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| 2007年3月上旬の作業日誌 | ||||
| 2007年3月10日 曇 先日買った、「ムツゴロウさん」の本を読んだ。(リンクはアマゾンの紹介ページへ) 畑 正憲 2006.『人という動物と分かりあう』ソフトバンク新書. まず、本文中で本人が「章立てなんか計画していないし、ひと筆描きみたいになっている」と書いてる通りの本である。もうなんつーか、その時その時で頭に浮かんだことを、ひたすら字に起こしていった感じで、「ちょっと待て。今、何の話してたんだっけ?」と、何度も振り回される。悪く言えば、「本」としては、全くもってまとまっていない・・・ とか、そんな偉そうなことを言える立場ではない。何か書くとなれば俺自身、(書き始めるまでの「溜め」はあるが)最初の一句を書き始めれば、ほとんど「ひと筆描き」に近い。だだだだーっと書いて、書き尽くしたら、ハイ終わり。俺が今までに書いた文章で一番長いのは卒論に間違いないが、それにしたって文章全体だけで言えば実質2〜3日、ほぼ徹夜で書き上げた記憶がある(もちろん、後からパーツを並べ替えたり表記を直したりの作業は要した)。 もう、こーいう所にも、コツコツ持続して仕事ができない性分が現れている。動く時に一気に動いて、動かない時は本気で動かない。エネルギーの均等配分が苦手というか、そーいう意味では「絵描き」の血が、イヤでも流れてることを認めざるを得ない。なんぼモチーフに感動を覚えたところで、その瞬間の感動は短い寿命しか持たない。ホヤホヤの感動を、よりダイナミックにリアルに観る者へ訴えるには、まずは己の感動が醒めない内に、エネルギーを集中して一気に作品を描きあげないとイカン。「今日は構図を考えて、明日は下書きして・・・」とかやってるうちに、そのうち自身の感動が薄れていくだろうし、出来上がった作品も訴える力に欠けるものになると思う・・・まぁ、俺のオヤジがそーいう描き方をしているようには見えなかったが、本人も言うように「才能」はなくても「努力の末のテクニック」があったんだろう。 っと、俺も脱線。ムツゴロウさんの本に戻ろう。今回、俺とおんなじような書き方をした本に初めて出会ったわけだが、逆にそれが、まさに目の前でムツゴロウさんが好き勝手に喋ってるような、妙にリアルな感じに繋がっていて、まずは「書き方」として面白い本だと思った。中身については、タイトルで言うほど「人間」を対象に直接的な記述してる箇所は少ないし、どっちかって言うと大脳生理学(っていうのか?)的な話とか、必殺の動物ネタについても特に妊娠中から離乳期ごろに関する話がメインである。ところが、馬にせよ犬にせよキツネにせよカンガルーにせよ、とにかく共通してるのは ⇒脳機能の発達にとってより重要なのは、基本的に母体の外へ出てから受ける様々な環境(自然的・社会的)因子で、 ⇒特に社会的因子の影響がまともに受けられなかった場合、その子供の脳は十分に発達できず、 ⇒結果として細かな点でおかしな反応・行動が観察され、「生物個体としての機能」は問題がないのに、群れの中(あるいは野生環境の中)で適応できなくなる。 ⇒んで、この問題を避けるためには、離乳期前後までに「まともな」環境因子の影響を受けさせることが不可欠である。その影響によって、「まともな脳(の反応機構)」=群れや自然の中で適応可能となる反応・行動を発達・学習させることができる。 と。この「離乳期前後」ってのは、人間の場合で言うと文字通りの離乳期じゃないだろう。動物の「離乳」はイコール「ひとり立ち」を意味するから、人間なら中学〜高校ぐらいの時期だろう。つまりムツゴロウさんが(あっちこっち脱線しながらも)この本全体を通して言おうとしたことは、その時期までに脳機能(学力だけじゃなく)の発達にとって「まともな因子」が十分に与えられないと、「社会に適応できない人間になりますよ〜」ということだと思う。 ・・・って、言うまでもなくみんな分かってるんだろうが、「分かってるなら、なんでできない?!」っていうムツゴロウさんの声が聞こえるような気がした。で、俺個人としては「できない理由」の根本を、この資本主義・貨幣経済社会のシステムに、望むと望まざるとに関わらず「そうせざるを得ない」状況を、ほとんど自動的に作り出してしまうシステムに見る。そーいう意味でマル経は、考えるヒントをいろいろくれるから面白いのだ。「かぶれ」なだけで別に「主義者」というほど大そうなもんではない。ただ、何の疑いもなくその仕組みにドップリ浸かって生きていけるほど、俺は大人じゃないのだ。 |
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| 2007年3月9日 曇 俺の疑問点を一つ挙げてみよう。 『カネ(貨幣)とは何か?』 んなもん、カネに決まってるべした。いや、分かってはいますよ。ええ。ただ、そーいう「ダメなものはダメなの!」的な言い方じゃ、子供の疑問はおさまらない。 例えば1万円札について見れば、福沢諭吉の肖像にウニャウニャした模様とか、ある一定の模様が印刷された「単なる紙」に過ぎない。意気地がないので実際にやったことはないが、火をつければ(たぶん)燃えるし、土の上に放置しておけば腐るだろう。まぁ、その程度のカミッペラが、「1万円という存在である」として人々に疑いなく認識・理解され、「額面に相当する他の何か」と交換できる価値・効力を持っているわけだ。あるいは、それ相応の労働によって得る(あるいは支払われる)ことができるから、「労働の証明(約束)」とか「労働の結晶」とか見ることもできる。 俺にとってこの「証明」「結晶」の面白い点は、「取っておく」「貯めておく」「貯めた分を好きな時に使う」ことが可能な点である。普通に考えて、「労働」は「貯めておく」ことができない。具体的に、トマト収穫作業という労働を考える。例えば今日、ハウスをざっと見渡したが、せいぜい50kg程度の収穫しか見込めそうになかった。その位なら、なんぼ遅くても午前中で収穫が終わる。しかし、状況によっては500kg相当とか爆発的に着色することもある。500kgという量は一人でも収穫可能だが、すんげー大変なのは事実だ。 そこで、余っている今日の午後からの時間に、例えばトマトの苗に沿って「収穫する時と同じ動作」をして「労働を貯め」て、忙しいときにそれを使えば「何もしなくても、貯めた分の労働に相当するトマトが自動的に収穫される」ということは、当たり前だがありえない。ところが、1万円という紙(神?)はこれを可能にする。「この1万円をあげる」と言えば、俺に代わってパートさんが一生懸命に「労働」して、「何もしなくても」俺は収穫されたトマトを手にすることができる。 そうして見ると、やっぱり「労働そのもの」は貯めることができないと言える。言い換えれば、労働の内容は色々あるにせよ、ひとまず俺一人が1日単位で可能とする諸々の労働の総量は、「俺一人分」でしかないことは間違いない・・・ 前に書こうとしていたネタの一つだが、やっぱし長くなりそうだし、どーやら書きながら確認してる段階みたいだから切っとく。 ついでにもう2つ疑問。 @違う通貨単位の集団の間で比べた場合、何で同じモノの価格に差が生じるのか?・・・要は、何で日本の缶ビールは200円とかなのに、ブラジルに行ったら50円相当で買えるのは何で?その4倍の差は、そもそも何に由来してる?あるいは、機能的には全く同じ部品を作るにしても、日本国内で作るよりは中国とかで作った方が安いらしい。人件費が安いからって言うけど、じゃぁ、その人件費が国ごとに違うようになった原因は何? A走行中の新幹線の中でジャンプしても、体が連結部分のドアに激突しないのは何で?いや、実際にそうならないのは、既に小学校の修学旅行の時点で「人体実験」によって実証済みだが、未だに腑に落ちていない。関連して、自転している地球の上で・・・(以下略) |
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| 2007年3月8日 曇 痴的好奇心が止まらない。マル経かぶれの走りは、確か高校2年ぐらいまで遡るか。大学でも「経済原論」の講義とか聞きにいった(ちゃんと単位も取った)が、字面で理解したつもりでも、そこには「実感」がなかった。まぁ、印象に残ってる端々については、改めて読み直すまでもなく明らかに当時から今に至るまで影響を持っている。しかし、実際に自分が(低賃金)労働者としての立場で改めて開いてみると、入ってくる程度が全然違う・・・って、実際にまともな労働者じゃない学生の身で理解しようってのが、まさに「机上の空論」になっていくんだろう。もちろん、経済の専門家から言わせりゃ色々と問題点とかあるんだろうが、マル経が基本として訴えてることは、100年以上も昔に書かれたとは思えないぐらい、現代にも相当程度に適用できるんじゃなかろうか。 そうして今、4:28分を迎えた。寝るハ。 |
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| 2007年3月7日 雪 昨日からの流れでズルズル深みにはまって・・・あぁキモチイイ。そしてクリステルは今日もイイ。 |
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| 2007年3月6日 雪だったか ふと気になる経済系の単語を検索したが最後、イモヅル式に関連する周辺情報に目移りが始まり、子供の興味は留まることなくどこまでも。もはや最初に何て単語が気になったかすら忘れている。まぁ、単純労働であるナイターバイトの日々が、中途半端なマル経かぶれの知的(つーか痴的)好奇心を久々にくすぐりはじめたってことだろう。 夜は農研三役会で暫定決算の確認。 |
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| 2007年3月5日 曇後小雨 「こたえてちょーだい」頃に起床。中村仁美ちゃんはかわいいなーと思いつつ、今日もグウタラ。午後にファームから、除雪機にスプリング絡んだまんまだから取れって連絡あって出て、夜は今日もセンターで疎外的労働に従事してきた。 リンゴの選果とは、一言で言えば、「1時間¥650で動き続けるUFOキャッチャー」になることである。機械によってサイズ別に転がり落ちてくるリンゴを、何も考えることなく、条件反射的に「機械のオプション」と化してただひたすら拾い上げ、一つ残らずコンテナに収めていく。そこに面白みなどありはしない。「物を拾い上げる腕、および付随する機能一式」という労働力を、1時間¥650で販売する、ただそれだけのことである。 「3単位」売り、単純な掛け算で¥1950という金が得られた。そして、別段緊急性を持たない「小腹が空いた」「酒が欲しい」という瑣末な欲求のために、だいたい2単位分が消えた。ハンパに残すのもシャクなんで、さらに「ちょっと甘いもんが食いたい」とかこれまた不要なゼイタクを思いついてアイスクリームなんかに手を出し、見事に3単位がすっ飛んでいった・・・俺は、一体何のために3時間を費やしたのだ?そうして得たものに「労働3単位分」の価値はあったのか?欲してもいない金を得るために労働し、その労働がなければ欲することもなかったであろうモノに金を費やしてみたわけだが、何とも言えない空虚な感じしか残らなかった・・・センターでバイトすると、労働と金ってものをイヤでも考えさせられる。 しっかし、見事なぐらいになーんもやる気にならない。こーいう状況で澁澤なんか開いてるから、さらにグウタラな己が気持ちよくなって、より一層なーんもやる気にならない。「弛緩期」に入ってんだから、別に焦って「興奮」する必要はない。なんつーかな、澁澤の受け売りになるが、どうも世の中ってのは、「常に興奮・緊張していなければならない」的な強迫観念に満ち満ちてるように思えて仕方ない。んなもんに合わせてたら疲れるばっかである。 |
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| 2007年3月4日 曇時々晴 午後出動で屋根の穴あきテープ止めしたぐらいか。 |
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| 2007年3月3日 晴れてたんじゃなかろうか 腹へって10時前に起き、とりあえずメシ。ひたすら脱力感にとらわれ、昼過ぎにまた寝て夕方に起きた。んで夜はセンターへ。 つまるところ、ガンなのだ。ナイター兵役の3時間が。もう、「その3時間が俺のものじゃなくなる」ということが判明している時点で、残りの21時間が全てどーでもよくなってくる。ひとんちの手伝いしてもそう。例えば先日のように、午前中に定植手伝いに行ったら、午後はどーでもよくなってしまう。気分の切り替えができないというか、時間の独占欲が強いというか、とにかく、1日24時間丸々が自分の支配下になければ気がすまない。例えちょっとでも俺の支配を離れるのであれば、残りの時間全てが、「どーでもいいベハ〜ウイルス(仮称)」の感染によってムラなく侵食されていく。そして、何らかの合目的的行動へと向かわせる意欲が、ほとんどシャットアウトされてしまう。 デジタルなもんで、例えばヤマトに行ってた場合のように朝から夜まで拘束される場合、それはそれで「俺の支配を完全に離れる日」として認識され、中途半端に非拘束時間を求めようとはせず、「どーせならとことんまで拘束されてやる」ぐらいに思っているフシすらある。1年365日は、俺の中では日々「ハレ」と「ケ」のごとく、「完全支配の日」と「完全被支配の日」に区別される。んで、それは同時に「価値のある日」と「価値のない日」と言い換えても、俺の中では大きな間違いではない。 |
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| 2007年3月2日 晴 朝はKさんの屋根張り手伝い。ホウレンソウ食わせてもらったら甘さにびっくり。ついでに葉物の実態を聞いたが、北国で後作にちょいと栽培するぐらいじゃ「合わない」らしいことが判明した。結局ああいうのは、とにかく面積張って、ひたすら回転数を上げ、薄利多売式に量で勝負するもんなのだろうという理解に至った。果菜よりは日持ちの面で圧倒的に不利だし、近郊農業で本腰で葉物やってる地域に立ち向かうにも、特に際立ったセールスポイントがあるでもない。やるなら直売なり有利な販売ルートを模索するなりしないと、叩かれて終わるんじゃないだろうか。 昨日から試してるGmail。早速確認したら、なんもいじってないデフォルトで見事にスパムを振り分けしてくれている。期待以上だが、マジメなメールまでスパム扱いされるんじゃ困るんで、当面はこまめにチェックして様子を見てみる。 |
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| 2007年3月1日 晴れてたか 午前中はHさんの定植手伝いに出て、屋根張りの腰痛がぶり返し、昼飯食ったらダルくなり、ごきげんよう見た記憶を最後に寝た。夕方には起きて、ここんとこさらに増えてて放置していたスパム対策を模索。なかなかの精度でスパム排除してくれるらしいし、何より手っ取り早そうなんで、グーグルの「Gmail」に転送して使ってみることにした。 |
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