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| 2007年12月上旬の作業日誌 | ||||
| 2007年12月10日 小雨か 昼夜逆転しつつある主夫は、「いいとも」の頃に目覚める。今日は月曜。捨てるタイミングを既に2回逃した「燃やせるゴミ」は、鎮座すること2袋半。その内側には生ゴミから蒸発したんであろう水滴が付いており、熟成されつつあることを物語る・・・でもそんなのかんけーねー。俺は眠い。眠いから寝る。誰に迷惑をかけるわけでもない。ゴミ集積所のカギが閉まる時間までに捨てに行くという、たったそれだけのために、どうして俺の安らかな眠りを中断する必要があるのか?ま、どーでもいいが。 そして今日のエサ。前から読もうと思ってたリバタリアンな本。 ウォルター・ブロック著 橘玲訳・文 2006.『不道徳教育−擁護できないものを擁護する』講談社. 訳者自身「超訳」と言ってるが、原著の骨子はそのままに、個別の単語を日本でイメージしやすいものに変えたらしい。なもんで、およそアメリカ人が書いたものとは思えない印象になっている。 全体として思うのは、「わかりやすい」がために、中途半端な印象があるってことか。リバタリアンの本を他でもかじってれば、抵抗なく入ってくる一方で「改めてそんなに言わなくても、リバタリアンの立場ならそう言うだろうと思うけどね」となる。逆に、初めてこの本でリバタリアンに触れる場合は、わかりやすいがために「過激すぎる」っていう印象を持たれるんじゃないかと。それを予想してか、巻頭には訳者によるリバタリアニズムの概説が用意されている。それでも、最初のネタがこれだった場合を考えると、「引いてしまう」人が多いんじゃないかと勝手に思う。「超訳」だから原著がどうかは知らんが、具体化するために条件を極端に限定しすぎて書かれているネタも見られ、「原理・理屈ではそうだと分かっても、逆にイメージしにくい」ことになってる印象も受けた。 とはいえ、その主張がどう受け取られるかって点を抜きにすれば、読みやすい、わかりやすい本であることは間違いない。例えば、 『国家による不当な強制力(=法律)が自由市場に干渉し、労働基準や最低賃金が設定されているからこそ、法律の趣旨とは逆に、劣悪な労働環境や深刻な失業が発生し、絶対的な貧困や格差が広がる。』 『労働環境の改善、失業や貧困や格差の克服(ってか今よりマシにする)を目指すなら、まずは労働基準法を撤廃すべき。』 っていうようなリバタリアン的主張は、「普通の感覚」では何を言ってるのか意味不明だろう。が、たぶんこの本なら、難しい言葉抜きで語られてるから、なんでそう言えるのか「わかりやすい」と思う。ただし、改めて言うが、それが「受け入れられるかどうか」は抜きにして。 何にせよ、「幼児化」のネタを食ったばかり身としては、たぶんリバタリアニズムな世界ってのは、もっとヒトが「オトナ」じゃないと実現不可能だろうなと思い始めている。何でもかんでも国とかに頼りっきり・任せっきりが「当たり前」として認識されてるうちは、この思想はどう考えても浸透しない。 農業なんか好例である。よく言われるように「補助金漬け」「おんぶに抱っこ」。まさに「子供」としていつまでも甘やかされている。日本政府は、一方の口では「国際競争に勝ち残るため、日本農業を強く育てなければならない」と言い、もう一方では「このままでは日本農業は弱体化するから、農政に力を入れて支援しなければならない」と言って補助金をまき、それによって日本農業を弱体化させている。言ってることとやってることが正反対なのだ。ま、そうと気づいてない、あるいは何らかの利権が絡んでるからやってんだろうが。 子供の成長を見れば分かるだろうに。例えば子供に魚を食わせる場合、まだハシもまともに使えないうちは、そりゃ親が骨を取ってやったり身をほぐしてやったり「補助」する必要があるだろう。それは認める。しかしある程度成長したら、今度は自分でハシを使って食えるように、「突き放す」ことが重要であることに異論はないだろう。そうしないと、例えば中学生になっても「ママぁ、ボクちんおハシがうまく使えないから、骨を取って食べさせてぇ」とか言いだすマザコンになっちまうのは自明だ。ほんとにその子供を強く育てたい(この場合、自分でハシを使って魚を食えるようにしたい)なら、いつまでもママが食わせるのを続けることは、かえってその子供を弱体化させることになる。そして弱体化した子供を抱える親は余計な負担を強いられ、最終的には親子共々で倒れることになる。今、国がやってる農業支援ってのは、その「共倒れの道」とほとんど同じではないか? まぁ、俺はもともとアナーキストに近いから、日本がなくなるなら別にそれでもいいけどね。俺が農業できれば。 |
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| 2007年12月9日 小雨 軽く胃もたれを伴いつつ昼前起床。エサはエサでも腹に入るもんじゃなけりゃなんぼでも食える・・・つーか俺よ。毒劇物資格の勉強っていつ始めるの?うんとね。そのうちね。そのうち。 さて。昨日からのエサはこれ。 クライブ・ブロムホール著 塩原通緒訳 2005.『幼児化するヒト−「永遠の子供」進化論』河出書房. もうね。一言で言う。すげーおもろい。「ツボにハマる」的なオモシロさ。ついでにカバーまで、幼児性の象徴である「黄色」。 ところで。人類の直立二足歩行について、学校ではこんな感じで教わった。 ・・・昔、人類の祖先はアフリカの森林で暮らしていた。しかし旱魃がおこり、森林は平原へと変わった。これにより、木々を移動するための4本足から2本足で立って移動するようになった。移動に使われない2本の腕が余ったので、道具を作ったりするようになった。するとそれが刺激となって脳の発達を促し、言葉を操るようになり・・・ ところが、このクライブさんは違うと主張する。我々の祖先が直立二本足歩行を始めた理由は、「幼児化」にあったと言うのだ。ヒトが「幼児化したサル」なんて話はあっちこっちで聞くが、この本は徹底して全てを「幼児化」で話を進める。 よく知られてるように、チンパンジーとヒトは遺伝子が非常に似ている。ただし、外見での差異、特に頭蓋骨と背骨の接続の形に違いがあり、チンパンジーの場合はヒトでいう後頭部で背骨と繋がっている。よって、チンパンジー直立した場合には「正面」ではなく「真上」を向くのが自然な形になる。が、胎児の段階では、チンパンジーもヒトと同じ位置で頭蓋骨と背骨が繋がっている・・・ナドナドのネタから、ヒトの祖先は「成熟の度合いをコントロールするする遺伝子の変化」が生じた結果、未成熟な身体構造、未成熟な精神構造、そして未成熟な精神に由来する未成熟な行動パターンを維持したまま成長し、生涯を終えるチンパンジーとして誕生したのではないか、っていう主張が展開される。んで、野生状態では一見すると不利であり、あっさりと淘汰されそうに思われる「未熟さ」こそが、ヒトをヒトたらしめるに至った、と。 精神が未成熟であるから攻撃性が弱く、ウン百、ウン千にも及ぶ巨大な群れを形成できた(オトナのチンパンジーが5〜10頭以上集まると殺しあったりするらしい)。精神が未成熟な子供であるから好奇心が旺盛で、いろんな道具を発明できた。未成熟であるから触れ合いや温もりを求め、大人になっても優しい抱擁やキスを喜び、オスの場合は(栄養としては不要なのに)「おっぱい」を求める。未成熟な外見が「モテ」て「子孫を残す」ための大きな要素になると、その子孫にも未成熟な形質は遺伝する。そーやって、世代を重ねるごとにヒトは「幼児化」のレベルを高めてきた。幼児に不安は付き物だから、ちょっと「頼りになりそうな」リーダー(政治家・宗教家etc)にホイホイ付いて行く。不安な一方では、未成熟だから危険に対する判断力もほとんどなく、新しい事象や興味をそそる事象にやたら手を出し、痛い目を見る。自分が悪いくせに、痛い目を見た後は「親」に見立てた対象(いわゆる「お上」とか)に頼る。未成熟だから気分屋で、さっきまで笑ってたかと思うと急に見境なくキレたりする。未成熟だから競争心がほとんどなく、「みんなと同じ」ことに安心する。世界の中でもモンドロイドは最も幼児化が進んだ人種で、その理由は・・・ と、「未成熟」「幼児化」をキーワードにすると、ナルホドいろんなことが腑に落ちる。学術的にこの解釈がどの程度認められてるとか知らんが、とにかく、おもろい。そして、俺もまだまだ「幼児化」が足りんなと、改めて思い知らされた。 |
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| 2007年12月8日 雨だったか 農研のスポレク兼忘年会に出て日付変わって帰ったぐらいしか覚えてない。 |
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| 2007年12月7日 小雨 どうも腰が重い。つーか仕事全部終わったのに、ミソギに行ってなかったってことでジェット風呂。ぼくちんは人見知りするシャイでカワイイお子様だから、平日昼間の温泉にしか行きたくない。温泉に限らず、とにかく「人ゴミ」は嫌い。人ゴミを定義する人口密度とかがあるかどーか知らんが、俺の感覚では、学校の1学級よりちょっと少ないぐらいになると「人ゴミ」。あれの半分ぐらいなら、まぁOK。 昨日からのエサを食い終わった。メニューはこちら。 和田秀樹 1999.『<自己愛>の構造』講談社. 久々に食った新種の心理学エサ。フロイト系じゃなく、コフートっていう別な人の系統のネタ。コフートってのは知らんかったので、どんなもんだかと買ってみたわけだ。中身としては、半分以上がコフート学説の紹介みたいになってる。が、肝心のその部分が分かったようで分からず。後半になって、その見地から現代の精神病理に関する解釈が出てくる構成だが、そっちを先に(あるいは織り交ぜながら)書いてくれれば良かった。具体的事例への解釈は目新しく読めたが、やはり全体としては一回読んだだけじゃ難しい。 まぁ別に、精神科医になるつもりじゃなし。俺が心理系のエサを食う理由はただ一つ。より「自分」を知るためである。その解釈・理解が、客観的に正しい・妥当と認められずとも、俺が納得できりゃいい。まさに自己満足。ただし、ちょっと偉そうなことを言えば、「自分自身を知ること」とは、他でもない自分自身に対する「リスクマネジメント」活動である。俺にとって最も重要なのは、「自分自身に危害を加える可能性」がある精神を理解し、これを未然に抑えることであるから・・・って自覚があるのに、何か「やらかす」あたり、あんまし功を奏してないとも言えるが。 |
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| 2007年12月6日 曇時々小雨 グウタラ起床して、ふと思い立って「近々ヨメに行く」車の内部清掃をしてやったぐらいか。単純計算して、この車は5年間の累計で2千万円分以上のトマトを運び、7500km走行ぐらいで買ってから地球一周分は走ってきた。50万で買った車がそれだけの仕事をしたわけで、そう考えると十分に機能したと思う。 |
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| 2007年12月5日 雪 昨日の流れで、経済の入門書を引っ張り出した。それでふと思ったのが、プロ野球のFAとか契約更改とかの件と農業保護政策。 当たり前だが、プロ野球選手ってのは、野球のプレーに関して並外れたスゴイ能力を持っている。だからこそ、年俸ウン億とか破格の数字が出てくるわけだが、その能力は、ボール・バット・ミット・スパイクetcの道具がなければ活かしようがないし、何よりもグランドとかの広い場所がなけりゃ野球などできない・・・これも当たり前だが、「野球」って一口に言っても、選手がいるだけじゃ成り立たない。それなりの能力を持った選手の他、しかるべき道具、及びしかるべき場所という3つが揃って、初めて「野球」が成立する。ただ、これら3つの要素は、密接な関連を持ってはいるが、「商品(選手の技術・能力だって商品には違いない)」としては別々のものとして市場に存在している。 何が言いたいかってーと、プロ野球選手にして、野球道具を自分で作り(あるいはメーカー社長であり)、球場の所有者であるという人はいないってこと。もし、「野球」の存在形態として、上記3つを兼ね備えてることが普通だったとすれば、恐らく野球のレベルは今現在よりも低くなっていたはずだ。選手としてトレーニングをしつつ、道具の改良にいそしみ、球場の維持管理なんてやってたら、それぞれのレベルを上げることに集中できない。いわゆる分業により、選手はトレーニングに集中、道具メーカーは道具の改良に集中、球場オーナーは球場の維持管理に集中することで、現在知られているレベルの「野球選手(=技術・能力)」「野球道具」「野球場」があるわけだ。 一方で農業はってーと、まぁ「道具」についてはほとんどメーカーから購入するにせよ、「技術・能力」と「場所」をいっぺんに扱ってることになるわけだ。んで、いわゆる農業保護政策とかってなると、まぁ一応「担い手の確保」と「農地の維持・保全」は別々のネタとして扱われてはいる。だが、考え方の基本としては、その土地を持つ人(あるいは借りる人)が、そこで農業を営む担い手ってことになってると思う。 次元が全く違う感じは否めないが、例えば、日本国内の野球人口が減って、輸入農産物ならぬ「輸入野球選手(?)」が席巻することを危惧して、政府が「国内野球保護政策」を実施するとした場合、「球場を持つ人が選手になれる」って方向になったらオカシイはずだ。自分の能力を高めるだけでも難しいのに、さらに球場っていう経済的に大きな条件も付いてきたら、ハードルが高すぎて、例え野球が好きでも、野球選手になろうと思う人はほとんどいなくなる。もしかしたら、「野球がしたくてしょーがない」っていう潜在的な人口は結構大きいかもしれないのに、である。つまりそーいう方向での政策では、「保護しているつもり」「仕事をしているつもり」にしかならないのだ。政府が税金を使って自己満足のオナニーをしていると言ってもいい。 ともかく、プロ野球的なやり方を、適用できる範囲で農業にも取り入れたらオモシロイんじゃないかと思ったのだ。農機・道具の改良は現状で既にメーカーがあるから、差し当たりそのままでいい。選手たる農業者について、その肥培管理技術の洗練(加えて体力づくりも含む?)に集中できる環境を作るのだ。農業高校・農業大学校ってのは、まさに基礎的技術の育成機関として活用されなきゃいかん。高校野球ならぬ「高校農業(どんなだ?)」があったらいい。そこで「優れた肥培管理技術や体力を持っている」と認められたら、「プロ農業」の世界にスカウトされていく。 で、ハードルになってる農地とか施設について、まぁしゃーないから手始めに独立行政法人管轄とかの「国営農場」を作って整備するとしよう(まさにソ連式だ)。んで、技術を持った農業者を選んで契約を結び、「その技術を提供」してもらって、ハイレベルな農業生産を行う。ある程度のビジネスモデル的なものができたら、今度は流行の「民営化」「民間企業の参入」だ。球場のオーナーよろしく、大規模かつ機械・施設とも十分に整備された農場企業(旧来の地主とか異なる)があって、「プロ農業者」と契約を結び、「プロ農業」を展開する。もちろん、成績が上がらなければ「二軍落ち(草刈り専門、とか)」「戦力外通告」もあるが、FAだってできる。自分の技術・能力に自信があるなら、アメリカの「メジャー農業」に移籍したっていい。年取って現役引退宣言したら、「若手の指導」にあたってコンサル料みたいなのを取ってもいいし、金を貯めておいて新たな「農場オーナー」になったっていい。 ・・・俺が「新規就農者」っていう立場だからかもしれんが、そんな農業もアリかなと思った次第。 |
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| 2007年12月4日 雪 昼前起床。今日から「無職」であるから、ソンナノカンケーネー。いや、百姓仕事があったって同じである。やるべき(と、自分で判断した)仕事が片付けられるんなら、昼過ぎまで寝てようが何だろうが問題ない。 さて。無職生活に備えて用意していた「備蓄」を紐解いた。備蓄とは金ではない。今日のエサはこれ。 C.ダグラス・ラミス 2004.『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか』平凡社. まだ途中だが、何かのCMのキャッチにあった「常識を疑え」ってフレーズがピッタリの中身である。だいたいどのページを開いても、「うんうん、そうそう」「なるほど、その考え方はオモシロイ」「フッ(シニカルな笑い)」を誘う。逆に、資本主義のドグマに心酔しきってる人には、「何をバカなことを」と一笑されて終わるのかもしれん。 例えば、第四章「ゼロ成長を歓迎する」にある、「豊かさの質を変える」という節には、「給料が減っても、自由時間が欲しい」という希望があるにもかかわらず、実際にはそうできないことについて、 『そういう恐怖があるのは、社会の安全(セーフティ)ネットが弱いからだと思います。競争社会というのは基本的にそういう構造になっている。この仕事が楽しいからやる、あるいは続けるというよりも、馘(くび)になったら私はどうなるだろうか、仕事を失ったら私の家族はどうなるだろうか、子供はどうなるだろうかという恐怖が競争社会の原動力になっている。/共生の社会というか相互扶助の社会が実現し、お互いに、誰でも例外なく面倒を見合えるような、そういう本当の意味の安全保障(セキュリティ)のできた社会であるならば、その恐怖は減るはずです。その恐怖が減れば、健全なゼロ成長の社会は可能になるのではないか。』(p139) んで次節では、一つの形として「対抗発展」という提案をしている。 『すなわち一つには、対抗発展は「減らす発展」です。エネルギー消費を減らすこと。それぞれの個人が経済活動に使っている時間を減らすこと。値段のついたものを減らすこと。/そして対抗発展の二つ目の目標は、経済以外のものを発展させることです。経済以外の価値、経済活動以外の人間の活動、市場以外のあらゆる楽しみ、行動、文化、そういうものを発展させるという意味です。経済用語に言い換えると、交換価値の高いものを減らして、使用価値の高いものを増やす過程、ということになります。』(p141) 値段のついたものを減らす・・・農業で言えば(これも誤解を生むんだろうが)、自給的農業への歩み寄りってことになるだろう。自分では何一つ農産物を作らず、何でもかんでもスーパーで買うんではなく、例えばキューバ的都市農業をならって、ある程度は各人が自分で農産物を作る、とか。 2つ目の「使用価値の高いものを増やす」については、結局は根本から変えんと、やっぱしどーにもならんのか、この後でこう出てくる。 『とにかく毎年経済成長をしなければならないシステムであれば、「本当に必要な物」に限って生産できるわけがない。いらない物を生産して、それを広告でなんとか売り込んでいく、そうしないと成長は続きません。』(p153) まさに、「足るを知れ」であろう。経済の原則では、市場にある(ってか売れる)商品ってのは、例えそれが銃だろうが麻薬だろうが偽ブランド品だろうが、「必要だから」存在するって前提になっている。しかし、「必要なもの」ってのを改めて考えると、必ずしも市場の商品全てがそうであるとは言えないんじゃないか?俺も人のことは言えないが、今、自分が「必要だ」と判断して購入している商品も、単に広告にあおられて手にしているだけだったりする場合が結構あるんじゃなかろうか。 そして同じく経済の原則においては、競争が活性化し、より効率的な生産を可能とする企業が生き残っていくことで、最終的には「希少な資源の効率的使用・配分」がなされることになっている。だが、ちょうど夕方のニュースで「税関での偽ブランド処分」ネタをやってたから書くが、そうでもない面もあると思う。偽ブランドは、例え偽モノでも、最終的に消費者の手に渡れば、一応「資源」としては利用されていることになる。偽モノであることを除けば、使えるものであることに変わりはない。なのに、税関で没収⇒切り裂いて廃棄では、文字通り「希少な資源のムダ」にしかならない。ドイツだったと思うが、飛行機内への液体持参規制によって搭乗前に没収されたジュースとかを、養護施設とかに無償で配布しているとかのニュースを見たことがある。同じように(細かい問題はあるかもしれんが)、偽ブランドの服とか時計とかバッグとかも、「交換価値は高くない」にしても「使用価値のある物」には変わりないんだから、施設とかに配布したらいいんじゃないかと思ったり。 いやまぁ、久々に面白い本を見つけた。それから、松尾翠は、かわいい。 |
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| 2007年12月3日 片付け完了=冬眠開始 小雨 前に頼んだ肥料の共同購入値引き交渉の件で、Sさんが説明に来た。10kg1袋当り500円ぐらい安くなる見積もりが出たんで、それで頼むことにした。事務的には「てきとーな団体」を作り、団体(の中の個人)扱いで購入することになるらしい。つまり「ナンタラ組合」的なネーミングが必要である。実体はないわけだし、まんま「ナンタラ組合」って名前もアリかと思っている。第二候補としては、OK−Fシリーズの肥料を買うってことで「OK組合」とか。 ・・・記号論とか小難しいことは知らんが、よくよく考えると言葉ってのはオモシロい。既にそこにある事象・概念を示すために、抽象化されたものが「言葉」って考えは、今回の場合よく分かる気がする。共同購入参加者として、俺とOさんとKさんと玉庭のKさんの4人は存在するが、それを一括して抽象する概念は、今のところ存在しない。この状況下では、単に羅列的に「俺とOさんとKさんと玉庭のKさん」と表現するしかない。メンドクサイ。だが、例えば「OK組合」というネーミングをすると、「おっけーくみあい」という発音をするだけで(その言葉の意味するところを知る人には)、「俺とOさんとKさんと玉庭のKさん」のことを指していると認識される。簡単だ。分かりやすいし、何より、「効率的」な情報伝達が可能だ。社会の発展が、言葉の発明と密接に関係してるってものうなずける。しかし、「分かりやすい」と思えることほど、「実はよく分かってない」ことになる可能性にも注意しないといかん気がする。 まぁ、「OK組合」という言葉は、極端に限定的なネタだから誤解の余地はほとんどない。だが例えば、「宗教」という言葉を聞いてイメージするものは?「政治」という言葉なら?「有機無農薬」なら?「安全安心」なら? ある特定の言葉について、万人が共通でブレ・誤差のない概念を持っているのでない限り、言葉によるコミュニケーションには、「伝わっているようで伝わっていない」という誤解・不確実性が伴う。言葉は、思ってるほど忠実に全てを伝えることが出来ない。何かの本の受け売りだが、特に「分かりやすいと思う」ことほど、注意して向き合うべきだろう。思い当たるフシはあるんじゃないか?「農薬」=「危険」、「化学肥料」=「危険」・・・あぁ分かりやすいねぇ。 YUIの「Why?」って歌詞には、こんな一節がある。 ♪どうして人は言葉を持ったのだろう?♪心が見えにくくなる まぁいい。今日は今期最後の出動。コマゴマ片付けは全て完了した。あとは冬眠するのみ。若いんだから働けって?やなこった(-o-)y=~~ 特に金が必要じゃないのに、何でアクセク稼がねばならんのだ? |
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| 2007年12月2日 小雨 ダルいし雨だしで休みにしようかと思ったが、先は長くないし、当分は晴れない予報なんで動くことにした。外回りのコマゴマを片付け。昨日の段階で実質的に俺の管理を離れたディゾンが、何かを訴えてるようにも見える。 「アタシ、捨てられるの?」 「すまない、ディゾン。」 「どうして?なんでよ?」 「君が重荷になったんだ。」 「そんな・・・気に入らない所があるなら言ってよ。直すようにガンバルから。」 「いや、言っても直せない。そもそも構造上の欠陥だから、部分的に直してどうなることじゃない。直すとすれば、バラして建て直すしかないんだ。」 「じゃぁ何?もともとアタシの事なんか好きじゃなかったってこと?遊びだったってこと?」 「俺が君に対して、好きだ、と一度でも言った事があるかい?君のその構造は、最初から気に入らなかった。でも、2つより3つ、もっと気持ちよくなるなら構わない・・・3年前の俺は、そう思った。」 「ひどい・・・サイテー。」 「でも最近、俺は気づいたんだ。問題は快楽の量じゃなく、その質だってことに。薄い3より、濃い2の方が、より気持ちいい自己満足を得られると。」 「そう。結局あなたって男は、自分のことしか頭にないのね。」 「当たり前じゃないか。言い訳に聞こえるかもしれないが、一つ教えておこう。老若男女、人間って奴は皆、基本的に自分のことしか考えちゃいない。他者に対する気遣いなどキレイゴト。気休めの欺瞞・演技に過ぎない。もし人間が、本気で他者に対する思いやりの情を持っているなら、どうしてこんな生き難い世界ができあがるというんだ?戦争・虐殺・環境破壊・経済格差、身近なところではイジメ・差別・偏見と、どれを取っても、他者に対する思慮がないから発生するんじゃないのか?」 「・・・何を言ってるのか分からないわ。」 「じゃあ、これだけは理解して欲しい。そーいう世界にあって、自己満足至上主義を掲げる俺は、最高に正直な男だってことを。」 「そんなの分かりたくもないわ!あなたが正直かどうかなんて、アタシにとってはどーでもいいことだわ!」 「ほら、やっぱり。どーでもいい、ってことは、俺という他者に対する思慮がないってことじゃないか。」 ・・・俺もだんだん分かんなくなってきたからやめようね。 |
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| 2007年12月1日 曇 ひたすら屋根巻上げ。午前中2棟、午後1棟と1日で3棟一気に上げたもんで、足腰腕肩全部に来た。久々にアイスラブのお世話になったが、雪・雨の中での作業じゃなかっただけマシ。 昼前には車屋で見積もり持ってきてくれた。諸経費込み約130万−下取り20万=約110万。予想通り下取りは本来ゼロらしい(10年前の車だから当然)が、まさに軽箱の中古探してる客がいるらしく、「今月中の引渡しなら」って条件で下取り20万を提示された。中古50万で買って、5年使用、約5万km走行の車が20万って・・・まぁ、通常値引き分も含んでるんだろうが、十分だろう。減価償却のキリがいいように1月注文の予定だったが、週明けにも発注しようと思う。 |
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