http://www.agrik.info
■Home お問い合わせ・「戒め」は・・・スパム対策として、アドレスの画像表記を行っています。
  ※管理人からお願い・・・初めて来られた方で、しかもジックリ読む気のある方は、最初に 『このサイトの目的』 を御覧ください。断り書きがあります。
  ※リンクについて・・・・・・当サイトはリンクフリーですが、リンク先はトップページにお願いします。相互リンクご希望の方は コチラ を御覧ください


←8月中旬へ  過去の日誌倉庫へ  9月上旬へ→
05年8月下旬の作業日誌
2005年8月31日  森林伐採
 晴
 昼過ぎに起きた。現実逃避の前後からずっと、常にあーでもないこーでもないと考えながら日々過ごしてるんで、たぶん体より脳ミソの方が疲れてるんだと思う。んじゃ、なんでそーやって考えてるのか、何を求めてるのかってーと、自分でもよくわかってない。考えることが目的化してるのかってーと、そーいうわけじゃないような気もするし・・・ただ、確実なのは、こーやって何かを考えてる俺ってのは、別に意識してそーしてるわけじゃないってこと、か。デカルトさんが「我思う、故に我在り」とか言ったらしいが、そーいう状態に近いのかもしれない。
 15時過ぎに涼しくなってからハウスに出て、草刈機でフルティカ2棟で暴れてる茎をカット。この過程で実もだいぶ犠牲になったが、別に良かろう。通路が100m見通せるようになった。芯止めも後でやるつもりだったが、面倒なんで最後まで放置することにした。誘引しなけりゃゴチャになってそのうち収穫できなくなるだろうから、適当なところで終わりにする。

2005年8月30日  なんかスッキリ
 曇時々晴
 ゆきえ収穫90枚、A品62枚、挿し木約30枚。
 現実に戻ったってことで、ハウス内のジャングル現状(1,2枚目)と、北の壊滅域(3枚目)を撮影。通路を歩くと茎が首に引っかかり、しかも複数なもんで、無理にそのまま首で引きちぎろうとすると苦しい。去年の直立挿し木ジャングルでも、ここまでにはならんかった。カンパリだけはもうちょい管理しようと思うが、フルティカについては今後誘引する気はない。明日にでも草刈機で通路に飛び出てる茎をぶったぎり、さっさと芯止めする。ゆきえの萎ちょう病については、2ベットがそれぞれ半分ぐらいまでドミノ倒し状に死んでる。ここまでやられてるのに、何で隣のYD区だけ元気なのかが不思議である。
 現実逃避中から昨日までいろいろ考え、わざわざ意識して持っていた金に対する執着みたいなものを捨てたことで、何か気が楽になってスッキリした。開き直りのスッキリ感かもしれんが、そーいうのとはどっか違う気がする。自分に正直に生きる俺が、他でもない自分自身についていたウソをやめたから、か。
 今考えてるのは、来年の経営面積について。全力やれば俺一人でも3棟はどーにか管理できるし、全部カンパリなら、低く見積もった売り上げでも600万にはなる=概算で300万の所得になるだろう。ただ、今の俺が百姓として食っていくのに、そんな金は必要ない。必要ないもののために、全力でやる意味はないし、その金に「つまらなく」農業をやるだけの価値があるかっていうと、そうは思えない。苦心して余計に手に入れた金を使って得られる楽しみは、農作業をする楽しみを上回るかって考えると、大して変わらんどころか、むしろ小さい気がする。がんばって金を得ようとするだけ、自分の楽しみを犠牲にすることになる。
 全力でやればその売り上げを出す技能はあるわけだから、「必要になった時」あるいは「その金を欲した時」にやりゃいいだけのことで、必要でもない欲してもいない時にやる理由が見当たらない。2棟の管理なら、「野良仕事を楽しみつつ」食っていける=本来、俺が目指していたスタイルが実現できる・・・
 よって、来年は2棟400坪の経営に縮小しようかと思っているところ。ちょっと前の俺なら「らしくねーな」とか思っただろうが、今はそーいう気持ちも起こらない。よって、これはウソのない本心だと思ってるんだが、「一時の気の迷い」って可能性もあるわけで、今作が終わるまで結論は待つことにした。

2005年8月29日  俺の夢って何だっけ
 晴
 みほ収穫。房単位でゴソっと染まってる。比べやすいんで、AB選別しながら収穫してみた。全95枚、A品61枚、挿し木約18枚。中6日になったわけだが、割れは通常出るより若干多い程度で済んだ。
 昨日、今日と時間を気にせずマイペースに収穫したせいか、なんか無理に努力して「必要以上の金」を稼ごうとしてた自分がアホらしくなってきた。元々、「金儲け」する気で百姓になったわけじゃねーのに、いつの間にか「金儲け」をするために仕事して、無意味に「上り直線」に乗っかろうとしている自分に気が付いた。
 金儲けじゃないにせよ、より多くの金を簡単かつ確実に手に入れることが目的なら、イヤらしい話だが「大卒」の肩書き使って就職した方がいいに決まってる。ただ、際限なく拡大する欲望に「直線的に」付き合ってたらキリがねーし身が持たんだろうから、俺は「一人で勝手に同じ所をグルグル回る」ことを選んだはずだ。そして、誰にも踊らされたくなんかないのに、自分から進んで金っていう他者に踊らされてるような気がしてきた。
 そーやって踊らされて、本気で欲しがってもいない不必要に多くの金を手に入れたとして、俺よ、何を望む?
 豪華な家に住みたいか?
 高級車に乗りたいか?
 毎日贅沢なメシを食いたいか?
 ブランドの服でも着てみたいか?
 「金持ち」っていうステータスが欲しいか?
 ・・・んなこと、今の今まで本気で望んだことがあったか?
 ただ、己の気ままに百姓して、食っていけさえすればそれで良かったはずで、それこそが俺の夢だったはず。そしてその夢が達成されて3年目に入った今、つまり「夢の真っ只中」である俺には、本気で願う「夢」がない。
 別に、実現した夢が、描いていたイメージとかけ離れて疑問を感じてたりするわけじゃないが、なんかその「夢がない」っていう状況に、納得できないって言うか物足りなさっていうか・・・まぁボキャブラリーが不足してうまく表現できんが、とにかく「何か夢を持たねば」「上を見て進まねば」とかいう、義務感?強迫観念?みたいなのに、どっか捕らわれてた気がする。その結果、たぶん他人にも分かりやすいし、一見すると当たり前でもあるし、「夢」として手っ取り早かったんだろう「百姓で金を稼ぐことが、今の俺の夢だ」みたいに、知らぬ間に言い聞かせるようになってたのかもしれない。
 金なんていう、本気で望みもしないどーでもいい存在に惑わされ、いつの間にか自分の夢を自分でぶち壊し始めていたのかもしれない。
 もちろん、こーやって書きながらも、今年の敗北を受けた、自分自身への言い訳のようにも思える部分はある。何を弱気になってるんだ、みんな努力して苦労して金を稼ごうと必死に働いてるんだ・・・そーいう思いはある。
 しかし、なんで多くの人は必死になって苦労して、基本的衣食住に必要な以上に金を稼ごうと努力するのかが、どうも俺には十分に理解できない。そーいう己の意識を遡れば、俺には「必死に働きたくなんかない」「仕事なんかしないで、遊んで一生終わりたい」っていう思いがあった。ハタから見れば単なる肉体労働でも、俺にとって農作業は、十分「遊び」として受け取れるものだった。それが、不必要な金を望んだ途端、努力と苦労を強いられる「仕事」に変わって、面白みがなくなった。
 努力とか進歩とか、そーすることが美徳だっていう一般的認識は確実にある。そして、人類の歴史はそーいうことの積み重ねであって、その結果として今の世の中がある。んで、なんでそーいう風に多くの人が歩んできたかってーと、いろんな意味での「もっと」っていう欲望を満たさんがためだった。つまり、際限なく拡大する欲望を満たそうとする行為が、美徳とされて奨励されてきたわけだ。
 農業だって、安定した食糧の供給によって、人々の胃袋の「もっと」を満たそうと、いろんな技術革新だの増産策だのが講じられてきた。だが、今や食い物は溢れ、食い物があるのは当たり前になり、食い物があるっていう基本的なありがたみさえ忘れられている。そんな状況なのに、農家は農家で、とにかく自分の利益を上げようと、まだ増産を目指す。結果として生まれているのは、過剰に流通する農産物によって低迷する価格に悩む農家自身の姿である。もちろん、薄利多売的に利益を上げることはできるし、何らかの付加価値をつけることで差別化して有利販売することもできよう。が、物が溢れてるのにまだ増やそうとするのは、どう考えてもバカげている。自分で自分の首を絞めてる構図になってるわけだ。
 もっと考えると、食糧を作ってる農家が「食っていけない」ってのもおかしい。もともと農業は、経済機構に組み込まれた産業じゃなく、食糧の自給手段だったはず。まぁ、余剰な分を都市部で生活する人に販売するぐらいのことはしただろうが、基本的な生活を送るためには、現代の農家ほど「金」を必要としなかったはずだ。それが、金を望み、基本的生活以上のことを望み始め、金儲けには効率の悪い「種々雑多な作物栽培」をやめて、(自分でやってて言うのもなんだが)例えば「トマト専作」とかの経営に転換しちまうから、今までは不要だった基本的生活の部分にまで金が必要になったわけだ。
 結局、不必要に拡大した欲望を満たそうとすると何にも生みやしないどころか、場合によっては自分に降りかかって害を及ぼすってことだろう。環境問題なんかも、同じ構図じゃないだろうか。
 そーいや、刺激には慣れってものがあって、同じ刺激に一度慣れちなうと、次はそれ以上の刺激じゃないと反応しなくなるらしい。つーことは、そのうち、「死ぬほどの刺激」じゃないと反応しなくなるのかもしれん。
 久々に長くなったな。寝る。

2005年8月28日  職場放棄
 曇
 昼過ぎ2時ごろ起きた。やる気なんか全くないんで、今日も職場放棄。まぁ別にどーなろうとかまわんべ。夕方まで逃避中の日誌をちゃちゃっとあげて、ぼけーっと湿原の写真見て現実逃避の余韻を楽しんだ。
 夜はこれから箱でも折ってみようと思う。

2005年8月27日  現実への帰還&18週経過
 山形 晴
 5:30、新潟に入港。ジメジメした空気が、いやがおうにも内地を実感させる。なんで帰ってきたんだろ?つーか、なんで帰るつもりでフェリー予約入れた、俺よ?
 8時には飯豊に帰還し、一服して1時間後にはカンパリの収穫を始めた。現実逃避の結果、「どーでもいい感」がさらに倍増した感じ。各棟とも茎は伸び放題でゴッチャゴチャだが、なーんも思わん。チンタラダラダラ収穫して152枚、挿し木は約50枚、7時間かかった。割れは意外にも通常出る程度で済んだ。中5日でもカンパリは問題ないと思われる=来年3棟カンパリなら、1日半棟収穫も可能かもしれん。
 夜は逃避中の日誌あげるつもりだったが、ダルくてさっさと寝た。

2005年8月26日  現実逃避最終日
 小樽、日本海 曇時々小雨
 7時頃、ターミナルに集まってきた周りのエンジン音で起きる。乗船手続きは秋田で済ませてるから、出航の1時間前ぐらいまでは動ける。今回最後の目的「小樽でウニ丼の朝飯」を食うため、鱗友市場へと走る。釧路みたいにデカくはないし勝手丼みたいに自分で選んで食えるわけじゃないが、市場だけに4時から営業してる食堂があり、そこで朝からウニ丼を食うのだ。結局、いろいろ食いたくてウニ、イクラ、イカの巴丼にサンマの刺身を付けた。ちなみに俺は、貧乏人のクセに特にウニには舌が肥えてしまってる(北海道来たら必ず食っている)んで、そこらのスーパーで売ってるロシアだのカナダあたりのウニでは納得できない。後味がぜんぜん違うのだ。
 メシ後は旭山に登って市街地を眺め、9時過ぎにはターミナルに戻った。以下、小樽市街の鳥瞰と、新潟行きフェリー「ゆうかり」。
 実質、たった1日しかいられなかったわけで非常に名残惜しいが、現実に戻るべくフェリーに乗り込む。10:30、予定通り出航。海上は曇に雨交じりで、あまり見られるものがなかった。晴れてれば奥尻も見えるらしい。以下、積丹の神威岬と、夕方になんとか撮影した大島(松前半島沖)。
 船上でも、今回の放浪中ずっと考えてた「子供電話相談室」的テーマについて頭を巡らせていた。そのテーマは「おとなって、なんではたらくんですか?」「なんでおとなは、おかねをかせがなくちゃいけないんですか?」ってもの。金が無いから必然的にこーいうテーマになったんだろう。
 自分なりに答えみたいなものは見えた気がするが、ここで書くには長すぎるんで、『貨幣経済社会の”マトリックス”』『山への回帰』っていう2つのキーワードに留める。で、金を稼ぐべく多くの人がやっきになる理由は、『山へ帰れない状況での、(より安全な)山の再現』を目指しているためと思われる。書いたらおもろそうなんで、後で気が向いたらネタにする。

2005年8月25日  現実逃避中日
 釧路 晴時々曇
 6時に起きる。釧路湿原を西⇒北⇒東と回る。あんまし早くてもガスってることが多いが、待ってりゃいいので6:30過ぎに出発。
 まずは釧路市湿原展望台の木道を歩く。前に一度来た時はガスってて何も見えず、待ってる時間が無くて立ち去った場所。今回は7:00頃に着いたが、見事に晴れていた。以下、初めて見る西側からの釧路湿原。ここからは川が見えないので、ほんとに「ただの原っぱ」な感じで見ることができる。時間が早いためか、俺がいる1時間ちょいの間に2組ぐらいしか来なかったので、静かにボケーっと眺めることができた。天気も過去にないぐらい晴れて、最高の条件。大アタリ。
 9:00前には展望台を出て、初めて攻める「キラコタン岬」と「宮島岬」へと向かう。上の写真1枚目で、中央部と右端に台地の先端部が見えるが、それが目的地。手前が宮島岬で、遠い方がキラコタン岬。「岬」と呼ばれるのは、過去に釧路湿原が海だったことに由来する。
 ここへ行けるという事は、最後に来た時に知った。次に来ることがあれば攻めようと思っていた場所なのだ。ただし、林道脇から山道を徒歩で片道30分とか1時間とか要するって情報。さすがにそれは時間を食いすぎるんで、折りたたみチャリを準備してきた。
 林道(思ったより整備された道だった)を走り、まずはキラコタン岬へ。マニアックな場所なので、特に看板があるわけじゃなく、情報では『林道脇の東屋に車を止め、そこからの山道を行く』とのこと。最初は東屋を確認できずに通り過ぎたが、戻って見つけた。
 東屋から草で消えかかった道を行くと、チャリだと15分ほどでキラコタン岬の先端部に至る。ここからは、湿原内を蛇行する川を眼前に見下ろすアングルで眺めることができる。湿原のスケール感はないが、釧路湿原マニア(?)には十分楽しめるポイント。この高台から川岸まで降りることができる。
 30分ほどキラコタンを堪能して、宮島岬を攻める。こっちは、近くの観光牧場が乗馬体験のコースにしてることもあり、林道脇に看板があるので見つけやすい。が、その先の山道は、キラコタンよりも険しいアップダウン&道が崩れてる所もあり、所々でチャリを降りて押すしかない。そんな道を30分も進むと、そこが宮島岬。誰もいないだろうと思ったら、先に2組いてビックリ。マニアックな連中はいるもんだ。視界の下半分を木で遮られるが、近くの木に登れば3枚目みたいに見える。南向きになると思ってたが、どっちかってーと東向きになる。
 宮島岬では昼メシ食いつつ1時間半ほど無心で眺め、13:30には林道脇を出発。毎度恒例の細岡を目指す。相変わらずのコッタロの砂利道を抜け、30分ほどで細岡展望台到着。
 昼過ぎから雲がチラホラ出てきて心配だったが、細岡は霞の無い最高の条件で待っていた。雌阿寒岳(2枚目左手)、雄阿寒岳(2枚目右手)がここまでハッキリ確認できたのは初めて。湿原のスケール感を味わうには、なんだかんだ言ってもここが一番だが、メジャーな場所であるために人が多いのがネック。それでも、いつ来ても鳥肌が立つ感動を覚える。このスケールを前にすると、全ての事がすんげぇどーでもよく思える。
 今回は、研究職らしき人が湿原の生態etcについて説明してるのを立ち聞きした。このまま湿原の乾燥化が進むと、50年後には湿原のほとんどがハンノキで埋め尽くされるでしょう・・・とか。それを防ぐために対策がウンヌンとか言ってたが、それはほんとに環境保全なのか?とか思った。そーやって変容していくこともまた、湿原にとっては自然なのである(もともと海だったわけだし)。まぁ、いわゆる温暖化とかの影響で湿原の乾燥が進んでるってこともあるだろうが、単に人間のエゴで、美しい現状の景観のまま「保全」するために変化を止めようとすることは、あまりに都合が良すぎないか?もうちょっと考えると、各地に存在する国立とか国定公園みたいなエリアさえ守れば、他はどーでもいいのか?という疑問も覚える。人間が勝手に「ここは景観が良いから」「ここは生態系の維持に重要だから」みたいに線引きして、そこさえ守れば「環境」「自然」に配慮しているような錯覚に陥ってないか?あるいは、環境破壊なしには稼動しない社会システムを作り上げ、もはやそこから脱して生きるつもりのない人間の「言い訳」「罪滅ぼし」だろう。本来、自然には「ここから重要」みたいな価値基準はない(決めるのは人間)。線引きした所で、その範囲外まで連関して自然環境が成り立ってるから、単にその範囲内を開発するとかしないとかのレベルでどーなるもんでもないわけで。
 人間ってどーしよーもなくアホだなーとか考えたりしながら1時間半ほど眺め、15:30に細岡を後にする。また夏に来ることはあるのか・・・16:30頃には恒例の和商市場で勝手丼を食い、17:00には釧路市内を抜けて小樽へ向け爆走。車の多い時間帯に帯広市内走ることになって時間を食い、札幌の環状線ではやっぱり信号で何回もひっかかり、小樽港着は24:00ちょい過ぎ。
 釧路市内からの走行距離は約390km、実走行時間は6.5時間で平均時速は約60km/hと「道速」としては安全運転だった。

2005年8月24日  現実逃避初日
 秋田、道内とも晴
 前日の18:30に飯豊を出てノンストップで走り、秋田港着は23:00頃。距離は約280km、意外に遠く感じた。フェリーターミナルの駐車場で車中泊。歩いていける所にコンビニがあり、車中泊の適地。船内での昼メシにカップラーメンとパンを調達。
 朝は目覚ましをかけといたが、その前の5時頃には乗船する他の車&バイクのエンジン音で起きた。乗船手続きを済ませた後も、気持ちにはまだ正直「やっぱしやめるべきか」とか思う部分がちょいとあったが、いざ車を乗っけて7:00に出航したら、もう完全に北海道放浪モードになった。
 とりあえずフェリー「しらかば」の船体写真。逆読みになって「ばからし」になってる。
 能書きで分かってたが、実際に見ても大洗からのフェリーよりデカいと思った(荒れる日本海仕様ってことか?)。で、船のデカさが理由なのか、航行時の揺れは(大洗航路に比べると)無いに等しい。ただ、デッキで受ける風はすんげぇ強烈で、風に顔を向けると呼吸困難になるぐらい。あと、デッキ最上階には「スポーツデッキ」なる広いスペースがあったが、あの風の中で何かできるんだろうか。もう一つ疑問は、この船はその日の夕方に苫小牧に着く=船内で寝ることはないのに、特等だの1等だのを使う人がいること。金が余ってる方々でしょうか?
 何にせよ日本海航路は初めてなんで、それも今回は楽しみの一つ。以下、左から順に、男鹿半島、黄金岬沖から見る岩木山(山頂は雲に隠れてる)、小泊岬(津軽半島西の飛び出し)、竜飛岬(青函トンネル本州側起点)。竜飛岬では風力発電施設も見えるが、この辺りから津軽海峡に入ると風が一段と強くなる。
 昼過ぎには函館沖を通過する。右手には大間が見えるはずなんだが、霞んで確認できず。以下は順に、函館山の遠景と恵山。恵山は初めて見るが、なかなかカッコイイ形をしている。
 17:30頃、予定通り苫小牧港に入港。東港からの上陸は初めて。平取経由で夜の日勝峠を越え、22:00過ぎには白糠に到着、道の駅で車中泊。道の駅の隣にはローソンができてて、車中泊の条件がさらに整ってた(前はなかった)。
 苫小牧からの走行距離は約290km、日高での給油&夕メシ時間を除いた実走行時間は4時間ってとこだから、平均時速は72km/hぐらい。帯広市内で渋滞がなく、思ったよりスムーズに抜けられたことも大きい。

2005年8月23日  ちょっとのあいだぁ〜にげます♪
 曇時々晴
 昨夜は、遠足前夜のガキみたいに興奮してよく寝られんかった。おこちゃまである。
 ゆきえで54枚、挿し木で約10枚。寝不足がたたり、途中で昼寝した。午後一で出荷して、ぼちぼちタイミングなんで、渡道前にエンジンオイル交換した。
 今までの道内めぐりは欲張りすぎて、結局は時間に追われる走り方をしていた。これで何回目になるか知らんが、今回は(比較的に)時間を贅沢に使って行こうと思う。それ以前に、エブリーの加速じゃ「道速」チキンレースで避けきれるか微妙なんで、追い越しかけるのは「左ウインカー出してる奴」および「60km/h以下でチンタラ走ってる奴」に限ると、今回は自主規制をかけることにした。それと、脅しの「廃車パト」にまぎれた「本物」には要注意。
 夕メシ食ったら逃避を始める。「現実」に戻ってくる27日夜までは更新なし。

2005年8月22日  ちょーたのしーんですけど
 曇時々晴  温度知らん
 9時過ぎ起床。みほ収穫67枚、挿し木10枚ほど、4時間。出荷後は誘引半ベットして、芽かきだけ1ベット。
 夜は逃避計画を練っている。釧路までのメインルートは調べるまでもなく頭に入ってるが、まだ足を踏み入れてない地点に行きたいのだ。現実逃避って、すんげぇ楽しい。せっかく北海道に行くんだから親方に挨拶しに行こうとも思ったが、まだ忙しい時期だし、何よりもこんな情けない状態で会いたくないんで、次の機会にすることにした。

2005年8月21日  逃亡決行
 晴夕方雷&豪雨 温度知らん
 9時半から出てカンパリ収穫。85枚4時間半、挿し木で44枚と半分以上。出荷して上がり。
 んで気分は相変わらずなんで、逃避することにした。26日以降が運賃安いったってウン百円だし、あんまし先延ばしにすると台風も来るだろうから、さっさと逃げることにした。24〜25日は晴れる予報なんで、それに合わせて予約入れた。
 明後日の夜に秋田港まで走り、翌日の朝には苫小牧行きフェリーで逃亡する。帰路は26日小樽発新潟行きの別航路を選んでみた。


■Home
※当サイト内の画像、文章、その他コンテンツを、この俺の承諾なしに無断転載することを禁ずる。