所にいないことが分かり、本人は遅れて到着。「みんな、お前の為にこーやって集まってるというのに・・・」的な空気が、非常に印象深かった。候補者のため?てめー自身のため、の間違いではありませんか?
 安部さんが内閣作ったとき「お友達内閣」とか言われたもんだが、中国も日本も、選挙自体がそうなのだ。「お友達選挙」。何が民主主義か。中の良い内輪だけで勝手に盛り上がって、民主主義的選挙の様相などどこにもない。そんなのに税金払うなど、ムダ以外の何者でもない。しかし、選んだのが「民」である以上、例え選ばれたのがヒトラーだろうが金正日であろうが、そーいう奴をのさばらせるのもまた、間違いなく民主主義の結果であると「言い訳」できてしまう欠陥商品・・・思うところは多々あるが、もう、むなくそ悪くて書く気にならん。

2008年1月5日
 雪だったか
 ダルかったのは覚えている。

2008年1月4日
 曇時々雪
 昨日から弟が来てるんで接待。宮城の鬼首温泉に行きたいってんで、車慣らし兼ねて走った。鬼首温泉の間欠泉。

2008年1月3日  機会の平等?結果の平等?
 雪
 午後に、今どきの子供をネタにした番組を見た。色々あったが、印象に残ったのは1つ。
 1部屋に子供6人(小学1年生ぐらいか)を入れる。そこに大人が3種類の異なるケーキA・B・C(種類が違うだけで大きさは3つとも同程度)を持ってくる。ケーキをテーブルに置くと、みんなで食べるようにと言い残し、持ってきた大人は部屋を離れる・・・これを6人の子供だけでどのように食べるのか(分けるのか奪うのかどーするかetc)観察する、という内容だ。
 「ジャンケンで勝った人が」などなどの意見が交わされるが、最終的には、非常に興味深い結果が見られた。
 @異なる3種類のケーキそれぞれについて、食べたい人が挙手をして「自分はこれが食べたい」という意思を表明。
 AAのケーキを希望したのが2人、Bのケーキを希望したのが3人、Cは1人のように分かれた。
 BAは希望した2人が、Bは3人が、それぞれの希望者で分け合う形で食べ、Cについては1人で食べた。
 もしも「ジャンケン」が採用されて、勝った人だけが食べたならば、選択手段であるジャンケンの場には「全員が参加可能」という意味で「機会の平等」がなされたことになる。その結果、食べられない3人が生じたとしても、それは「仕方ない」・・・でも、やっぱり食べたいと思うだろう。
 あるいは、3種類をそれぞれを1/6ずつに分け、1人当たり1/6サイズのケーキが3種類食えるように分けたならば、「結果の平等」がなされたことになる。しかし、個々の希望が違っている(「選好」とか「効用」とか言うアレ)わけで、この状況でも各人には不満が残るだろう。
 んで実際の結果を見る。まず、「どーやって食べるか?」の討議には全員が参加できていたわけで、「機会の平等」がなされていたと言える。んで次に、単純に1人当りのケーキ量で見れば、Aを選んだ人は1/2だけ、Bは1/3だけ、Cは1個全部となり、「結果は不平等」である。つまり、「機会が平等なら結果は不平等でも仕方ない」というセリフ通りの状況とも言える。
 だが、この6人のガキに学ぶべき重要な点は、「機会」の部分にジャンケンなどの「勝負」を導入しなかったことであろうと思う。
 「機会」の部分に「勝負」の要素を導入するのは、「モノが絶対的に足りない」条件下では仕方ない部分があるとは思う。例えば、100人の飢えた人がいたとして、そこに食糧が1人分しかないとか極端な場合を想定する。これを「平等に」1/100ずつ分けても、そんなちょびっと食っただけでは間違いなく全員が餓死する・・・そんな平等は無意味であろう。こーいう条件下なら、食べられる人を1人か2人程度とかまで絞るのも「やむを得ない」と、個人的には思う。だが、「モノはそこそこある」条件であるならば、必ずしも「勝負」する必要がなかったりするんじゃなかろうか?「勝負に参加する機会は全員にあった」「そのルールについては全員が納得している」「よって敗者は文句を言わないこと」・・・その固定化した思考から抜け出すことは出来ないのか?「機会」とはすなわち「勝負」だけしかないのか?人間には「叡智」とかいうのがあるんじゃなかったのか?(お、ガンダムのセリフっぽいぞ)
 まぁいい。「機会の平等」「結果の平等」だけでなく、「充足の平等」って視点もありえるかなと、ガキを見て思った次第。「全員100で充足しよう」って感じで進めてきたのが、「一億総中流(≒平等?)社会」の起源なんだろうが、80で充足する人もいれば、120ないと充足できない人もいる。「俺は100なんて要らない。80で十分だ。」って人にとって、100まで働けってのは「強制労働」でしかない。逆に「俺なら120貰ってもいいはず」と思ってる人にも、100でガマンしろってのはやはり「強制」である。
 憲法改正するんなら、新たに入れよう。
 『すべて人は等しく、「充足レベル選択の自由」を有する』、と。

2008年1月2日
 雪
 なんだかんだ間を挟んで時間食ったが、とりあえず毒劇の法令関係はだいたい抑えたと思われる。司法試験とか受けるような奴は、こんな感じの法律文言を必死に勉強するらしいわけで・・・本人らにとっては何かオモシロイのかもしれんが、少なくとも俺には理解できない世界。覚えるにしても、もーちょい分かりやすく書いてりゃいいのに。そーいえば「裁判員制度」って近いうち始まるらしいが、どーなのよ。裁判員制度とか始める前に、法令の統廃合とか文言の一般化とかも同時に進めないと、何の知識もない人がいたところで「烏合の衆」にしかならんのじゃないか?それでもって「民主的な裁判制度が実現・・・」とか言い出したら、それこそエセであろう。あと、仕事とかあっても、選ばれたら絶対に出席とか聞いたことがある。だとしたら、その「代理出席ビジネス」みたいのでも始めたら儲かるだろうか?
 続いて基礎化学だが、さてどーなることやら。 

2008年1月1日
 雪
 あけまして、おめでとうございます。
 おかげさまで三田耕生は昨年も、自己満足度日本全地区ナンバーワンに・・・
 まぁいい。今年も好き勝手にやるだけで、改めて何するでもない。
 寝正月して、正月番組流しつつ帳簿の最終確認&閉めて決算。前年比が特に大きくなった科目は、種苗費33万増(半分接木⇒全部接木)、農具費22万増(動噴その他工具)、修繕費45万増(屋根ビニール)、減価償却費30万増(特例適用で一括償却)、事務消耗品費17万増(諸々)の5つ。
 経費全体の前年比増は約204万であり、以上の5項目だけで70%近く説明が付くことになる。帳簿をここまで意識して動いたのは初だが、結果的には前年とほぼ変わらない営業利益額まで抑えることができた。さすが俺。業績推移を更新し、ついでに自己紹介も加筆修正した。


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