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| 05年1月中旬の作業日誌 | ||||
| 2005年1月20日 土壌診断 曇一時雨 マルコの班。事故後初だったんで、腕の内出血とかを聞かれて、例によって概要を説明する。まずは、土壌診断のために土を取ってくることになった。ピーヴォの脇でトラクタ降りたんで、配管とかを撮影。んで、トウモロコシを掻き分けて畑に入り、土の採取。地表から20cmまでの層と、20cm以下40cmまでの層に分けて分析するらしく、別々の袋に入れていた。深い層の土は若干オレンジがかった色になる。なお、スコップ使わなくてもホーラーで40cmぐらい掘れるし、そこまで掘っても耕盤なんかはもちろん出てこない。1圃場につき、バラバラに3地点のサンプルを取る。3圃場分のサンプルを集めるのに、昼メシ前までかかったか。 午後はしばらくヒマだったが、イモ畑の低い範囲(水はけ悪い)で、イモが腐ってるってんで除去作業を手伝う。1枚目の手前が腐って芽が出てない範囲で、その先は青々としていて違いがはっきりわかる。クワで掘り起こして(2枚目)、腐ったイモ(3枚目)を回収。 そんな感じで、あんまし仕事って感じじゃない1日だった。 |
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| 2005年1月19日 コーヒー苗業者視察 曇一時雨 ブラジル「ムヒ」が効いたか(あとから強烈にジワジワ冷えてくる)、首はほとんど回復した。あと、朝の車の中では「節約も良いけど、栄養状態が悪くなられても問題だし」ってことで、今日からA君も「強制的に」レストランへ連れて行くことになった。まぁ、「パン1〜2個にハムはさんだだけ」のメシじゃ、さすがに問題だろう。いや、俺もさんざん「それだけ金があるなら、毎日レストランで食っても大丈夫だ。」って言ってたんだが、聞かないので好きにさせていた。 今日は、組合に付き合ってコーヒー苗業者の視察。Carmoにある3件の業者を回った。新たに分かった事を書く。苗は1本17センターボ(約7円)。種をまいてから75日前後で発芽。発芽までかなり長い気もするが、前に奥山さんから聞いた話では、種をまいてから定植まで約6ヶ月かかるわけで、そんなもんなんだろう。定植は4パリス(本葉8枚)になってから。主力品種の「カトアイ」には2種類あり、カトアイ・ベルメーリョ(赤)と、カトアイ・アマレーロ(黄色)である。何が違うのか聞いたら「果実の色が違うだけ」で、味とかも変わりないらしい。ただし、赤の方が若干早く収穫でき、黄色はそれより若干遅く収穫される。あと、新品種として「カトカイ」ってのもあるらしい。 昼には組合に戻る。午後は、別件で来ている日系2世の研修生サトウさん(日本語もかなり上手)と一緒に、組合員控え室のPCでネット。ミニトマトは「mini−tomate」でも通じるが、「tomate cereja」って言うこと(直訳すると、サクランボトマト)が判明。タキイがブラジルに進出していて、桃太郎だのココだのペペだのが紹介されてるHPを見た。んで俺のHPも開いて、過去にポル語で書いた日誌を見せ、「これとこれは順序が逆だね」とか、今さらながら添削指導を受ける。ポル語特有のアクセント記号は(機能上)入力できてないし、文法も含めて正確さに欠ける部分はあるものの、大体の内容は伝わるようだった。 14時頃には、組合のヒラマさんが「大豆の見回りに出る」ってんで付いて行った。隣町のRio Paranaibaまでだが、ほとんど農道(赤土のままでデコボコ)を走ってたんで結構かかった。俺は詳しく知らないが「サビ病」の見回りだそうで、ポル語では「フェルージェン・アジアーニコ」って言う。直訳すると「アジアのサビ」。奥山さんからも聞いてたが、文字通りアジアから入ってきた病気だそうな。一通り回って、発生なしとのことだった。なお、今日回った範囲はすげー眺めが良くて最高だったのだが、カメラの電池が切れて撮影できなかったのが残念。ヒラマさんと出る前に撮った組合の写真を載せる。左から、入口のゲートと看板、サイロ群、組合事務所全景。 で、夜はA君を連行してレストランへ。いつも思うのだが、すげーつまんなそうな顔して食ってるのは何でだろうと思う。 |
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| 2005年1月18日 Raio X 曇のち雨 今日の奥山さんは、いつもと違うダットサンみたいな車(2人乗り)で来て。「後から息子が来るから1人はそっち乗って」ってことで、A君を先に行かせた(息子さんはあんまし日本語話せない)。すぐ来るもんだと思ってたが、息子さんは結構遅れて到着。さて行くべと挨拶して乗り込もうとすると、日本語で「お父さん・言った・今日・休み。」みたいに言われ。以後はポル語で、医者に連れて行くからホテルで待つべし、ってことだった。「いやいや、問題ない。心配しないで。仕事できる。」って言ったが、「でも・お父さん・言った。」ってことで、(たぶん予約も入れてるんだろうし)お言葉どおりにすることにした。部屋にいると掃除の邪魔になるんで、フロントのソファーで犬と戯れつつポル語の復習。 昼飯は、前日の夜にいつも通り買ったテイクアウト弁当を食い。畑で他の従業員と食うのと、ホテルで食うのでは、こんなに味が違うもんかと思った。14時ごろにはジャーミーさんが来てくれて病院へ。土日に行ってる公園のちょっと先で、簡単な地図書いてくれりゃ歩いても行ける。 病院はA君も腰痛の時に行った所で、しかも同じ医者らしい。医者のホーメスさんは「前に別の日本人研修生が腰痛めて来たな」とか、その時の様子についてジャーミーさんとやりとりを始めた。端々から理解したこととアクションを見るに、どうやらすげー面白かったらしい。A君が日本語で話し、奥山さんが通訳して、医者が診察で触ったり叩いたりして、A君が「ぐあー」とか叫んだら、奥山さんがまた状態を通訳して・・・その繰り返しだったらしい。 そのやり取り後、ジャーミーさんが「彼はちょこっとポル語話せる。」って紹介したからか、俺に「何があったんだ?」って聞いてきて。事故の概要と体の状態を話し、「だから大した事はない。日本人はたくましいでしょ?」とか言ったら笑ってくれたが、レントゲン(エックス線は、ハイオ・シースって言う)だけ取ることになった。検査室に行く前に、病院一の美人らしい事務所のフジエニさんを紹介してくれたんで、医者に「あなたの愛人?」とか聞いたりして。検査室前ではジャーミーさんとちょこちょこ話しながら待つ。彼は英語と日本語が少しずつできるんで、ミックスしながらの話になる。その間、彼の友人らしい人が通ったんで会話。ジャーミーさんは、「彼は日本人で、英語も少し話すけど、ポル語の方がより話せる。」とか紹介してくれて、客観的に見ても俺の英語能力は既にポル語以下になってることが判明。いや、ポル語だってペラペラ喋れるわけじゃないが、ポル語を習得するのに反比例する形で、英語を忘れていってる気がする。 んで、検査結果が出た(1枚目)から医者の所へ持っていって「ね?問題ないでしょ?」って聞いたら「エ。トゥード・ベィン。」ってポル語の後、わざわざ英語で「ノー・プロブレム。」とか繰り返してくれた。痛み止めと筋肉消炎剤の処方箋(2枚目)が出た。手持ちの筋肉消炎剤「アイスラブ」で首は対処済み(仕事で筋肉痛ひどくなったら使おうと持ってきた)だったし、その旨も伝えてあったが、せっかくだからブラジルの薬も試してみようと思って買うことにした。医者に礼を言って薬局へ。ポル語教科書にも書いてあったが、ブラジルの病院は診療のみ。薬は、処方箋にしたがって薬局が売ってくれる。3枚目が買った薬で、緑の缶が消炎剤スプレー。日本の「ムヒ」そっくりの匂いがする。他は鎮痛剤とか説明書で、箱には「1日1錠飲め」って書いてある。なお、当然だが薬代(50ヘアウ。そんなもんだろう。)は自分で払った。ジャーミーさんには「診療費も払う」って言ったが、例によって奥山さんかかりつけとのことで。あと、レントゲン写真は「持って行って良い」って言われたんで(写真もホテルの窓にくっつけて撮った)、日本まで持ち帰る。 |
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| 2005年1月17日 対おばちゃんリベンジ成功 曇一時小雨 昨夜(ってか今日の早朝)は、4時半にホテル着いてからから6時まで寝た。 首と右腕(特に、内出血してる上腕二等筋)の痛みが引かないが、もち、畑に行くつもりである。既に奥山さんから「すげー話」を聞いてるのである。そーじゃなくても、体がそれなりに動くのに畑仕事を休むことなど、俺が許せない。大学の時にやらかした原チャリでの激突事故に比べりゃ、はるかにマシな状況だし。生身で投げ出されるってのは、ほんとにヤバい。 いつも通り奥山さんは迎えに来て。昨夜の事を謝ると、「言い忘れてたけど、ブラジル人の車に乗っちゃダメよ。」など、関連するお話を頂戴した。体の事も聞かれたが、「ちょいと擦りキズがあるだけで、todo bemです」と返して。ま、男の子の強がりである。 で、今日はコーヒー畑へ。ドドさんの班で、ホジェリオと久々に会った。なお、ここのおばちゃんらは、以前「コーヒー苗定植」で会ったおばちゃんらがほとんど。朝の挨拶のあと、「seppun」って叫んでみたら、一発で思い出してくれたみたいだった。して、腕のキズ見て「どーしたんだそれ?」とか向こうから聞いてきて、「昨夜、交通事故があって、うんぬん・・・」と説明して。「あの兄ちゃん、前よりポル語話せるようになってる」とか、コソコソ喋ってるのも聞こえてます。おかげさまで、ちょっとずつ分かるようになりました。ハイ。 ・・・リベンジ成功。 仕事としては、おばちゃんらに肥料を配ってやること。トラックの荷台から、おばちゃんらのバケツに肥料を移してやる(1枚目)。つまり「手まき」である(2枚目)。20人ぐらいでやってたか。聞いたら、年に10回ぐらい追肥するそうな。使ってる肥料は、MANAH50kg袋(3枚目)。ちなみに、お値段は1袋約70ヘアウぐらいとか。大豆とかでも同じ肥料使ってた気がするが、成分は4枚目の通り。メチャクチャ濃いので、肌に触るとピリピリする。首と腕の痛みと戦いつつ、夕方まで肥料分配作業を手伝った。 今日は早く寝たいんで以上。最後に、辞書を引くおばちゃん方を紹介。自然な感じに取れてて気に入った。 |
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| 2005年1月16日 Acidente de Transito 曇一時雨 今日もポル語復習。昼前からは雨降り出したし、どっちにしても公園行きは中止。午後もそうやってたら、ディドが「予定を早めて夕方から行くことになった」と呼びに来た。昨夜の段階で、今日のカラオケは奥山さんも不参加と聞いてたし、俺はディドと行くことにした。A君はカラオケに行くとのことで残った。 ディドの友人ファビアーノとカナリア(愛称)、そして俺の4人で、とりあえずS.Gotardoから50kmほど北西にあるCarmo do Paranaibaへ。このエリア(どの範囲だ?)では比較的大きな街だそうで、久々に信号も見た。んで、途中で休憩したりしつつ確か18時頃には市内のバールに入った。アマチュアではあるんだろうが、生ライブ演奏付き(S.Gotardoには生演奏バールはないらしい)で気に入ったらしく、ハシゴしないでかなりの時間そこで飲んだ。22時頃だったか、「Matutinaのボアッチ行こう」ってことになり、Carmoを後にした。CarmoからMatutinaへはS.Gotardoを経由することになる(S.Gotardoから北東に20kmぐらい)。カナリアは途中で吐いたりしてくたばってるんで、23時頃に自宅前で降りて帰った。 んで、日付が変わる前にはMatutina着。いわゆるDiscoで、mulher bonitaを見つけたらposso levar(逆もあるらしい)。ただし、いわゆる「プータ」さんではないので、preciso negociar。が、ムリである。ただでさえポル語リスニング能力が十分でないのに、室内には爆音が轟いてるのだ。「体の小さい」(希少な存在)4〜5人に話し掛けてみたが、返してくる内容が何も分からんかった。また「小さい子」を探しているうち、アジア系はたぶん俺しかいなくて、「珍しいものを見るような目で」見られてるのに気がついてしまった。どーせ話も聞き取れんし、しゃーないんで一人で飲んで暴れ狂って(踊ってるのはmulherがほとんど)た。したら、「変なアジア系」に興味を持ったらしいmulherが隣に来て一緒に踊ってくれた。が、いかんせん「体がデカい」んで、ただ踊っただけ。向こうも、しばらく踊って俺が興味持ってないことが分かると、他の男を探しに行ったみたいだった・・・そんな具合で2時ごろまでボアッチで暴れ、各自で「物色」していたディドとファビアーノも「収穫ナシ」に終わったらしく、帰ることになった。駐車場でS.Gotardoへ向かう知り合いを発見したらしく、普通車に7人乗りで帰路についた・・・ そして、霧で見通しが悪いカーブを、かなりのスピードで曲がったと思った・・・衝撃も何にも分からんかった。気がついたら俺は、アスファルトじゃない地面にひっくり返っている車の中にいた。よーするに「自爆」したと理解するしかない状況。幸い、俺は右腕と右肩に擦り傷(と内出血。暗くて見えなかった。)それに首の軽いムチ打ちで済んでた。俺も含めた後部の連中は、衝撃で開いたトランクから脱出できたし大事はなかったが、前に乗ってたディドとファビアーノが見当たらない。 ディドとファビアーノの女友達(すぐ後ろを別の車で走ってた)も駆けつけてて、泣きじゃくりながら2人の名前を叫んでいた。街灯も無い真っ暗なブラジルの大地である。女の子は路上から車のライトを照らして現場まで来てくれていたが、その明りで改めて事態が理解できた。ディドの車は、道路から10〜15mぐらい「すっ飛んだ」地点に着地してて、着地点は道路より2〜3m低いってこと。だから、ぶっ壊れた車の中までは十分に照らせない。車外から確認したら、フロントガラス側は逆さになったボンネットが邪魔で侵入不可。トランク側に戻って、名前を叫びながら運転席側まで手をのばすも、車体が歪んでたりパーツが上からぶら下ってたりでよく分からん。こういう状況でなんだが「生温かい肉片とかがあったらどーしよう・・・」とか思いつつ手を伸ばしていた。なんとか手が届いて、「いない」「肉片もない」ことが判明。 車外では、例の女の子1人がドアを蹴っ飛ばしたりしてこじ開けようとしてたが、ひん曲がってて開かない。「ディドソンとファビアーノがまだ中にいるのよォ!」とか叫んでいたが、「2人は中にいない。近くを探そう。」って言い聞かせて捜索を始めた。 なお、この前後の段階で、女の子のもう1人と軽傷の4人は近くの軍警察に助けを呼びに行った(また真っ暗闇状態。雲で弱った若干の月明かりのみ)。後で分かったことだが、この辺りで救急車を呼んでも、到着まですげー時間がかかるらしい。それに、携帯はディドしか持ってないみたいだった。しかし、まだ2人が見つかってないのに、女の子1人とポル語がまともにしゃべれん日本人置いてみんなで行くことないだろ・・・とか思った。 んで、名前を呼びながら車外の捜索を始めるとすぐに、暗闇の中から「ミィータ・・・」っていう声がして、車からたぶん10mぐらいの地点にうずくまってるディドを発見。意識はハッキリしてたが、「アブラッソ・・・ケブロウ」左腕が折れてる。のち、女の子が「アァ!ファビアーノ!」って叫んだ声で、ちょっと離れた所で彼も発見されたことを確認(死亡者ゼロ)。ディドには待ってもらって状況を確認しに行ったが、どうも彼の方がひどいらしい。この段階では暗くて何も分からんかったが、ひたすらうめいている状態。しばらく様子を見たが、痛みで暴れたりするだけの力もないみたいだったんで、ファビアーノは女の子に任せ、俺はディドを立ち上がらせて2人の側まで連れて行った。途中、ディドは「ミィータ・・・車を起こすぞ」とか言い出し、「ダメだ!何もするな!」って言っても聞かないので、一緒に3回ぐらい起こすマネをしてみたら、おとなしくなった。タイヤはひん曲がってるし、起こした所でどうなるわけでもないんだが、いろんなショックでまともな判断ができなくなりつつあるんだろうと思った。「病院が来る。病院を待て。」変な文章だが、「救急車」って単語を忘れたんで、こう言って聞かせるしかなかった。んで、全員の生存を確認してから、2人が車外に出ている事、現状ではボンネットが邪魔で人が通れる隙間は無い事、ドアが閉まってる事を考えるに、車は2回ぐらいバウンドしたんだろうと思った。たぶん、1回目で2人は飛び出し、2回目で逆さまになって止まったんじゃないかと。あ、フロントガラスに激突しても、人って死なないのか?いや、死ぬよな。つーことは、衝撃でガラスが先に割れてから飛び出したのか?・・・ディド本人も覚えてないだろうし、思い出させるのも悪いし、何よりも単語が分からんし暗くて調べようもないんで、何も聞かなかった。 そんなんで間もなく、軍警察の車が到着して、Matutinaの病院へ。明るい所で見ると、見た目ではやっぱしファビアーノが一番ひどく傷ついていたが、どこも折れてないとのこと。しばらくすると、ファビアーノもまともに話せるようになった。ディドの腕の応急処置も完了。俺は擦り傷だけだったんで、シャワーだけ借りて済ませた。のち、軍警察の事情聴取みたいのが始まり、俺もパスポート(普段持ってるのはコピー)見せて職業とか住まいの質問なんかに答えて、完了。病院の方で「ホテルに連絡入れよう」と言ってくれて、事情を説明してくれた。「ホテル側で迎えに来るみたいだから、ここで待て」とか言われたが、S.Gotardo行きの救急車がすぐに着き、今度は「乗ってけ」とか言われるままに乗せられて、ホテルに着いたのがAM4時半。ホテルからは、オーナーであるママが(奥山さんにも連絡して)出発したところだったらしく、行き違いになってしまった。 そんな、研修外の研修をすることになった1日。 |
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| 2005年1月15日 ポル語復習&KARAOKE 曇 実は、2日前ぐらいから「夏カゼ」気味である。ちょっと油断するとカゼひいてしまうぐらい、朝晩は本気で冷え込むのだ。で、大事を取って&ポル語の復習時間に充てるため、今日の公園三線デモは中止にした。つーか、ポル語に関して痛いのは、日本で「農業関連ポル語集」をがんばって作ったが、(かなり重要なのに)思いっきり忘れてきたこと。今さらだが、改めて農業関連単語をまとめてみた。もっと早い時期にやれって話だが、ブラジルまで来たら実践のみ(その都度調べればいい)と思ってたんで、今までやってなかったのだ。しかし、ただ単に単語をひくのと、ノートに書いてみるのでは、覚え方が違うと改めて実感。 んで、午後にはフロントから電話。「今日は20時からカラオケがあるって、奥山氏から電話があった」とのこと。今夜はディドと「リベンジ」の先約があったが、彼の方も仕事が入った(つまりホテルにいる)んで、カラオケに行くことにした。なお、20時前にフロントで待機中、ディドはエロ本を持ってきた。やはり見事にコルタードで、改めて聞いてみた。「ブラジレイラはみんなそうなんかい?」「まぁ、みんなだね。ほんどのブラジレイロは、毛がスゲー嫌いだから。」とのことだった。また、「モザイコなしでも認められてるのか?」って聞いたら「モザイコって何?」って返事だし。説明したが、やっぱしそんなものは存在しないらしい。 で、カラオケ。「Sao Gotardo カラオケ愛好会」(1枚目)ってのがあり、日系人14人ぐらいの会員でやってるそうな。使用機器はレーザーディスク。誰かが日本に行った時、お土産として買ってきてソフトを揃えているとのこと。一部は、歌詞にローマ字フリガナ(2枚目)もついている。もちろん奥山さんも歌い(3枚目。親方の素顔は初公開)、俺も4曲ぐらい歌わせてもらった。 サンパウロでビデオケした時もそうだったが、日系人といると、ポル語で喋ったらいいのか日本語で喋ったらいいのか分からなくなる。んで、A君の違いもハッキリしていて面白い。昨日、ポル語しか喋れない連中と飲んでた時はスゲー眠そうだったのに、日本語が通じる相手となると変にはじけるようになる。まぁ、当然っちゃ当然なのかもしれんが。そーいやどっかで脅しっぽく言われたな。「お前はいいけど、そいつ、ポル語が全然喋れねーんだろ?ヘタすりゃ殺されるぜ。」って。まぁ、ポル語喋れんことが理由で殺されるんなら、明らかに「自己責任」でしょ。いや、殺されるとか以前に、何にも喋れなきゃ、せっかくブラジルに来ても面白みがないと思われる。 明日も、場所を変えて15時からビデオケがあるってんで参加することになった。夜はディドと飲みに行くことになるだろう。 |
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| 2005年1月14日 試験場視察 曇ときどき晴一時小雨 今日は現場に戻れるかと思いきや、エスタサォン・エスペリメンタ(農業試験場)の視察になった。昨日はニンジンの収穫があったらしいが、今日はジャガイモの種まきしてるってんで、現場監督にして蔬菜専門員のアンドレに付いて回った。やってることは、品種別の特性比較(8条×50m毎に違う品種を植える)とか、播種時期の違いによる収量比較とか、大豆の交配・育種であるとか、日本と似たようなこと。ただし規模は違って、試験農場の面積は約400haもあるらしい。ピーヴォもある。試験の話じゃないが、コーヒーについては、国内の総作付面積の60%ぐらをカトアイ(品種名)が占めるらしい。 おばちゃんらは20人ぐらい。奥山さんとこと同じように、肩から下げた肥料袋に種イモを入れて作業している(3枚目)。無くなったら、男衆が木箱を担いでイモを袋に移してやるんで、ひたすらそれを手伝った。1箱で2人分ぐらいだから、おばちゃんらは1人約15kgを抱えていることになる。一緒に歩きながらいろいろ話したが、「ゆっくり」って言ってもやっぱし早くて聞き取りは難しかった。おばちゃんらが種まきした後は、トラクタで土を被せていく(4枚目)。 昼をまたいで種まきは終わり、アンドレは大豆の交配ハウスを2つ見せてくれた。ビニールハウスはブラジルに来て初。屋根はあってもサイドと妻面のビニールはナシでネットのみ。パイプの間隔はやたら広く、しかも細いし、日本だったら風でやられる。潅水はスプリンクラーを使っていた。片隅に点滴チューブらしきものを見つけたんで撮影(6枚目)。「何でこれ使わないの?」って聞いたら、フィルターかませても、水が汚くて目詰まりするからだとか。ちなみに、この辺の地域はハウス野菜がほとんどなく、都市近郊の方が多いらしい。帰国前には、県人会にお願いしてサンパウロ近くのハウスでも見学してみたい。 夜は、ホテルフロント係のディドと飲みに行った。できるだけボキャブラリーを増やすため、毎日顔をあわせる彼とは、晩飯後に1時間ぐらい話をするようにしていた。俺の会話レベルも分かってくれてるんで、比較的ゆっくり喋ってくれるから、辞書も活用すれば結構喋れるのだ。その中で、今日の飲みの約束が入ったというわけで。 彼の家で軽くパステル(餃子の皮みたいのに肉なんかを詰めて揚げたもの)を食わせてもらい、バールを2軒ハシゴした後、彼は当然の如く「プータ買いに行こう」って言い出した。1軒目は閉まってて、2軒目は高いから「見るだけ」ってちょっと飲んで立ち去り、3軒目はイイ女がいないってんで通り過ぎ、それで終わった。ちなみに、この町は10〜40ヘアウぐらいが平均らしい。サンパウロがいかに高いかが分かる。今日は買えなかったんで「明日の夜にまた迎えに来るから」ってことになった。 |
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| 2005年1月13日 組合視察 曇一時雨 予定通り組合へ。奥山さん曰く「大将」のミゲルさんに案内してもらう予定だったが、午前中は忙しいらしく、やはり幹部クラスと思われるマリオさんに付いて回った。 まず、ムダに広い。法律とかで決まってるのか知らんが、緑地の占める面積が多い。その中にでかいサイロがでんでんでんと、確か15基ぐらい並び(1基3000t入るらしい)、3基は新規建設中(2枚目)だった。他、乾燥機(3枚目。燃料は薪)とか、振動する選別機とか、おそらくは日本で大豆・小麦・トウモロコシみたいな穀物を扱う場合と同じような設備が並ぶ。ただし、サイズはひたすらデカい。燃料用の薪(4枚目。ユーカリ)も積んであった。 んで、マリオに連れられて品質検査室へ。検査室の入口には、「組合のモットー」みたいなのがあった(1枚目)。品質管理がどーたらとか、顧客ニーズに応じてうんたらとか、まぁ日本と似たり寄ったりではある。「言うのは簡単だけど、実行するのは難しいでしょ?」って聞いたら「うん」って返事だった。他、大豆・小麦・トウモロコシの品種サンプルとか(2枚目)を取って説明してくれたが、全部は理解できんかった。穀物はよく知らんし、辞書に載ってない単語も多かったし、そのレベルになると専門用語なのかもしれんし。 でもまぁ、やってることは日本と同じ様なもんだと思う。サンプルを取って、水分量とか密度とか量ってた(3枚目)。なお、サンプル採取と検査は組合から出荷される時にも行われ(大豆・小麦・トウモロコシは、生産者を区別しないで全部ごちゃまぜになる)、もし結果が悪けりゃ出荷しない。サンプルは、クレームとかの対策として1週間保存するんだそうな。ちなみに、組合の穀物出荷実績は(昨年の場合だと)、 ・大豆 60kg×370000袋 ・小麦 60kg×833000袋 ・トウモロコシ 60kg×266000袋 だそうな。 昼飯は、「組合専用通勤バス」に乗せてもらい、市内へ戻って食った。午後はミゲルさんの案内。最初に、コーヒーのサンプル選別室へ案内され、その後に倉庫へ。コーヒーは果樹だが、乾燥させて扱うわけで、倉庫には穀物の場合と同様の機械が並ぶ。外皮「コッコ」剥き機(1枚目)とか、振動選別機(2枚目)とか。んで、出荷を待つコーヒーの麻袋が山積みになっている(3枚目)。拡大すると分かると思うが、かなりの高さまでパレットなしで積んでいる。ここにはフォークリフトがあったんだが、なんでだろ。コーヒーの出荷実績は60kg×120000袋だそうで、1袋の価格はだいたい300ヘアウぐらい(今年の場合)とのこと。また、コーヒーは生産者ごとに出荷され、同じ生産者のコーヒーでも「ロッチ」(農地の区画)番号毎に管理される。 この後、穀物の選別マシンなんかの倉庫へ案内された。ミゲルさんはまた仕事が入ったらしく、名前忘れてしまったが、倉庫の班長に付いて回って一通り見せてもらった。午前中に見たのよりも新しい機械ばっかだったが、基本の機能はほぼ一緒。言葉の説明だけじゃなく、稼動してもいないのにわざわざ電源入れてデモを見せてくれたから分かりやすかった。コンピュータ制御システムが整ってるんで、全部の機械を一人でも管理できるそうな。 穀物関連施設の説明が終わったが、ミゲルさんは戻ってこない。ので、昨日マルコと来た資材倉庫へ行って、農薬を見学。さすがブラジルは規模がデカいってことで、薬によっては20kg袋とかで売っている。ミニトマトでも使う予防剤「オーソサイド」の20kg袋(1枚目)だの、治療剤の「アミスター」(2枚目)、脱皮阻害剤「アタブロン」(3枚目)、日本でもメジャ−な除草剤「ラウンドアップ」(4枚目)。他にも、スミチオン、スミレックス、リドミル、ダイアジノン、コサイド、トリガードなどなど、知ってる薬がほとんど。成分表記とかも似てるし。 資材倉庫から出たらミゲルさんを発見した。「コーヒー選別室をもう一回見たい」って頼んで連れて行ってもらう。ロッチ毎にサンプルの缶が並び(1・2枚目。2枚目はJose HIROITI、つまり奥山さん。)、サンプルを検査するテーブルがある(3枚目)。 んで、テーブルの片隅には、階級表(1枚目)と欠点豆の種類と欠点数(2枚目)があったんで撮影。300gのサンプル中、欠点数がいくつまでならどの階級になるのか書いてある。聞けば、外国へ輸出されるのは欠点数の少ないNo.2とNo.3だけで、他は国内消費らしい。 かすれてるので、以下に示す。まずは、階級の種類と欠点数。 No.2 ⇒ 欠点4まで。 No.3 ⇒ 欠点12まで。 No.4 ⇒ 欠点26で。(Baseってことは、これが普通らしい) No.5 ⇒ 欠点46まで。 No.6 ⇒ 欠点86まで。 No.7 ⇒ 欠点160まで。 No.8 ⇒ 欠点360まで。 で、何が欠点豆になるのかは以下の通り。直訳しかできないし、一部は辞書にもないので分からんが、以下の通り。 「黒い豆」 ⇒ 1個でマイナス1点 「石、木片、もしくはtorrao(不明)の大」 ⇒ 1つでマイナス5点 「同じく中」 ⇒ 1個でマイナス2点 「同じく小」 ⇒ 1個でマイナス1点 「コッコ(最外皮のこと)」 ⇒ 1個でマイナス1点 「大きな外皮」 ⇒ 1個でマイナス1点 「焼けてるもの(たぶん)」 ⇒ 2個でマイナス1点 「船乗り(直訳)」 ⇒ 2個でマイナス1点 「小さい外皮」 ⇒ 2/3個マイナス1点 「虫食い穴(たぶん)」 ⇒ 3/5個マイナス1点 「貝殻状のもの」 ⇒ 3個でマイナス1点 「青いもの」 ⇒ 5個でマイナス1点 「割れたもの」 ⇒ 5個でマイナス1点 「chochos ou mal granados(不明)」 ⇒ 5個でマイナス1点 となってるらしい。 コーヒー好きとしては、なかなかに満足した1日だった。 |
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| 2005年1月12日 クリステール 曇一時雨 マルコの班で除草。今日もカフェの続き。途中、フォルミーガ(アリ)の巣を踏んづけてエライ目にあう。なかなかにデカイ巣だったんで、靴からウジャウジャ這い上がってきた。この国のアリをなめちゃいけない。噛むし、しかも結構痛いのだ。そーいや、前に奥山さんから聞いた話では、「キノコ」を食うアリもいるらしい。奴らは、アボガドとかの葉っぱを食い千切って巣に運び、葉っぱそのものじゃなくて、それに発生するキノコみたいのを食ってるらしい。虫ってのは、目の前にあるものをそのまま食うってイメージがあったんで、なかなかに興味深い話だった。 昼メシ後は、マルコに呼ばれてニンジン畑へ。辞書には載ってなかったが、話した内容と実際に見た作業から、明らかに「間引き」である。前に別のニンジン畑で収穫作業を見たとき、間引きはしてないと思ったが、これだけの大面積を人力でやってるわけである。聞いたら、今日は70人ぐらいが働いていて、1日の賃金は20ヘアウぐらい。「人差し指から薬指までの間隔」を目安に間引いていた。にしても、とんでもねー手間である。 あとは班の事務所に戻り、近くのマンゴー畑を散歩しつつ、取って食わせてくれるがままにマンゴーを食い、15時頃にはCOOPADAP(いわゆる農協)まで付き合って資材とかを受け取ったり。組合事務所には、コーヒー栽培に関するパンフみたいのがあったんで貰ってきた。今日は、半日だけだがマルコと一緒に行動して、班長は結構ヒマらしいことが判明。いや、時期によっては別なのかもしれんが、どっちにしても「現場要員」ではないと思われる。 で、今日のムダ話。会話のために辞書を引いてたら、「浣腸」って単語を発見。ポル語では「clister=クリステール」である。つまり、滝川クリステルがポル語でフルネーム自己紹介をすると、「私の名前は、浣腸・タキガワです。」となる恐れが大である。あと、名前がらみでは、「賀川」さんとか「カガ」っていう音が含まれる人もヤバい。辞書には載ってなかったが、ジェスチャーから理解したことは、「カガ」は「野グソ」(あるいはウンコすること?)の意味になるらしい。 仕事が終わってからはちょいとお楽しみがあったが、「秘密」って言われたんで一応伏せる。日本語は分からん相手だしHPの存在も知らんから別にいいんだが、気持ちの問題。 明日は、組合の施設なんかを見学させてもらえる予定。 |
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| 2005年1月11日 マナウス行き中止 曇時々雨 今日もマルコの班。今日は、機械で届かない株元の除草。道具は「クワ」。午前中は柿の木の株元を相手にしたが、写真は撮り忘れた。っても、日本の柿と違う所は見当たらない。なお、ブラジルでも柿は「caqui」という。「qui」で「キ」の音に近い・・・ポル語では、基本的に「K」を使わない。他、「W」と「Y」もない。 昼メシ時には、前日の話で持ってくことになっていた三線をちょいと弾く。その間にA君は県人会に電話。彼は研修を早めに切り上げて各地を回るつもりだったが、手持ちの金が切れて断念することになった。(※金がらみで言うと、俺はVISAで現金の引き落としができるんで問題ない。俺のは郵貯提携VISAカードで、郵貯残高の範囲内で「海外利用限度額」を事前に設定しておけば使えるタイプ。Bradesco銀行のATMでは問題なく使えた。)A君の旅行計画については、県人会の斎藤さんが面倒見てくれることになってたんで、旅行中止の旨を伝えるための電話だった。したら、マナウス行くつもりの俺にも話があるってんで、電話を代わった。 要するに、「一人で旅行中に何かあったら、セキニンモンダイとかが発生する。県人会の誰かが付き添って行くならいいが、マナウスは遠いので付き添うことができない。ついては、マナウス行きは中止して、後で個人旅行としてブラジルに来た時にでも行ってくれ。」ということだった。前に国井さんらに話した時は、旅行について積極的な返事を頂いたが、最近開かれた「役員会」では以上のような結論になったらしい。そういう背景から、ゴネても仕方なさそうだったんで了承した。でも、「サントスにはもう一度行きたい。」って言ったら、「サントスなら近いから付き添いできるんで、いいですよ。」ってことだったが、やっぱし「付き添い」があるわけで、一人では動けないらしい・・・ ま、しゃーない。単なる「形の問題」だが、今回は「農業研修」として来てるわけだし。にしても、「武者修行」と言うには生ぬるい気もする。いや、俺も「自己責任」とか思ってても、何かに直面したらビビるのはビビるだろう。でも、そん時はそん時だし、俺はそこまでの男だったって事である。どーして、それで済ませられないのか?俺がガキンチョだからなのか、どーやっても理解できない。ちなみに、どの時点まで「責任」は発生するんだろう?俺が山形のアパートに帰るまで、か?それじゃ、「おうちに帰るまでが遠足です」状態だな・・・ 「自己責任」って言葉が存在しても、結局はどっかに「責任」が回されるのは、ブラジルでも同じらしい。つまり「自己」ってものが存在しないって事か?キルケゴールとかいう哲学者は「人間は関係の存在である」「関係そのものが自己である」みたいに言ってたような気がするが、そーいうことなんか?あ、そーいや聖徳太子さんは「和を持って尊しとせよ」とか言ってたらしいな。「和」ってのは、言うなればやっぱし「関係」なわけで、日本人的感性には、やっぱし昔々から「自己」が存在しないのかもしれない。いや、「関係」は俺を形作る要素の一つではあるが、それらを総合して「俺」という「OS」を作り上げたのは、他でもない「俺自身」あるいは「俺の脳ミソ」である。 さておき。午後からはコーヒーの除草。若干高い所からコーヒー畑を見られたんで撮影。曇で写りが悪いのが難点だが、等高線上に木が植えられてる状態がわかる。 そいから、いわゆる「F2」コーヒーの発芽状態を発見したんで撮影。 帰りには、マルコの家にお邪魔して、ギターだの聞かせてもらったりしてホテル帰還。 |
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