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| 2007年12月下旬の作業日誌 | ||||
| 2007年12月31日 雪 昨日今日でまた一気に積もった。んで大晦日なわけだが、別段何があるでもなく、毒劇物のお勉強して、年末番組見て過ごす、と。日々、「今日が最期の日になる可能性」って意識を、どーしてもどっか片隅に持ってる男であるから、世間一般にとって今日がどんな日であろうが、俺にとっては同じ1日、同じ24時間でしかない。ただし一つだけ言えるのは、今日は山形に来て初めて「バイトとかをしていない12月31日」であったということ。平和である。辛めに作った肉じゃがが美味い。 |
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| 2007年12月30日 雪 先月あった、佐世保の銃乱射事件。あの報道で気になったのが「散弾銃」と「スコ−プ」だった。別に銃器の事なんか詳しくないが、散弾銃ってのは文字通り「弾が散らばる」タイプの銃なわけだ。弾が散らばると、鳥や獣といった素早い動きをする標的に対し、数打ちゃ当る弾幕的に作用することで、命中率をあげることができるわけだ。つーことは、標的にバッチリ照準を合わせて「狙撃」するような使い方とは違うわけで、散弾銃に「スコープ」なんかあんまし意味がない。しかも例の事件の場合は至近距離から撃っているわけで、明らかにスコープなんか不要だ・・・ってことで、素人の俺でも疑問に思ったわけだ。ところが、今回のエサ食ったことで、ちょっと思ったことがある。 デーヴ・グロスマン著 安原和見訳 2007.『戦争における「人殺し」の心理学』ちくま学芸文庫. 著者はアメリカ陸軍の中佐。自身は実際に人を殺したことはないという。で、「実際に人を殺した人たち」である第二次大戦だのベトナムだのに従軍した人のインタビューを取り、それらをネタにまとめている。 とにかく全体を通しての主張は「人は(例え兵士であっても)、心理的な抵抗があって、そうそう簡単には人を殺せない」ということ。インタビューの他、過去の戦争に関する文献・資料を挙げられている。中でも、「自身の生命が明らかに危機に晒された状況下であっても発砲しない兵士が極めて多く、第二次大戦においては全体の1〜2割程度の兵士しか発砲していなかった」という記述には、「戦争になれば誰でも簡単に人を殺すもの」という思い込む方がむしろオカシイと気づかされる。無論、敵の人間を殺すのが戦争であるから、軍としてこの状況は黙っていられない。兵に対して諸々の心理操作を施し、ベトナム戦争の時期には、逆に発砲しない兵士の割合が1割程度にまでなったという。 で、そのポイントとして、社会的・文化的・倫理的・機械的という4つの「距離」を挙げ、とにかく殺そうとする相手を「人間じゃない」と思い込ませることが重要だとしている。まんま引用すると 『・文化的距離−人種的・民族的な違いなど。犠牲者の人間性を否定するのに有効。/・倫理的距離−ここで問題になるのは、みずからの倫理的優越と復讐/制裁の正当性を固く信じるという、多くの内戦に見られる心理である。/・社会的距離−社会的に階層化された環境において、特定の階級を人間以下と見なす慣習の生涯にわたる影響。/・機械的距離(機械の介在)−手の汚れない<テレビゲーム>殺人の非現実感のこと。テレビ画面、熱線映像装置、暗視装置などの機械的な緩衝物が介在することによって、犠牲者が人間だと言うことを忘れることができる。』p268 ナチスのユダヤ人虐殺、リメンバー・パールハーバー、悪の枢軸・・・確かにいろんな「距離」の要素が、実際に使われている。 で、特に最後の「機械的距離」について。生まれつきの「攻撃的精神病質」な人間を除き、とにかく「一般的な人間」なら、少なくとも相手が人間であることが分かり、特に相手の表情まで肉眼で確認できる距離では、「殺せない」。インタビューでは、「やむをえず至近距離で殺したが」「不快感がこみあげたり、嘔吐したり、号泣したり」「こんなことをする自分が、あるいは自分の属する国が、もっと言えば人間自体が、恥ずかしい存在だと思えた」という兵士の話が出てくる。一方で、暗視スコープ越しだったり、艦船同士の戦闘だったり、上空からの爆撃だったりと、「相手が人間として認識できない」状況下での殺人を経験した兵士には、そういった不快な感情がほとんどなかったという。やっぱりポイントは「距離」なわけで、相手が人間であると認識できなければできないほど殺しやすく、逆の場合になればなるほど、心理的な抵抗が大きく働いて殺しにくい。 そういう観点で見ると、佐世保の犯人は、実は「スコープ」を付けることで、自身の心理的な抵抗感を克服していたのではないか?とも見ることができるわけだ。もう一つ突っ込むと、「スコープ越しに相手を見ることで、殺人の抵抗感を克服しなければ発砲できないほど」の人間だったと言えるわけだ。事件後に自殺している事も合わせて考えると、彼は少なくとも「攻撃的精神病質」な人間ではなかったんじゃないか?と。 ・・・フィギュアの話以上に「不謹慎」だからやめとこう。何にせよこの本は、考えさせられるところが多いエサである。よく言われる「残酷なシーンのある映画やゲーム、テレビ番組が子供たちに悪影響を・・・」とかの主張も、今までは「そんなの個人差だべ」ぐらいに思ってたが、あながち無視できないかもしれないとか思ったりもした。 |
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| 2007年12月29日 小雨か 久々の長距離、しかもまだ慣れない車で走ったのが効いたらしくダルい。昼過ぎまで寝た。毒劇試験の勉強に戻ろうにもそんな気分じゃないんで、ちょい大きめの心理系エサを1冊食い始めた。 |
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| 2007年12月28日 曇 13時過ぎ、試聴ドライブに出た。ルートは、村上から新潟・会津経由の約320km、所要は約7時間と安全運転。スピーカーのエージングも目的の一つなんで、ボリュームはちょい上げ。 デッドニング前に比べ、ボーカルも潰れずに出てくる。特に、一青窈「もらい泣き」&鬼塚ちひろ「流星群」には驚き。録音状態そのものの関連もあるんだろうが、口の動きが分かるっていうか、フロントガラス辺りで歌ってるぐらいの勢いで聞こえる。さすがにムリだろうと思いつつ試しに持ってったヘイリーも、ロードノイズその他に負けずに聞ける・・・アイドリング状態に比べると、走行中は横方向への広がりが抑えられる感じはあるが、十分だ。余は満足である。 |
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| 2007年12月27日 晴 午前中はドアの細かいところを仕上げ。午後は早速「試聴」しに流そうと思ったが、早くも昼にはウーファーが届き、予定変更で配線&セッティング直し。設置位置は、荷台のことを第一に考えて助手席足元に。「KENWOOD党」としては、せっかく買い換えるならウーファーもKENWOODで揃えたかったところを、サイズの問題でPIONEER製にせざるを得なかったのが、一つだけ残念な点。 ドアはデッドニングしたし、ウーファー自体を変えて設置位置まで変えたこともあるんだろうが、何か今までより「安定感のある落ち着いた低音」になった感じ。トータルでは厚みが増して、フロントしかスピーカー積んでないのに、後ろからも包まれるような、あるいは「下から音が湧き上がってくる」ような音響空間になった・・・農耕作業車が。ここんとこ車屋さんごっこの日々だったが、これ以上はいじる所もない。やっと「俺の車」として完成した。明日の試聴走行が楽しみ。 フィギュアを見た。あのリンクって相当広いだろうが、そこにポツンと一人で立ち、しかも周りに観客がウジャウジャいて、さらにそれら全ての目が一人の選手に注がれるわけだ。そんな条件の下で演技する・・・ちょっとその状況に置かれた場合をイメージしてみたら、技術どうこう以前に、スケートの選手ってすげー度胸だなと思った。そしてこれは「フキンシン」なんだろうが、もしもあの格好のまま、どっかの路上とかで足上げてクルクル回ってニコニコしてたら、それはそれで「変態」もしくは男なら「公然わいせつ」だろうなとも思った。リンク上とは、その「変態行為」が「美」として認められる、まさに神聖な場所なのか?あるいは、世に「変態」とされている行為とは、本質的には「美」と表裏一体なのか?「花」を見よ。「花」を見て美しいと思うかもしれないが、「花」とはすなわち「性器」である。多くの人は、その「形」を愛で、「色あい」を愛で、「香り」を愛で、時に「ほおずり」さえするだろう。しかしそれらは決して「変態的行為」とはみなされない・・・澁澤の受け売り。 |
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| 2007年12月26日 晴 とりあえず車代支払い。あんだけの札束なんか普段触ることないが、改めて見ると「この1枚1枚の紙が、どこでどんな人の労働の対価として支払われて回りまわってきたんだろう?」とか考えてみたり・・・これは、パソコン画面で「数字だけ転がす」人には、たぶん分からない感覚だろう。一方で俺は未だに、「札」「貨幣」の根本的なところの意味がよく理解できない男だったりする。精緻な印刷がなされた「100枚ちょいの紙の束」を、車と交換するために置いてきた。くるまやさんわ、それでなんにももんくをいいませんでした。そしてくるまやさんわ、「ありがとうございました」といいました。そしてぼくに「りょうしゅうしょ」をくれました。 そしてぼくわ、でっどにんぐおしました。 各所採寸して型作って昼まで。夕方までには何とか完了。スピーカー撮ってなかったんで撮影。夜は内職して内張りの裏面の制振やって完成。とりあえず納得したが、こーなるとウーファーの置き場所も固めたい・・・買ってしまった。 |
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| 2007年12月25日 50万の壁 曇 ここは東北日本海側裏日本、そして世の中クリスマスだってのに、雪も降らない。このまま、去年に続いて降らない冬になると、今年の場合は困る。ハウスの屋根はがし&張り換えするのに、足場が高くなってないと作業性が悪すぎるし、せっかくのキレイな屋根が泥で汚れる。 車買ったおかげで、買掛残高が倍の200万近くなった。ここまで膨らませたのは初だが、これも経費増額作戦の結果。車代は今日払うつもりでいたが、さすがに残り100万近いツケ残したまま会計期間終えるのも気分悪い(っても福島の売掛残が100万以上あるからトントンではある)。買掛の半分近くは必殺「クレジットカード払い」なんで、来月の自動引き落としを待つしかない。が、こっちの意思で支払える「屋根その他資材分」の40万ちょいについて、車代と合わせて今日払う気になった。 で、先に資材分を振り込みして、問題なく完了。続いて車代を払うべく100万引き出そうとしてみる。 ・・・ATM曰く「一日のお取り扱い限度額を超えています」 はい?俺の金だべ?何で俺の金が俺の自由にならん?・・・そーだった。オレオレ詐欺だのの流行で、何か制限ができたんだった。それが、1日に50万まで。初めてこの壁にぶち当たった。 つーかさ、騙されんなよ。あんたらが易々と騙されっから、こんな厄介な制限ができるんだろーが。そんなんだから、国家とかに「国民を守るために」みたいなちょーしこいた偉そうな口の利き方を許してしまうんだろーが。で、国民も国家も自身の置かれてる立場を誤解したまま、いつまでも実態と噛み合わない体制が続く温床になってんだろーが。 根幹にあるのは、騙される側の心理だろうな。普段、頼りにもされない自分なのに、「危機に遭遇したコイツが、重要な場面で、こんな自分を頼ってきてくれた」っていう理解をして、揺れるんだろうな。温情主義が芽生えて、「困っているコイツのために、何かしてやりたい」とか思っちまうんだろうな。ったく、ガキじゃねーんだから、ほっとけ。そこで手を出したら、もうあとは「自分のケツを自分でぬぐえない」奴になっちまうぞ。だいたい、「誰かに頼りにされる自分」っていう姿に、自身の存在意義を見出すのは止めた方が身のためだ。いつまでも頼ってくるような奴は、ロクな奴にならないし、本当に相手のことを思うなら、頃合を見計らって突き放せ・・・って、何を言ってる俺よ? ともかくそんなんで、支払いは明日までオアズケ。せっかく三田(サンタ)がクリスマスに現金をプレゼントしようと思ったのによ。 |
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| 2007年12月24日 曇 昼過ぎ起床。スピーカー&車自体への慣れを兼ねてちょろっと流した。ガソリン高騰だから無意味に走るのはもったいない?ソンナノカンケーネー。デッドニング終わったら、現場視察&来年の商談兼ねて福島行ってみよう。 クリステルが今年は見納めらしい。残念だ。 |
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| 2007年12月23日 曇 懸案事項のウーファー設置。助手席足元、続いて助手席背面の大口ポケットと検討したが、結局はリアシート足元ベタ置きしか選択の余地がなかった。夏場に荷室をフラットにする時は、倒したリアシートと運転席の間に立てて挟めるし、邪魔なら外せばいい。前車からそのまま移植した安物エセウーファーだが、ただでさえエンジンその他がウルサイ貨物車である。こんなもんでも、あるとないとでは全然違う。 続いてデッキ接続。こっちは何も問題なくスムーズに完了。とにかく収納スペースが限られてる車なんで、今までのデッキ&チェンジャーの流用は断念。これを機に、いわゆる「シリコンオーディオ」に切り替えた。KENWOODの1DIN現行USBデッキ最上位機種。昨日のスピーカーと合わせて6万近い出費・・・農耕作業車としてはアリエネー装備なのは知ってるが、そこはもう「経費」にならない趣味の世界。その「ありえなさ」も遊びの一環。 あとは暗くなるまでひたすらセッティング。あんなのもこんなのもいじれるから、遊びたい放題。デッドニングについては春先に気温が上がったらやるつもりだったが、主夫の買出しに走りながら聞いてみてビックリ・・・どうにもボーカル周辺が潰される。現状では16cmスピーカー&デッドニングなしだが、10cmスピーカー&簡易デッドニングした前の車よりもヒドイ。新品スピーカーでエージングされてないのもあるんだろうが、それにしてもこれは悲しい。春まで待ってられんので、制振シート発注。アイドリング中になんぼ良い状態でも、実際に走ってエンジン音が入ってくれば環境が変わる。シートが届き次第、晴れた日を見計らってデッドニングする。 |
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| 2007年12月22日 いじる。 晴 午前中に納車。昨日、連絡があった段階で「いじって。」と頼んでいたブツも確認・・・請求書である。最初にもらった請求書では、「下取り20万の新車値引きゼロ」という内訳だった。これを、実態に合わせて「下取りゼロの新車値引き20万」っていう扱いにしてくれるように頼んだわけだ。 実際の支払い総額に変化はないが、帳簿上の変化は見逃せない。第一に、取得価額そのものが低くなれば、当然ながらより早く経費化できる。第二に、下取り20万ってのは残存価額以上なもんで、帳簿上は「除却益」が出てしまう。もちろん、確定申告では50万までの譲渡益をゼロ扱いにできるが、請求書上は「下取りゼロ」にした方が、残存価額分の「除却損」が出る=課税所得から引き算でき、節税対策として有利になる。 で、改めて帳簿をつけて、概算で申告納税額まで出してみたところ、「マイナス2万ちょい」。ヤマトの源泉徴収の一部から、めでたく「カンプキン」を獲得できる見込みになった。経費増額作戦に加え、今回の新車購入に付帯する諸々の直接経費が効いたらしい。今年も、帳簿上の農業所得は100万ちょい(青申控除済み)に抑えることができた。650万近い売上げに対して、(半ば強引に色々買って)480万近い経費を計上した。作戦成功。 ♪帳簿いじり虫ぃ〜♪いじっていじっていじってナンボ♪いじってナンボの商売だ、と・・・え、何ですか?不正な処理なんかしてませんよ。だって「一次資料たる請求書・領収書の数字にバッチリ従って」記帳してるだけで、「存在する売上げを計上しない(=所得隠し)」とか「使ってもいない経費を計上する(=経費の水増し)」とかのイケナイ処理をやってるわけじゃありませんからね。製造過程の偽装だの、不透明な会計だの、ウチには全く縁のない言葉ですから。 帳簿いじりは満足したんで、続いて車いじり。まずは納車状態。黒一色ではフロントがノッペリで寂しいから、オプションでシルバーのガーニッシュを付けてもらった。音関係さえいじれば外装の飾りなんかどーでもいいんだが、今回は浪費してみた。他、ラバーのフロアマット&喫煙車に必須の雨よけドアバイザー付けて、スタッドレスもホイールごと買い換えたぐらい。座ってみた印象は、やはり若干とはいえ「ボンネット」が出てると違和感がある&インパネシフトに慣れるまで時間がかかりそう、ってところか。足元はタイヤの分で相当狭くなることを覚悟してたが、思ったほどじゃなくて安心。 で、走りもしないで早速バラしていじる。まずはシートカバーかけて、続いてスピーカー換装。ドアの内張りピンが思った以上に硬く、外すのにすげー苦労した。しかもパワーウィンドウなんか要らない(「ハンドパワー」ウィンドウで十分)のに付いてるから、配線痛めないかドキドキ。結局、スピーカー換装が終わって純正デッキ外すところまでいじって今日は終了。事前に分かってたが、この車はウーファーの置き場所に困る。今まではシート下に入れてたが、この車はシート下がエンジン=スペースが全くない。明日、配線と合わせて考える。 「大奥」の由紀恵が、いい。 |
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| 2007年12月21日 遺影 晴 朝に車屋から電話。曰く、「明日は『大安』なもんで納車しようと思うんだけんどヨす」・・・そーいや今の車を買った時も同じこと言われたのを思い出した。俺にとっちゃ大安だろーが仏滅だろーが関係ないんだが、やっぱし世間ではそーいうの気にする人が多いんだろうか?いや、一般に高齢化が進んでる地域だから、必然的にそーなるのかもしれんが。 ともあれ、明日でお別れであるから「遺影」を。「経費増量計画」で買った夏タイヤはほぼ新品のまま・・・タイヤ替えた時点では、車自体を買い換える予定はなかった。まぁ、20万の下取りだからOKとする。 6年前、研修生として山形に来た時点で、俺の足は「原チャリ」しかなかった。研修後の独立を考えれば、最初っから「軽箱」を買うべきである。当然、山形に来てすぐに、車屋で安い中古の軽箱を探してもらったが、なかなか出てこなかった。だもんで、研修中の1年間は「とりあえずの足」としてムーブに乗った。で、独立に当って改めて探してもらい、出てきた(つーか行ったらあった)のが、この車だった。4駆が切り替え式じゃなくフルタイムである点を除けば、他は文句なかった。 乗り出しは50万ちょいと提示された。無論、そんな金はない=借金である。保証人も担保もないわけだが、俺ら新規就農者にはいろんな融資制度が用意されている。中でも、多くの新規就農者が使うであろうものが、「最高2800万まで借り入れOK、12年無利子償還、保証協会に金を払えば保証人も担保もほぼ不要」って奴だ。新規就農者っていうと大抵は、これを借りてウン百万単位の施設や農機具を買ったりして、独立に当ってのハードウェアを準備する・・・ってか、実績も何もない素人に金を貸してくれる金融商品など、他には皆無じゃなかろうか。無論、就農をマジで考え始めた時点の俺も、これを使う前提での独立を考えていた。 だが、ファームに来て状況が変わった。「自分でハウスを建てなくても、ハウスを借りる形で独立できる」ことになったわけだ。それでも、自分のトマトを出荷するためには貨物車だけは持ってないとどーしようもない。よって俺は、「2800万まで借りられる中から、50万ポッチを借りて」、この車を買ったというわけだ。なお、この「2800万」ってのは1回しか借り入れできない。よって通常は、独立に当って必要となる高額なものを一気にそろえるために、いわば「切り札」的に使われることを想定された資金である。それを、俺はたったの50万(いや、「たった」じゃないが、2800万からすればそうなる)に使い、「切り札」を失った。自分で「後がない」状況を作ったとも言えるが、そうするより他になかった。 これにより、俺の進むべき道は必然的に絞られた・・・いや、正直に言うなら、ファームに来た時点でほとんど絞りきっていた。何にせよ、2800万の切り札を失った以上、この先も俺が農業を続けるためには、「宿主」「寄生相手」を見つけなければならない、と。一種の「財産目当て」の「政略結婚」を画策すべきである、と。自分ではハウス建てたり機械買ったりはしない、つーか「切り札」を使っちまったから、できない。「自分自身」という商品を販売する対価として、全て「お義父さん」からアリガタク頂戴する、と。あるいは、「誰かに空き地を提供してもらう」か(こないだも福島から、二本松の物件情報を得た)。 新規就農に当っては、よく「自己資金で500万用意することを目安にしましょう」などと言われる。んなもん、学生上がりの俺にはムリな話だったわけだが、せめて50万の自己資金があれば、もしかしたら今の俺はもーちょい違っていたのかもしれない。 とまぁ、これは単なる車じゃなく、一つのターニングポイントにあった車でもあるのだ。そんな俺も、借金ナシで100万の車を買えるまで成長しましたよ。さすが俺。しかし、その「いわくつき」の車を手放したところで、既に選んだ道を引き返すことはできない。できないけれども、まぁ、歩き続けていれば「どっかに」たどり着く。あるいは、「どこにもたどり着けずにブッ倒れる」か。 |
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