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05年1月上旬の作業日誌
2005年1月10日  やらかした
 曇ときどき晴
 今日の行きの車の中では、すげー話を聞いた。
 奥山さんは、20歳頃から40歳頃まで、いわゆる「風土病」に悩まされながら百姓をしてたらしい。病院通いだったらしいが、体調悪かろうが薬打たれてフラフラだろうが何だろうが、毎日働いたそうな。いや、農家なら当たり前のことだが、20年も続けたってのはすげぇ。さらに、息子さんは17歳の時に無免許運転で事故を起こし、同乗者の1人と相手の車の5人を死なせてしまったらしい。民事&刑事裁判で4〜5年もかかったそうな・・・奥山さんは、そんな修羅場を潜り抜けてきた「ツワモノ」であることが判明した。
 で、仕事はマルコの班。今日は、コーヒー畑で除草するのが任務。トラクターのケツに刈払い機が付いている。日本にもあるかもしれんが、俺は見たことがない。で、コーヒーの木はトラクター1台が通れる間隔で植えてあるから、これを引きずって走ればOK。何も難しい事はない。
 が、昼メシで倉庫に戻る時、やらかした。倉庫までの途中、段差&ぬかるみの2段トラップにひっかかり、ハンドルはあらぬ方向へ・・・クラッチとブレーキが間に合わず、トラクタはコーヒーの木に激突。4本ぐらいが傾く結果となった(写真)。倉庫でマルコに謝った。
 昼メシ後も草刈の続き。時期が時期だからか、前にアバカチ畑の隣で見た木より実がデカイんで撮ってみた。また、コーヒーの「花」と、おそらくは昨年の取り残しであろう「種」を初めて見た。そんな具合で、今日はじっくりとコーヒーの木を観察でき、その構造がわかった。果樹は詳しく知らんので、単純に観察して理解したことを書く。
 コーヒーの木は、年々「上にも横にも」成長する。つまり、樹高が高くなりつつ枝も伸びていく(当たり前か)。で、肝心の「花=実」は、その年新しく伸びた枝にしか付かない。古い枝には葉っぱも花もなく、単なる「養水分配管」としての機能しかないと思われる。幹から伸びた枝は、ある程度枝分かれするみたいだが、最初に1回いくつかに分化した後は、そのままそれぞれ1本で伸びていくことが多いように見えた。言葉では説明が難しいが、以上のことから、コーヒーの木はおおむね円錐状に成長し(地際に近い枝ほど古い=長い、上に行くほど枝は若い=短い)、基本的には「円錐の表面近く」にしか果実は付かない、ってことである。また、成長にしたがって1本当りの収量は増えそうに思える。しかし、トマトの収穫を考えるに、枝が年取れば年取るほど果実は小さくなるだろうから、一番いい時期は、たぶん収穫開始から数年後で、以後の収量は大して変わらないか、古い枝の割合が増えるにつれて、収量は減っていく(あるいは質が落ちていく)と予想される・・・実状は、奥山さんに聞いてみないとわからんが。
 他、悲しいこともある。まず、ブラジル人はかなり頻繁にコーヒーを飲む(っても、たぶん50mlぐらいずつ)。で、そのたんびに、水しか持ってきてない俺らにも飲ませてくれる。が、(程度の差はあっても)誰のコーヒーも間違いなく甘いし、暑いのにホットコーヒーなのだ。さすがに最近になってからは、砂糖抜きのコーヒー、しかもアイスコーヒーが欲しくなったんで、スーパーで試しに買ってみたというわけである。日本ではコーヒーを豆から挽いて飲む俺だが、コーヒー生産国のブラジルまで来て、インスタントコーヒーを飲むことになった・・・しかもネスカフェ(写真)の。それが悲しい。ペットボトルに水入れて溶かしたら冷蔵庫で冷やし、日本から持ってきた「魔法瓶」に移す。
 こないだの土曜日からそうやって作っているが、仕事場に持っていったのは今日が初めて。「コーヒーか?」って聞いてきたんで、「砂糖抜きで冷たいよ。飲んでみる?」って聞いたら珍しがって回し飲みを始めた。が、やっぱ一般的ブラジル人に「苦いコーヒー」はウケない(ごく少数は砂糖抜きで飲むらしいが)し、何よりも「冷たいコーヒー」ってのはありえないとのことだった。みんな「うぇー」って顔して飲んでいた。文化の違いを目の当たりにした。

2005年1月9日  72歳でも現役らしい・・・
 午前中小雨のち晴
 朝は雨だったんで、昼まではポル語の復習に当てた。午後からは晴れたんで、予定通り教会前の公園に。教会への途中にはセントロの公園があるんだが、やはり見事に人がいなかった。
 で、教会前で弾きはじめて1時間後ぐらいか、昨日セントロで会ったジョアンさん(昨日の写真1枚目で、俺と同じベンチに座ってるおっちゃん)と会う。昨日のジョアンさんはほとんど口を開かなかったが、今日は他にギャラリーがいないせいか、いろいろ話し掛けてきた。御年72歳で、息子2人と娘4人がいるそうだが、結婚したりでみんな他で暮らしている。で、12年前にカミさんが他界してからは一人暮らし。「これから家にこないか?」とか言われ、この年で何か悪さができるわけもないと思い(手は中気しちゃってるし)、ついて行くことにした。彼の家はホテルから2〜300mぐらいの所だが、とにかくこの町は坂だらけなんで、結構かかった。そういう理由から、たぶんこの町の老人は足腰が丈夫だと思われる。
 着いたら、いわゆる家庭菜園を見せてくれたり、ビールだのつまみの肉だのを焼いてくれたり、ギター弾いてくれたり(72歳とは思えん声で歌ってらっしゃいました)してくれた。で、いろいろ話してる内に、こんなことを言われた。
 「ホテル住まいで、昼メシと夜メシを別で買うんじゃ、高くつくだろ。1日いくらぐらいだ?」
 「ホテル代は洗濯代も入れて、1室2人で30ヘアウぐらい。昼夜のメシは合わせて12〜15ヘアウぐらい。」
 「・・・俺は、あんたを息子のように思っている。」
 「(とりあえず)それはありがとう。」
 「見ての通り、この家は俺しか住んでいないから、部屋はいくらでも空いている。ホテルを引き払って、ここに住んでくれても構わない。もちろんタダだ。」
 ご親切ありがたい話であるが、既にホテルの方でもいろいろ気を使ってくれてるので、丁重にお断りしておいた。
 夕方には、「タカリウ地区を案内してやろう。」とか言われて付いていった。話によると、カミさんが死んでから、(毎日かどうかは知らんが)夜は寂しいので女を買うんだそうな。んで、タカリウ地区にはそういう女がいるとのことで。つまり、72歳で中気までしてるってのに、「現役」ってことである。が、「まだ時間が早いな。」ってんで、途中のバールでビールなんぞを飲んで時間を潰す。したっけ、やっぱ脳ミソはご老人である。「あ、今日は日曜だった。日曜の夜は、あの地区は泥棒とかも多くて危ないんだった。今日はやめよう。」とか、やっと思い出したように言った。そんななんで、また他のバールをハシゴ。
 で、19時頃には、また思い出したように「そーいや、俺の家の先にもそういう店があるんだった。そっち行こう。」とか言い出した。彼はいい加減に酔っ払ってきたらしく、スケベオヤジ丸出し状態である。店までの道すがら「ほれ、ボニータなねーちゃんだ。写真とって日本人に見せてやれ。」ってウルサイこと。いや「ポッソ・チラール・フォト?」って断ってから撮るならいいけど、道の向こう側にいる集団まで撮れって言うんで、それはさすがにやめた。断りもなくいきなり写真撮られて、いい気分する人はいるまい。1枚だけ、ちゃんと断って「笑顔で」写ってくれたのを載せる。
 で、いっぺん彼の家に戻って一服して、「その店」に向かった。が、幸か不幸か店は閉まっていて、何事もなく開放されたのは21時過ぎだったと思われる。老人介護デーみたいな1日だった。

2005年1月8日  ラジオ局に捕まる
 晴ときどき曇 夜は雨
 相変わらず、休日は公園で三線である。だいたい分かってきたことだが、最初に話し掛けてきた人がきっかけになって、同じような人が集まる。つまり、最初に若い兄ーちゃんが来てしばらく話してれば兄ちゃんが集まるし、お姉ーちゃんならお姉ーちゃんだし、おばちゃんならおばちゃんだし、ガキンチョならガキンチョだし・・・今日はおっちゃんらが集まった(1枚目)。で、今日の午後のギャラリーには、ローカルラジオ局社長のシーコさんがいて、生放送で弾けとか言ってきた。名刺見たら怪しい人ではなさそうだったし、面白そうなんで付いて行くことにした。
 さすがローカルというか、6畳ぐらいのすげー小さいスタジオ。詳しくは分からんが、最低限の設備で運営してるように思えた(2枚目のおっちゃんがシーコさん、3枚目は装置一式)。こんなだが、約150km離れたアラシャーでも受信できるって言ってたから、ブラジルは「ローカル」の範囲も違うんだと思われる。なお、日本でもそうだが、ラジオDJの喋りってのはやっぱし独特のテンション&リズムで、DJとしてマイクに向かってる彼の言葉はほとんど理解できなかった。4枚目は、別件(たぶん宣伝)で来ていた靴屋のエジニーさんが撮影してくれた。
 なお、スタジオに着いたときにはパウラっていうキ・ボニータな子がDJしてたが、シーコさんと交代時間らしく、挨拶したら写真取る間もなく去ってしまった・・・残念。なお、書き忘れてたが、この国の人は「キリのいいところまで仕事する」って感覚がないと思われる。農場の従業員(特に臨時雇い)は、17時なら17時になった瞬間、パタっと手を止めたと思ったらサッサと荷物を持って帰ってしまうのだ。
 19時ぐらいまでスタジオ見学&インタビューで過ごした。「20時からはセントロでフェスタがあるから、三線持って行ったらどうだ?」って薦められたんで、ホテルまで車で送ってもらった。で、ホテル着いたと思ったら、雨。しかもかなり強い。ブラジル人だから、雨なんかお構いなしでフェスタやるんかなーと思って一応行ってみたが、さすがにほとんどの人は近くの店の軒先で雨宿りしながら眺めてるだけの状態。数人のお姉ちゃんがズブ濡れになりながら踊り狂ってたが、さすがにここで体壊すことはできないんで、控えといた。22時過ぎまで雨宿りしながらちょいと踊って、ホテル帰還。明日も三線だが、日曜のセントロ公園は人が少ないんで、教会前の公園に引越ししてみようと思う。

2005年1月7日  にんにくにんにくにんにく
 曇一時雨
 今日でニンニク倉庫勤務は最終日である。やることは昨日までと同じ。おばちゃんらとのコミュニケーションは別にして、ここでの仕事がどうもしっくりこないと思ってたら、「屋根の下」だし、しかも突っ立ったまんまほとんど動く必要がないからだ。山形でリンゴのバイトしてる状態に近い。やっぱ「空の下」でアホでかい畑を見ながら仕事したいし、動かないと逆に足が疲れる。
 で、まだ撮影してなかった選別状態を。左から右に行くほど、グレードが上になる。昨日書いたが、選別の大きなポイントは外皮の剥がれ具合。
 して、今日のイラニーさんは珍しく元気がない。「どうかしたんか?」って聞いたら「今日はちょっと悲しいんでね。」とか言う。「旦那とケンカでもしたか?」って聞いたが、違うらしい。あんまし突っ込んでも悪いんで、それ以上は聞かなかった。午後にはいつもの調子に戻ったから、大したことでもなかったんだろう。
 午後には出荷用トラックが来たんで、また「人力打ち上げ」した。一昨日の疲労も取りきれてないし、さすがに腕が張ってきた。疲労回復に関して痛いポイントは、ホテルに「湯船がない」ってこと。シャワーだけなのだ。食い物とかはどーにでも対応できるが、やっぱ湯船は恋しい・・・
 して、今日はいつもより1時間早く、16時で終わり。奥山さんに聞いたら、週44時間以上労働させると「残業手当」を出さないといけない法律になってるそうで、その関係で今日は早く切り上げさせたんだとか。残業手当は通常の50%増から、状況次第で100%増にもなるらしく、相当な負担である。ただ、国としても残業はできるだけさせないように言ってるらしい。というのは、定時で作業が終わるように正規の従業員を雇えば、失業者対策になるからだとか。もちろん、正規従業員が増えれば、日本と同じで「年金」だとか給料以外に事業所側が負担する経費も増大する。が、トータルで考えると残業手当を出すよりもマシらしい。それに、ブラジルは、日本と違って「1回就職したら定年まで同じ会社に勤める」っていう感覚がないらしく、例えば他の農場の方が給料が良いなら、すぐに転職してしまうんだとか。しかし、正規従業員とは「契約」を交わすから、経験を積んだ従業員が簡単に転職することも防げるというメリットもあるらしい。また、まだ負けた事はないと言ってたが、ちゃんと契約してない臨時従業員からは、賃金がらみで「訴えられる」こともあるらしい。一時期、そういう裁判が「流行った」そうだが、今は落ち着いてるそうな。
 今日はそんな話を聞いた。

2005年1月6日  ニンニク倉庫で求婚して・・・
 雨のち晴
 今日でやっと、日誌が「リアルタイム」に追いついた。
 んで、今日は出荷がないらしく、ひたすら箱詰めのみ。昨日からそうだが、一度会ってるイラニーさんは特に話し掛けてくる。2日目ってこともあり、それに便乗して今日は他のおばちゃんらも話し掛けてくるようになった。けっこう早口だから話は半分ぐらいしか分からんが、端々から言いたい事は理解できるので、あれこれと喋りながら仕事してみる。
 んで、今日はこんなやりとりがあった。
 「あんたは日本じゃファゼンデイロ(大農場主)なのか?」
 「すげー小さいけど、一応農場主ではある。ハウスでミニトマト作ってる。」
 「従業員も雇ってるのか?」
 「いや、俺一人で働いている。」
 「大変じゃないのか?」
 「俺にとって農業は趣味だから楽しんでやってる。夏は大変だけど。」
 「(冗談っぽく)じゃあ、あたしらを日本に連れて行くといい。」
 「は?」
 「あんたの農場で働いてみたい。日本で働けば金持ちになれるし(笑)。」
 「(ちょっと考えて)わかった。でも、全員はムリだから、1人だけね。」
 「何だって?」
 「もし俺と結婚すりゃ、俺のカミさんとして日本に連れてってあげる。」
 ほぼ全員が既婚者のオバチャン方に向かって、このセリフを吐いたのである。大当たり。俺が想定していた「対おばちゃん国際交流」が、現実のものとなりつつある。この後は、ビスケットだのバナナだの何だかよく分からないが「カブの漬物」みたいなものだの色んなものを食わせてくれて、「ウケ」が良くなった己を実感。
 ただ、ポル語会話については問題も一つある。奥山さんの農場は広いし色んなものを作ってるから、1箇所に留まる日数が短い。だから、違う場所に行くたんびに自己紹介をして、同じような質問をされて、男衆なら下ネタ話がほとんどになるし・・・つまり、プラスアルファで若干の違いはあっても、大筋では同じような内容の会話を、あちこちで繰り返していることになる。なかなか会話能力とかボキャブラリーが向上しないのは、俺自身の能力の他、そういう事情も原因となってる気がする。1箇所に留まってずっと同じメンバーと仕事をするなら、毎日違うことを話すんだろうから、ちょっとずつでも進歩が期待できるんだが・・・

2005年1月5日  リフトがないから
 曇
 研修再開。今日はニンニクの箱詰め&積み込み作業現場に回された。ここは、コーヒー畑と同じでおばちゃん(たぶん臨時雇い)が多い班だが、10数人と小規模。しかも、前に「セグランサ・ヘウニオン」で会ったおばちゃん(イラニーさん、写真)がいたんで、溶け込むことに成功した。
 おばちゃんらは、ニンニクの選別と箱詰めをする。メンツの一部はこんな方々(写真)。イラニーさんが「撮ってやる」ってんで、混ぜてもらった。
 で、ニンニクのサイズだけは機械で選別済みなのだが、「外皮の剥がれ具合と病気などの有無」によって、4段階に手選別するのだ。つまり、意外にも「見た目」による選別がなされてるわけだ。聞けば、一番良いものと悪いものでは、値段に2倍ちょっとの差が出るとのこと。とはいえ、選別基準は結構おおざっぱに見えた。あと、ブラジルは国内のニンニク需要量が供給量を上回っているらしく、奥山さんによれば「ブラジルはニンニク輸入国」らしい。
  一方、俺ら男衆は、おばちゃんらが選別したニンニクを量り(1箱10kg)、フタをしてパレットに積んでいくのが任務。10段も積む=高さは2m以上になるんで、最後はコンテナを台にしないと届かない。なお、「10kg詰め」と言ったら(箱の重量を除いて)ほんとに10kgちょうどでいいらしいので、ちょいと驚き。ミニトマトは、1箱5〜10%増量して(混入が予想される非商品果に対する予備として)出荷するように言われている。ここのニンニクには、そういうムダがない。
 午後には、出荷用のトラックが来たんで積み込み。セアザ程のでかい市場に普及してないなら、一般農家にあるはずもないが、ここに「フォークリフト」はない(ジャッキはある)。だから、パレットに積んだとはいっても、可能なのはジャッキでの水平移動だけで、垂直移動は「人力」になるし、トラックにベタ積みである。しかも荷台が高いので、10kgの箱を1つ1つ「人力打ち上げ」するしかない(写真)。1箱は大した重量じゃないが、数が数なんで、さすがに疲れた。
 このトラックが出たあとは、また量って積んで夕方まで。「仕事した」気分になれた1日。
 そいから、久々にミナスに戻って分かった事は、やっぱしサンパウロのポル語は分かりやすいってこと。たぶん、日本で売られてるポル語会話の本とかCDも、サンパウロを基準にしてると思われる。日本ぐらいの小さな国で方言があるんだから、800kmも離れりゃ違って当然。ミナスの言葉は単語と単語の切れ目が、サンパウロ程にはっきりしていないように思う。

2005年1月4日  サンゴタルド帰還
 雨
 相変わらずのガタガタ道だが、今回は疲れてたこともあって、アラシャーで起きるまでは結構寝られた。
 サンゴタルドのターミナル(写真)を降りると、ブラジル人のタクシー運転手がメモを差し出す。簡単なポル語で、「タクシー代は支払済み。今日は休んでもらって、研修は明日から。」そーいう内容。一瞬「怪しい」と思ったが、メモの最後にはちゃんとした漢字で「奥山」って書いてあったから、信用して乗り込んだ。ちゃんとホテルで降ろしてくれた。
 で、お言葉どおり今日はホテルでゆっくりするつもりだったが、ここまでの日誌打ち込みがあるんで、午後からはパソとにらめっこ。ただでさえ反応が遅いマシンだし、いっぺんに画像を扱うとすぐエラーになって要再起動・・・その繰り返し。さすがに疲れたんで、1月2日分までで終わりにした。

2005年1月3日  マナウス行きは高い
 曇ときどき晴
 昨夜は、腹減ってたのに眠気に負けて「空きっ腹」で寝た。そのせいか、今日は胃がやられてるみたいで、腹痛ってよりも胃痛で下痢。ほとんど液体しか出ませんです。ケツ痛い・・・朝メシもロクに食えず。腹減ってて、目の前に食い物があるのに食えないってのは悲しいことである。
 今日は、県人会側では日本移民資料館へ連れて行く行くつもりだったみたいだが、ちょうど閉館されてるらしくキャンセル。なんで、午前中はホテルで寝てた。バスツアーの疲労がドッと出た感じ。午後からは、Aさんの研修先である斎藤さん宅へ行く話が出たが、俺はマナウス行きの旅程を組むため、旅行代理店を回る予定だったんで断った。もち、こういう細かい話は日本語で説明された方が無難なので、日本語が話せる旅行社に行った。
 で、サクラ観光とツニブラトラベルの2軒を当たったが、どっちでも同じようだった。まず、サンパウロからマナウスへのフライトは、往復で安くても1200ヘアウちょい。さらに、個人では行けないアマゾンの中を見るためには、どーしてもボートツアーみたいのに参加する必要があり、現地宿泊費なんかも含めると、フライト費用と同じぐらいかかるらしい。「トータルで、最低2500〜3000ヘアウぐらいは出ると思ってください。」と言われた。つまり、日本円で安くても約10万円・・・航空運賃だけでその半分。やっぱこの国はデカイのだ。夜行バスで行くという貧乏旅行も考えたが、マナウスまでは50時間以上もかかるとのこと。さすがにそれは恐ろしく長いし、移動だけでバテることは目に見えている。サクラ観光にはメアドを伝えたんでそのうち見積もりが出るが、いずれにしてもかなり高額な出費が予想されるんで、ちょいと考えモンである。
 夜21時には、チエテのバスターミナル(写真)から夜行バスに乗り、サンゴタルドへ。今さらだが、ブラジルは鉄道網がほとんどないに等しい。代わりに長距離バス網が発達していて、大きな街にはだいたいターミナルがあるらしい。

2005年1月2日  移動日&PC復活
 晴
 朝7時に、イグアスのホテルを出る。今日は単なる移動日で、ひたすらパラナ州の大豆畑を眺めながらサンパウロまで戻る。途中、マリンガのホテル近くで、「世界第2位で南米では第1位」の高さを誇る教会を見られたんで撮っといた。
 んで、サンパウロ着は23時頃。最後の希望ってことで、壊れたと思っていたPCを立ち上げたら、なんだよ、生きてるじゃね〜かよ・・・イグアスで動かなかったのは何だったのか。Kさんによれば、彼が泊まった部屋のコンセントに「127V」って表示されてたとのこと。フロントで110Vって言ってたのに・・・このPCは125Vまでしか対応してないから、それが原因だったのかもしれん。何はともあれ、動いてよかった。手書きで日誌つけるのは疲れるし。

2005年1月1日  Feliz Ano Novo
 晴
 寝過ごしたし、こたつにミカンがあるでもないし、門松があるでもないし、何より暑いし、まぁ正月の実感は全くない。県人会のみなさんも言ってたが、(特に移民1世は)何十年とブラジルに住んでいても、やっぱし正月の実感はしないという。ミナスの農場は2日から平常どおり動くって言ってたし、やっぱこの国はキリスト教の国だから、ナタウの方が重要らしい。
 そして朝食は、もちろん「おせち」が出るでもない。いつも通りのパンとハムと・・・のメニュー。今さら書くが、ポル語にはalmoco(昼メシ)、jantar(夕メシ)って単語はあっても、一言で「朝メシ」を直接意味する単語がない。「cafe da manha」で一応朝メシに相当するわけだが、直訳すれば「朝のコーヒー」にしかならない。だから、日本で言えば「軽食」ぐらいのもんなのだ。まぁ、量を食えば「朝メシ」にもなるわけだが、周りのブラジル人はほんとちょっぴりしか食わないし、フルーツだけって人もいる。代わりに、夜はがっつり食う・・・だからみんな太るんじゃないのか?男も女もやたらと甘いものが好きだし。
 で、8:45にバスはイグアスへ出発。こっちの入園料は19ヘアウで済んだ。公園に着いてからは、専用バス(2枚目)で移動。2階は窓がないので、走り出すとすげー涼しい。まずはボート(3枚目)に乗って、イグアス川(パラナ川?)を滝壷へと遡る。
 このボートは有料オプションで100ヘアウ≒4000円と高いが、イグアス来たなら体験すべきと思う。かんなり揺れるんで楽しいし、何よりも滝を間近に見ることができる。国井さんからも聞いてたが、かなり濡れる。いや、かなりどころか「バケツをひっくり返した」ぐらいに水を浴びる。水着で乗ってた人もいたが、正解である。カッパ着てる人も1人見かけたが、あれだけの水量のもとでは、ほぼ無意味に近いと思われる。あと、ボート乗り場ではビニール袋をくれるので、カメラとかは入れておくべし。以下、激しく濡れるまでになんとか撮影した写真を掲載。確か、4枚目の滝のうちどれかのすぐ下(滝の直撃を受ける寸前)まで行ったと思う。
 30分ぐらいのボートツアー後、滝を上から見るためにバス停まで戻る。ジーパンとかが濡れて重いんで、俺もパンツ1枚になってKさんに手伝ってもらって絞り、バスに乗るまで干した。以下、下着姿の彼はAさん27歳(妻子もち)。公園の地図にかかっている影は、俺らのズボンとかである。もちろん、他の人はこんなことしちゃいない。
 んで、俺ら「恥ずかしい日本人」達はバスに乗り、滝を普通に見られる遊歩道を歩く。アルゼンチン側と違って、遊歩道の途中からでも滝が見られる=だんだん近づいて、最後には滝の上まで登る(最後の写真)形になる。また、アルゼンチン側は上からしか見られないが、ブラジル側では下からも上からも見られるし、何よりもこっちのほうがキレイに見える。とにかくすんげぇ眺めなんで、3段写真をやらしていただきます。なお、ボート程ではないにせよ、滝を正面にした場所は結構しぶきが激しいので、カメラなんかは若干注意が必要。アルゼンチン側と違い、遊歩道からずっと滝を眺めていられたんで、ツアーとは言っても今日の満足度は高い。イグアスは、釧路湿原並に気に入った。朝から夕方までいても飽きないと思われる。
 昼飯は、レストラン(昨日対岸から見た建物)で食い、午後は「バードパーク」に寄った。イグアスの迫力を見た直後だけにインパクトは弱いが、熱帯の珍しい鳥をいろいろ見ることができる。
 今日はここまで。夜はホテルのネットルームで、ツアーでちょこっと一緒に歩いたバネッサと会ったんで、辞書を片手にいろいろ話す。ついでにこのHPを開いて、文章はわからんでも日本の写真を見せたら、だいぶ喜んでくれた。こーいうときHPがあると強い。メアドの交換なんかもした。17歳の(普通の)ブラジレイラなり。彼女もHPを持ってるんで、帰国後に落ち着いたら連絡して、リンクしてみようと思う。彼女の母上のプリマヴェーラさんには、例によって「ブラジレイラと結婚したい」とか言ったら、冗談半分に「この子どうよ?」とか言われた。うーん、17歳かぁ・・・
 17歳がらみで最後に。新年ってことで一つ懺悔というか、バクロしなけりゃいかんことがある。ブラジル来てからというもの、俺はどうやら「ロリ」に走りつつあるということ。いや、ガキンチョは別にして、たぶん中学生〜高校生ぐらいと思われるブラジレイラに目が行ってしまう・・・同年代と思われるのは、(アジア系を除いて)だいたい体がデカすぎるのだ。帰国後に感覚が戻れば問題ない。要は、年齢じゃなくてサイズの問題ってこと。


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