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04年12月下旬の作業日誌
2004年12月31日  パラグアイショッピングツアー&アルゼンチン側イグアス
 晴
 朝8:00にホテル発。国境を越えてすぐの、シウダー・デル・エステっていうパラグアイの街へ。このツアーの目玉は「ショッピングツアー」でもあるらしく、客の多くは免税品購入も目的にしてるとか。パラナ川が両国の国境になるわけだが、すんげーあっさりと入国。パスポートも何も不要に近い。観光バスだからか、バスもほぼノンストップで国境越え。ゲートも何も写す間もなかったが、海に囲まれた国の者としては、陸路で違う国に入れるってのが新鮮。
 街はホテルから近く、30分ぐらいでショッピングセンター着。いわゆる「高額電気製品」の店ばっかが集まっている。もちろん、ここで買うものなんてないが、SONYだのPanasonicだのJVCだの見慣れたメーカーの商品がうじゃうじゃ並んでるのを見るにつけ、やっぱ日本製品は強ぇんだなーとか実感する。ここに2時間も滞在するってことだったんで、ヒマだからモールの外を散歩した。
 ・・・世界が違う。ショッピングモール内はこぎれいで、ここだけ見ればパラグアイも日本とそんなに変わらんと思うが、一歩外に出ると「まがいもん」みたいなものをぶら下げた人から「これ買え」ってやたらと声をかけられる。サンパウロよりも生活水準は低い印象で、アジア系はほとんど見ないから、正直おっかない。アジア系の多いサンパウロでも、できるだけ「観光客」と思われないように写真は控え気味にしてたが、ここじゃ絶対ムリ。ただでさえ視線を強く感じるし、何よりもどこへ行っても「これ買え」集団が寄ってくるから、写真どころじゃない。会話しようにも、この国はスペイン語だし・・・そんな具合で、「危険を感じたらモールに退避」「やっぱヒマだから散歩」を2〜3回繰り返して2時間を潰した。
 11:00前には一度ブラジル側へ戻り、シュラスコの昼メシを食う=その頃日本では紅白歌合戦が終わろうとしていたことだろう。そして日本では年が明けた頃、13時過ぎにはアルゼンチン側へ。アルゼンチンへの入国は厳しいらしく(いや、これが普通だろう)、国境ゲート(写真)では20分ぐらい待たされた。(なお、なんか知らんが中国人は入国拒否らしく、ツアー客の数名は昼メシ後にホテルへ戻った。)
 んで、アルゼンチン側イグアス公園に到着(1・2枚目)。公園入場料として35ヘアウ払ったが、ブラジル人は18ヘアウでいいらしい。公園内は、トロッコ列車(3枚目)で移動。ここで水を買ったが、ミネラルウォーターのくせにまずかった。ヘアウも通用するが、3ヘアウと高いし。
 2枚目の地図の「EATACION GARGANTA」まではトロッコで移動し、そこから滝までは川にかかった遊歩道を歩く。
 てくてく歩いて行くと、まずは「しぶき」が見え始め、滝って言うよりも大量の水がいっぺんに落ち込む「穴」みたいなものがそこにある。もう、一言「なんじゃこりゃ」である。高さは80mってことなんでそんなでもないが、幅が(ブラジル側も含めて)4kmもあるらしい。じーっと見てると、穴に吸い込まれそうな気になるし、瀑布が迫ってくるような錯覚さえ覚える。一人で来たなら、1〜2時間はボケーっと眺める所だが、悲しいかなツアーである。滝そのものを見ることができたのは、ほんの20分ぐらいだったか。ショッピングを20分にして、こっちを2時間にすりゃいいのに・・・って、ムリですね。日本のツアーもそうなんだろうが、観光地では写真を撮る時間がありゃいいんだろう。それじゃ面白みがないのに・・・以下、語るまでもない写真を掲載する。5枚目で、対岸に写ってるのはブラジル側の建物。8枚目では、うまく虹が写せた。
 他のツアー客が帰っても一人で残ってたわけだが、最後にはガイドの兄ちゃんに「そろそろ時間だよ」って突っつかれて戻る。まぁ、明日はブラジル側から見られるし、時間じゃしょうがない。ホテルへの途中ではやっぱし免税品店に寄った。
 夜は、20:30からいわゆる「練習」的な飲みが始まった。国井さんからは「日付が変わる前後が一番盛り上がるから、そこまではゆっくり・・・」って言われてた。控え気味にしてたつもりだったが、23時過ぎには「仮眠」のつもりで部屋で寝た。オートロックのドアの向こうから、2〜3回ノックしたり部屋に内線入れてくれたりしたらしいが、不覚にも年越しを寝過ごす形になってしまい、ブラジルの正月を見逃した。聞いたら、かんなり盛り上がっていたらしい。すげー残念である。
 いろんなことを含めて、やっぱし「ブラジル・リベンジ」は必要かもしれない。

2004年12月30日  イタイプー発電所
 晴のち雨
 今回のバスは、旅行会社のバス。2階建てで、1階はちょうど5〜6人座れるような形だったんで、日本人集団はこっちを選んだ。今にして思えば、失敗だった。2階に行けば、たぶんもっとポル語の練習になったと思われる。道は、ミナス方面よりキレイで、揺れも少なくちゃんと寝られた。ただし、一般の夜行バスもそうだが、やたらと車内冷房がきつくて寒い。そーいや冬の北海道では、電車とかの車内は汗かいて暑いぐらいに暖房が効いていた。こっちは外が暑いから、逆に寒いぐらいに冷房をかけるんだろーか?
 朝5:00頃、予定よりも早くマリンガのホテルに一時停車。朝メシである。予定より早かったせいか、若干待たされる。見た感じ結構な高級ホテルだったが、ブラジルの朝食ってのはどこでも基本は同じらしい。パン、ハム、チーズ、フルーツ各種、そしてコーヒー。違うのはその質と、デザートとして用意される「甘いもの」の種類だろう。
 朝メシ後は寝たり起きたりで、昼過ぎにはイグアスのホテル、ヘーカント・パーキ・ホテルに着。バスを降りた瞬間、サンゴタルド、サンパウロよりもジメジメした空気で、日本の夏に近い。ここも結構高そうなホテルで(プール付いてたり)、観光地って事もあってか英語で話し掛けられ、逆に戸惑う。しっかし、約16時間のバス乗車ってのは、すんげー疲れる。で、ツアー中の昼飯は各自でってことだったが、今日は夜飯を自腹にして、昼はツアー料金として食うことになった。こーいう細かい変更がよくあるみたいで、元日はパラグアイ側に行く予定だったのを明日31日に変更して、ブラジル側のイグアスを元日に見るとか・・・日本でツアーてやつに参加したことがないからわからんが、ツアー始まってからこんなにいろいろ変更するのも珍しいんじゃないかと思う。ブラジルらしいっちゃブラジルらしいんだろうが。
 15:00には、世界最大の水力発電所とされる「イタイプー発電所」へ向かう。まず、建設の概略みたいなビデオを見て、ダムが見える場所へ。2箇所からの見学で、1・2枚目は結構離れた場所からの撮影だが、それでも全体は写せない。なお、1枚目の対岸はパラグアイらしい。ダムの高さはそんなでもないが、幅がとんでもなくデカイ。ダムに近い見学ポイントへの入口をくぐると(3枚目)、発電用放水配管の一部を間近に見ることができる。なお、ブラジル国内の電力は、首都ブラジリアをはじめとしてほとんどここに依存しているらしい。ブラジルでテロを起こすんなら、このダムを破壊することでかなりのダメージを与えることができる・・・とか考えてみた。いや、重要施設には応急発電の準備があるんだろーけど。
 今日はダム見学のみ。既に「ツアー客」として動くのに疲れている俺がいる。あと、どーでもいいがガイドは「男」である。他、ビデオ撮影している業者が同行している。あとでツアー客に売るんだとかで、日本にはない気がする。この後、バスは配管の側を通ってダムの上を走るが、雨でほとんど見えず。夕方にはホテル着。夜には有料オプションでサンバショーが見られるとのことだったが、疲れてるし明日の夜も年明けで騒ぐらしいので、今日は大人しくすることにした。
 そして、PCがいかれた(と思った)・・・サンパウロでは動いてたから、たぶんイグアスまでの車内で物理的に破損したんだろう(と思った)。先にホテルで聞いたら110Vだって言ってたから、電圧の問題じゃないだろう(と思った)。すげー面倒だが、今後は手書きで記録するしかない(と思った)。

2004年12月29日  サントスへ
 晴ときどき曇
 寝不足もあって二日酔いである。8:00には県人会の斎藤さんが来ることになってたが、7:30頃に部屋まで来てくれて起こされる。朝メシ食いたいが、胃もたれでロクに食えず。んで、前日の内に急遽決まってたことだが、今日はサントスへ行くのだ。以前の予定では、イグアスから戻ったのち、研修先へ帰る前にリオへ行くはずだった。が、どうも運賃その他がバカ高いそうで、サントスに変更したらしい。コーヒー党としては、研修後にサントスへ行くつもりだったんで良かったかに思えた。
 ジャバクアラのホドビアーリア(バスターミナル)から、サントスまでは1.5時間。ちなみに、だいたいどこもそうらしいが、こういう場所のトイレは有料(写真。1ヘアウ)である。日本でも「トイレットペーパーは有料」ってのがあるが、トイレ使うことそのものが有料なのだ。トイレがらみで言えば、「公衆便所」ってものは見たことがない。外を歩いていて便所に行きたくなったら、レストランとかホテルとかの便所を使わせてもらうことになる。
 昨夜がまともに眠れてないので、バスの車内ではかなりウトウトだったが、ひたすら下り坂が続くのを見るにつけ、やっぱサンパウロは高原になるんだなーとか思う。サントスに着いてからは、斎藤さんの友人の斎藤さん(ややこしい)に案内され、とりあえずモンチ・セハーの丘っていう高台にケーブルカーで登る。ブラジルは山っていう山がないんで、高い所が好きなバカとしては嬉しい限りであった。1枚目は、大西洋をバックにしたサントス市街。2枚目が教会を中心としたアップ。なお、今まで知らなかったがサントスはほぼ「島」に近い都市らしく、川と大西洋に囲まれた立地条件である。3・4枚目の通り、川の対岸はほとんど開発されておらず「原始林」状態である。そして、その先の山っていうか高原にはサンパウロがあるわけだ。
 続いて市街地を走る。サントスは、サンパウロよりも落ち着いた印象を受ける。建物のデザインは違うにせよ、川があって山が見えるという、日本的な景観要素が揃ってるからかもしれない。また、「近郊リゾート地」でもあるからかもしれない。斎藤さんが次に案内したのは、旧コーヒー取引所。じっくり見たかった場所だったが、すんげーあっさり「次行こう」となってしまい、残念。外観の写真だけは収めといた。
 続いてはサントスのサッカー場。今は使われておらず博物館として機能している。サッカーは興味ない俺だが、とりあえずついてまわった。グランドのほか、記念トロフィーだの、選手のロッカールーム、風呂場なんかが公開されている。以外と狭いグランドだった。
 この後はビーチ伝いに走り、見たかった「日本移民上陸記念碑」をも通り過ぎ、昼メシ食ってからは魚市場みたいな所を見る。久々に魚と対面。ブラジル来てから、最初のバロン・ルーでの朝食を除いて、たぶん全くといっていいほど魚を見ていないから、なんか懐かしい。
 再び海岸沿いに車は走る。年末だからか、ビーチはすげー人である。んで、今までにだいたい分かってたことだが、ブラジレイラは「腰のくびれ」をほとんど意識してないように思う。ビキニ姿で堂々と「たるんだ腹」を出しているブラジレイラを多数見かける・・・ってかみんなか?どっちかってーと「ケツ」がウリなのだ。事実、「ケツ」のラインがキレイなブラジレイラはすげー多い。ただし、お年をめされるにつれ、腹だけでなく「全身」にお肉がついて行くのは、日本と同じである。
 車は、ビーチの端っこにある高台に上る。ここからは、(おそらく)リゾートマンションを背景にしたサントスのビーチが一望できる。また、この国の地形から考えて、山が見える場所ってのはこういう海岸沿いの低地に限られるんじゃないかと思う。
 イグアス行きのバスに遅れないようにってことで、サントスはここまでで切り上げることになった。なんか、車での移動時間の方が長かった気がする。サンパウロより町並みがきれいだったんで、もーちょっと市街を歩きたかったし、コーヒーがらみの所をじっくり見たかった。今日は下見として後でもう一回来るつもりだ。「旅は一人旅に限る」と、改めて感じた。
 して、夜は8:00のツアーバスで、イグアスへ向かう。県人会副会長の国井さんは日本へ行ってるので、弟さんが付き添ってくれる。

2004年12月28日  サンパウロに戻る
 晴
 振動と戦いつつなんとか寝られたかと思ったら、朝5時ごろ、運転手の「カンピーナス!」って言葉で起こされる。夜行バスはいくつか大きなターミナルに停車し、運転手は到着した場所の名前を叫ぶ。で、俺は前から4番目の席だったんで、そのたんびに目が覚めてしまうのだ。
 カンピーナス以降は明るくなってきたこともあって寝られず、6:30頃、サンパウロ着。サンゴタルド出発時、サンパウロ到着時刻を県人会のフルヤさんに報告しなきゃいけなかったのだが、ちょいとドタバタしていて電話を忘れていた。が、サンゴタルドからのバスは1日1本だってことで、迎えに来てくれていた。リベルダージまでメトロで移動し、バロン・ルーに到着。どうでもいいが、ブラジルでNHKを見てると、こんな画面(写真)が出て音声だけになることもある。
 ホテルで朝メシ食ってるうちに、パラナの奥地で研修しているKさんも到着。続いてY君とAさんも合流し、各現場での話をする。特にKさんは、「視察」に近いらしい。親方の本間さんと農場を見て回っているだけで、「作業」はほとんどしてないらしい。むしろ、近くに住んでいる他の日本人をやたら紹介されるそうで、日本で言えば「老人ホーム慰問」みたいになってるとか。生活上も本間さんと同居なんで、食事も何も用意してくれるとのこと。Yくんも「住み込み研修」だが、親方である荒木さん宅の周辺は危険だとかで、一人で出歩くことができないとのこと。休日も、荒木さん宅の庭で、ひたすらタバコを吸うしかないらしい。話を聞けば、彼が一番「自由の利かない」生活をしているようだった。Aさんはホテル住まいの研修だが、ホテルが親方宅と近い(歩いて5分とか)ので、3食とも親方と一緒に食べるらしい=至れり尽せり。他、サントスに連れて行ってもらったり、他の農場を見学したり、有意義な研修をしているようだった。こうやって話を聞くと、ある意味「軟禁状態」のY君を除けば、俺とA君が一番「自分でなんとかしろ」に近い状態になってる気がする。A君はどうか知らないが、俺はそのぐらいの方が面白みがあっていい。何せ、この研修事業名には「武者修行」とあるのだ。10:00過ぎには、「中間報告会」のために県人会事務所へ。「率直な感想を」ってことだったんで、「正直、ブラジルの作業ペースはのんびりしていると思った。」旨も言った。
 県人会の前で写真を撮り、昼メシまで皆さんと一緒して(写真)、養鶏(ウズラの卵)で成功された渡辺さんの御宅へ。すんげー家。個人のお宅なんで写真はさすがに控えたが、プールあり、池には鯉が泳ぎ、部屋のガラステーブルには宝石が並べられ、日本製マッサージ椅子に座りつつテレビを見れば、大画面のプラズマみたいなやつで・・・とにかくすんげぇ家だった。ブラジルは、日本よりも貧富の格差が大きいと改めて思う。いや、日本で「すんげぇ金持ち」をこの目で見たことがないから、そう思うだけかもしれんが。でもでも、町を歩いていて「生活が苦しそうな人」を見る率は、日本よりもはるかに高いことだけは確か。
 のち、渡辺さんに連れられて、セアザ(中央市場)の見学。写真撮影は禁止ってことだったが、その都度断ってみたらOKだった。残念ながらトマトは見られなかったが、大量のスイカと葉野菜を見て、途中でヤシの実をすする。ヤシの実は胃腸にいいんだとかで、二日酔いにも効くそうな。なお、セアザは「市場」とはいってもセリがあるわけじゃなく、単に卸業者が集まってるだけで、そこに小売側が買い付けに来る場所なんだとか。日本と違うのは@商品の扱いがすげー雑であることAジャッキは見ても、フォークリフトはほとんど見ない、ってこと。
 夕方にはホテルに戻り、県人会のオシキリさんと中華の晩飯を食う。その後はカラオケに行き(やはりビデオケ)、オシキリさんが先に帰った後は「リミッター」が解除され、カイピリーニャを4杯ぐらい飲んだ気がする。して、隣に座ってた「ハパリーガ」「プータ」と思われるモッサにみんなで声をかけ、なんだかんだで「国際交流」の流れになる。店を変えてちょこっと飲んだ後は、バーモス・ゴザール。ほんとのプロじゃない(いやまぁ、プロではあるんだろうが)からか、オージはカベーロがあり、プレッソもマイス・バラット。何よりも、ナオン・バスタンチではあったがアペルタードでアグラダーベウ。エン・フィン、ボセッタでソウビ・サイール(もち、コン・カミズィーニャ)。アンチスのモッサは「ハイハイドーゾ」っていうサバサバした感じだったが、今回はノリがよくいろいろ話せたし、トータルでアレーグリだった。
 ホテルに戻ったのは3時ごろだったか。Kさんは散歩したいとのことで、Aさんと3人で夜のサンパウロを徘徊。さすがに人は少なかったが、(売れ残りと思われる)プータさんたち数名が、一所懸命に「商売」している姿を見かけました。はい。

2004年12月27日  A君死亡
 晴時々曇一時小雨
 今日はジャガイモ仕事。っても、畑じゃなくて倉庫待機。トラクタに種イモ箱積んでやって、空になって帰ってきたらまた積んでやるわけだが、基本的にはヒマな一日。が、A君はこの日最初の積み込みで腰をやられ、身動き不能と化す。1箱30kgと言われてたからそんなに重いもんでもない(大豆で積み込みした肥料は、1袋50kgだった)から、体の使い方の問題と思われる。一人でがんばってたら、写真撮ってくれた。
 他、この倉庫にあった機械を撮影。1枚目は大豆のコンバインで、基本構造は日本のと同じだが、2〜3回りデカイ。緑はトウモロコシ用。筒状のはニンニクの皮むき&選別機。
 マルコとは、日本での俺の経営実態なんかを話す。売上高だの所得額なんかをヘアウに換算すると、やっぱし日本人は金持ちなんだなーとか、改めて実感。で、従業員を一切使わずに一人で仕事してそれだけの売上を出せるってことが信じられんようで、2〜3回聞きなおされた。「ほんとに全部一人でやってるのか?」って。
 午後には、種ニンニクの積み込みもちょこっと手伝った。相変わらず適当に一服しながら。ただ、だんだん分かってきたこともある。結構重いものを扱うんで、休憩ナシで動いた方が、トータルでは能率が下がるんじゃないかってこと。そうは言っても、やっぱし1日の1人当たり労働量配分にムダがあるように見えてならない・・・
 16時には現場を離れる。A君は、俺の知らないうちに先に帰っていた(しかも、奥山さんかかりつけの病院まで行ったとか)。前日にまとめきれなかった荷物をトランクに詰め込み、19時発のバスに乗るためにホテルを出る。A君は、やめろと言ったのにデカい&重いトランクを持って行くつもりで準備していた(部屋は一時立ち退いても、荷物だけはフロントに預けられるのに・・・)。で、例の腰痛のために俺が引きずっていくハメになった。ブラジルに来てやった仕事の中で、これが一番キツかった・・・道がデコボコで、キャリーは無意味に近いし、振動で手はしびれるし。
 気合で、なんとか19時ちょっと前にはターミナルに着いたが、バスはいない。少々不安になりつつも、待つこと20分で到着。初めは空いてたが、アラシャーに着く頃にはほぼ満席。やっぱ年末である。アラシャーでメシにパン食ってからは、寝ようとするもやっぱし振動で寝られず。

2004年12月26日  初盗難
 晴
 なんで仕事が休みの時に晴れるんだか。午前中は、イグアス行きのために片付けを始める。1週間近く不在だから、その間は一時的に部屋を引き払い、荷物だけをフロントに預けて安上がりにしようという作戦である。片付け後は、昨日できなかったポル語の復習を昼まで。こっちから言いたい事はある程度言えるのだが、聞き取りになると覚えてないor忘れた範囲の単語が出てくるのだ。一緒にいるA君は、いわゆる「会話集」みたいのを持ってきてるが、実際に外国に出て生活するとなれば、あーいうのでは不足であると感じる。確かに、「会話集」があれば言いたい事は言える。ちょっとの期間の旅行ならそれで十分なんだろうが、ある程度の期間「住む」となれば、言葉の「発信能力」だけで「受信能力」がなけりゃ、かなり苦労するんじゃないかと思われる。本人も言っているから書いてしまうが、ぶっちゃけ、俺がいなけりゃA君はたぶん生活していけないと思われる。辞書も持ってないから、
 して、午後はいつもの公園へ。ガウショのオールニーは、年明けまで地元(ブラジル南部)へ帰ると言ってたんで不在。そして今日は、カメラを用意した。が、いつもに増してガキンチョが多く・・・以下3枚。まぁ、まともな国際交流ってことで。また、あるおっちゃんには「お前、この楽器はブラジルじゃスゲー珍しいから、もっと大きな街に行って弾いたら、もっと注目されるぜ」みたいに言われる。パートス・ヂ・ミナスとか、確かに近辺にはもっと大きな街はあるが、「近い」の感覚が違う。気分が乗ったら行ってみようとは思うが、俺は別に三線をブラジルに紹介するために来てる訳じゃない。この小さな町で「妙な楽器をいじって変なポル語を喋る日本人」として認識されりゃ、それでいいのだ。あっちこっちに売り込まず、この町に絞り込む・・・ブラジルでの「自分」売り込みにおける基本方針である。
 この他、チャりに乗ったおっちゃんにも遭遇。頭おかしいんだかどーなのか、とにかく隣に座ったかと思ったらすげー勢いで話を始めた。一生懸命聞き取ろうと試みたところ、どうやら話し掛けてるって言うより、日本人の俺には理解できんだろうと思ったか、グチを言ってるみたいだった。「俺のカミさんと子供らはベロ・オリゾンチに住んでる」「ケンカした」「腹減ってる」・・・端々から理解できたのはそんな内容。途中、話し疲れたか「ライター貸してくれ」って言われ、初めてまともな会話が成り立つ。で、吸い終わったと思ったら「んじゃ」みたいに去っていった。この時気がつかなかったが、彼が去ってから俺も一服しようと思って、ライターを持っていかれたことが判明。かわいい盗難被害にあう。ちなみに、どーなんだか知らんが、この国のライターは高い。日本の100円ライターみたいなもので、俺が買った店では2.4ヘアウだったから、ほぼ等価である。奥山さんは「ブラジルはガスの値段が高い」って言ってたから、それが理由か?とにかく、今吸っている安タバコ1パックの倍以上の値段である。
 今日は、今さらながら一般的情報を書く。まず、この国での「車戴ウーファー」の普及率は、どう考えても日本以上である。しかも、朝だろうが夜だろうが窓とか全開でガンガンにかけながら走っている。また、ウーファー搭載の車から店とかの宣伝文句が流されてることも多い。そして、宣伝はバイクでされることも多い。リアにでっかいウーファーを積んだバイクをしょっちゅう見かける。そんな具合で、ウーファー普及率は高いものの、はっきり分かるほどに外装をいじっている車は未だに見ていない。音楽がらみでは、日本と違って「CD」のTVコマーシャルを見ることがほとんどない。
 そいから、人口3〜4万人と言われるこの町だが、俺の歩いた範囲では「信号機」が一つもない。大きな交差点は「ロータリー」式になってるものの、基本的には「自己責任」で安全確認する必要がある。この町に来て既に2回、横断中に挽かれそうになった。交差点で道路を横断する時は、左右の確認だけではダメで、前後(特に後ろ)も確認する必要があるのだ。
 今日はそんなとこか。

※明日の夜は、夜行バスでサンゴタルドを離れる。翌日はサンパウロで中間報告会を済ませ、年明けまでフォス・ド・イグアスーに滞在する。PCが荷物になるので、持って行くかどうか決めかねている。置いて行く場合、次の更新は年明け5日以降となる。

2004年12月25日  タナカさんにお呼ばれ
 晴
 土曜なんで休み。今日はちょいとポル語の最履修でもしようと思ってたら、フロントから電話。「タナカ氏が連絡を取りたがってる」と。タナカさんは、先日の忘年会で知り合った組合農家の一人である。電話したら「予定がないなら家に来て話でもせんか」とのこと。ホテルで聞けば場所は分かる(この辺も試練の一つだろう)とのことで、フロントで地図を書いてもらい、タナカ邸へ。15分ぐらいのところだった。
 タナカさんの地元は島根で、1960年頃にサンパウロ州へ入植した1世。当時は20歳だったそうな。で、4年近く従業員として働いて独立するのが一般的だったそうだが、いろいろあって独立は30歳頃だったそうな。しかし、独立から3〜4年で「倒産」。当時、移民同船者の妹を嫁に取っており、既に子供も2人いたとか。で、ちょうど最初の雇い主がサンゴタルドへ移住するってんで、再び従業員になって一緒に移住してきたんだそうな。して、サンゴタルドでの(再)独立は1980年頃だって言うから、ちょうど俺が生まれた頃である。作目は、ジャガイモ、トウモロコシ、大豆、コーヒー、共同のニンニク等。当地での面積は聞けなかったが、アマゾンの方には(息子さんに任せているものの)約3000haの土地もあるらしい。
 タナカさんは世話好きな人らしく、サンゴタルドの日本語学校に赴任している先生だの、JAICAや東京農大の研修生とか、話を聞けば実にいろんな日本人を世話してきているようだった。御年64で、普段は奥さんと2人暮らしだからってのもあるだろう。お互いの身の上話だの、俺の日本での経営実態だの、まぁいろいろ喋った。ブラジルに来て、日本語をこんなに喋ることになろうとは思わなかった。印象深かったのは、秋田だか東北から入植してコーヒーの無農薬栽培をやったというスズキさんにまつわる話。いわゆる「こだわり」の農業を実践して、倒産。現在では奥さんと子供をブラジルに残し、単身で日本に出稼ぎに行ってるんだとか。そいから、過去に日本からコーヒー農園へ研修に来て、帰国後は研修先と取引して日本に喫茶店を開いた人の話だとか(これ聞いて、それもちょっといいなと思った・・・)。他にも、日本とブラジルの年金制度の話だとか、日本の大学の実態であるとか、農業に限らずいろいろ話した。昼メシから夕メシまでごちそうになった。自分の畑で取った大豆で作った、自家製の「納豆」と、同じく自家製の「豆腐」入りの「味噌」汁を頂く。一緒に来たA君は、久々の日本食に感激していたみたいだったが、俺はそれよりも、日本から遠く離れた当地で、こうやって自力で日本食を作り出してしまうエネルギーに感動した。また、アルゼンチンからの輸入品だと言っていたが、御飯はいわゆるジャポニカ米だった。
 で、タナカさん宅で日本の「NHK」を見る。こっちでも、受信料その他を払えばBSのNHKが見られる。サンパウロのホテル・バロン・ルーでも見られたし、話によれば多くの(日本語が分かる)日系人が視聴しているらしい。しかし、今泊まってるホテル・プリマヴェーラのオーナーは日系人でも、ポル語しかできないから見られない。日本の情報はかなり久々である。ドンキホーテで連続放火とかのニュースを見る。あと、リポーターの息の白さを見るにつけ、「やっぱ日本は冬なんだなー」とか、当たり前の事を実感する。こちとら、日焼けの皮がむけ始めて痒いのであります。
 そんな一日。最後に、ブラジル(ってかサンゴタルド)の農地価格を。1ha当り、約15000ヘアウ(ピーヴォも入れて)=約60万円なり。日本で農地を買おうと思ったことがない(ムコ入りによる無料入手しか考えてない)から知らんが、どう考えても安いと思われる。

2004年12月24日  危険なパーティーへのお誘い&雷雨のナタウ
 曇ときどき晴 夜は雷&豪雨
 今日はナタウ(ブラジルではこう言う)である。日本と違って、夜はファミリーでナタウを祝うのが一般的らしく、今日の仕事は午前中までとのこと。しっかし、北半球育ちの俺としては、クリスマスとか年末とか言われても、寒くならないとピンとこない。
 で、今日の仕事は、畑に散らかっているカラ木箱(種イモが入ってた)を回収すること。ちなみに、今日までにウスウス感じていたことだが、「常勤従業員」と「臨時従業員」の間には、労働内容・キツさに差があるように思える。一番分かりやすかったのは、昨日のアバカチ収穫。常勤は実を落としていくだけ=直立姿勢で、臨時は落とされた実を拾う=腰に来る。んで、俺ら研修生は、ほとんど常勤と一緒に働いてるから、言ってしまえば働いてる実感があんまりない。いや、ブラジル人にすれば、それで十分働いてることになるのかもしれないが、自分のハウスにおける夏場の仕事量を考慮するに、「生ぬるい」と感じざるを得ない。
 で、午後から空き時間。例によって、セントロの公園で三線。オールニーはやっぱりいたんで、隣に陣取り客引き演奏。ナタウってことで、いつもより客の入りが良かったように見えた。そしてナタウだからか、彼の口からは「キリスト教」にまつわる話も出た。で、彼は「自分はカトリックではない」と言った。いわゆる「宗派」ってのを無視して、単にデウスとキリストを崇めてるんだとかで、ある意味「純粋」である。また、胸の前で「十字」を切るのを好まない。それは「死」の象徴であり、彼の中ではデウスもキリストも生きているからだとか。マコーニャの人だから、「悪魔崇拝」とか「無神論者」だとか思ってたんで、意外だった。しかし、むしろ逆なのかもしれない。遠い昔、神につかえる者達は、現代で言う「薬」の類によって神の声を聞いたという。おそらく、マコーニャの彼にも、「何か」が聞こえたり見えたりしているんだろう。
 そして夕方、オールニーは俺の目の前で「取引」をした。お値段は、100gでちょうど100ヘアウで、彼によるとこれで約1ヶ月もつらしい。使い方は、塊をナイフとかで削ってから適当な紙に巻いて、タバコと同じく吸えばいいんだとか・・・その後、彼から「危険なパーティー」へのお誘いを受ける。しかし、それをやっちまうとさすがに「マズイ」と思い、ちょうど一緒に研修しているA君が腹を壊して調子が悪いので、それを理由に断っといた。ブラジルに永住してもいいけど、「そういう形」の永住は望んじゃいないさ。
 その後、ナタウの市内の賑わいでも撮影しようと思ったが、先に聞いてたようにファミリーで祝うとのことで、意外に閑散としていた。日中は結構人出があったが、たぶんそれは夜のための買出しだったんだろう。そして雷&豪雨ときたもんだから、俺もホテルに戻るしかなかった。聞けば、サンパウロとかリオみたいな大都市部だとナタウのフェスタがあるらしいが、ここサン・ゴタルドみたいな地方の小都市にはないんだそうな。 

2004年12月23日  アバカチ収穫
 曇時々雨
 昨日からの雨で、ジャガイモ畑はぬかってどーしようもない。ので、今日はアバカチ(アボガド)の収穫作業になった。行きの車の中ではピーヴォの話が出たんでメモ。1周で、約110〜115haの面積に潅水できるとのこと(これは大型で、一般的なのは約60ha用らしい)。つまり「円周内の面積が115haになる円がある場合、その半径は何mか?」って問題が解ければ、ピーヴォの長さがわかる。しかし残念ながら、俺は「算数」ができないので、わかんねー。
 んで、アバカチ。とりあえず樹についてる状態(1枚目)の実を、ひっかけ金具付きの竹棒で落としていく(2枚目)。いいのかそれで?ってぐらいに、地面にボタボタ落としていく(3枚目)。腐ってたり、ひどい虫食いなんかはさすがにダメみたいだったが、キズ等の「見た目」は問題にならないみたいだった。聞いたら、1kg当り40センターボ(100センターボ=1ヘアウ=約40円)で出荷するらしい。
 なお、アバカチ畑はコブラ(ポル語では蛇全般をこう呼ぶ)の巣窟だそうで、実際、1日に3匹見た。2枚目の緑色の奴は、撮影後に俺が殺した。
 そいから、アバカチ畑の隣には成木のコーヒー畑があったんで撮影。雑誌の写真とかで知ってたが、コーヒー党としては、現物を見るとまた感激である。青い実がコーヒーであります。ちなみに、まだ見てないが「コーヒー収穫機」ってのがあるそうで、開発者は日系人とのこと。
 そしてこのアバカチ畑は、今まで作業した畑の中で一番眺めがいい。最後は、ブラジルで吸うことにしたタバコ「ホデオ」。1カートンで約400円と安い。どこの畑でも、これを吸ってる人が一番多い。「労働者階級のタバコ」と思われる。
 今日は遅くなったんで以上。

2004年12月22日  雨なんで
 雨
 ブラジルに着いてから、たぶん初の「1日中雨」。今日は、ジャガイモ畑に連行された。班長はジュリオの兄弟、マルコス。ジュリオとは対照的で、結構マジメ系だと感じた。とりあえず彼に案内され、まずは畑で種イモ植付けの様子を見学。植付け間隔は約30cmで、空いた肥料袋を肩から下げて、木箱から種イモを受け取り、手で一つ一つ落としていくんだそうな。北海道でもジャガイモいじったけど、植付けはやってないから、どーやってるかは不明。
 この後は雨がさらに強まったんで、トラックの幌に避難。そのまんま昼メシまで雨宿り状態だったんで何もしなかった。
 昼メシ後も雨が強いってことで、倉庫で待機。しっかし、どこにいっても辞書は最強のツールである。今回は10人ちょいの班だったが、辞書を差し出したらやっぱし下ネタ単語ばっかし引いてくる。いや、最初のコミュニケーション手法としては、最も手っ取り早いんだと思われる。さらに、「写真撮るか?」ってエロカレンダーを持ち出してきた。せっかくなんで撮影(1枚目。日本では18禁デシ。)この後はエロ本も登場。やっぱし「刈り取り済み」である。
 他、小声で「あいつホモらしいんだけど、日本では何て言うんだ?」って聞かれ、若干違うが「おかま」って答えたら、先日の「せっぷん」以上にヒットして、ひたすら「OKAMA」が飛び交う。加えて「ぽっそ・えんとらーる・の・あーぬす?」(ケツに入っても良いですか?)とか言ってみたら、これもヒットした。思うに、外国人(つまり俺)が発する下ネタってのは、くだらんことでも単純にオモロイんだと思われる。
 結局そんな調子で、13時過ぎまで昼メシ休憩。雨が小康状態になったんで畑へ。落とした種イモには機械で土を被せるのだが、一部剥き出しになるものがある。ので、みんなで畑を歩き、剥き出しイモを発見次第、埋めてやるという作業をした。途中の休憩中には、「ミンジン」を撮影(2枚目。小指の先にとまってる)。
 現場にいながら、ろくに仕事らしい仕事をしない1日だった。なんか、逆に疲れた。 

2004年12月21日  せぐらんさ・へうにおん&初売り込み
 曇一時雨
 今日は現場仕事がなかった。聞けば今日は、「セグランサ・ヘウニオン」(直訳すると、安全会議)だそうな。よーするに、労働にまつわる事故・病気、あるいは雇用問題なんかを防止するため、全従業員を集めて開催する講演会。一定数以上の従業員を抱える事業所は、法律によって年に一回の開催を義務付けられているそうな。日本でもありそうだが、俺は「まともに」サラリーマンやったことがないから知らない。以下、会場の様子。なんか知らんが、みんな専用のユニフォームってか青いTシャツ着てた。背中には次のようにスローガン(?)がある。
 「Seguranca e Prevencao : Uma parceria que da certo.」
 意訳すれば、「安全確保と事故防止は、仕事で成果を上げるために不可欠の要素であり、どちらが欠けてもいけない。」みたいになると思われる。
 んで今日は久々にジュリオ達に会ったんで、ニンジン畑だのコーヒー畑だので働いたこととか、日曜日の件とかを話した。
 会議ってか講演は、講師とテーマを入れ替えつつ、17時まで延々と続いた。OHPだのスライドだのを使う講師も多かったんで、辞書を引きつつ部分的に理解した。また、「講演」ってことで発音もきれいで、リスニングとしても勉強になった。
 今日の進行状況は以下の通り。
@モチベーションについて
 「使用」されているのか、「仕事」してるのか。自分の気持ちとの間に良い関係を持つこと=嫌な仕事なら転職しろってことか?
A機械や農薬の正しい使用法について
 ビデオを交えつつ。農薬の使用法(マスクとかエプロン着用etc)については、基本は日本と一緒。他に、収穫物の保存と流通の件も含んだ話だった。
B職業病について
 よく分からんかったが、職業病の概念を提示した後、腰痛など具体的な話。
Cここで昼メシ(下の写真)。鶏肉入りのチャーハンみたいな「ガリニャーダ」を食う。うまい。
 午後からの流れ。
D野良仕事の危険性について
 午後からは外が明るくなったことでOHPが見えにくくなり、よくわからなかった。講師はおばちゃんで、やたら早口だから聞き取りもできず。
 なお、昼メシ後のジュリオ(ずっと俺の隣に座ってた)は、前の人を突っついたり「イタズラ」を始める。他の従業員も、午前中は静かだったのが昼メシ後からざわつき始める。長時間静かにしている事ができないのは、日本人と同じだろう。ましてブラジル人だから余計に。
E労働時間と休暇、賃金などについて
 講師は30代前半と思われる女性。「タ?」(≒いい?orわかった?)と、「ネ?」(≒でしょ?)の発音が可愛くてよかった。OHPは、やっぱしよく読めなかった。
Fガンなどの病気について
 これも解読不可。
G何かについて
 OHPも何も使わないで話だけだったから、ほとんど理解できず。タバコがどうこう言ってたことだけはわかった。
 以上。
 あと、最初に会場入口で番号札を引いたのだが、その数字を使って、講演の合間には息抜きみたいに「抽選会」もあった。番号呼ばれたんで前まで取りに行き(アドレス帳もらった)、全従業員に向かって手を振ったりして挨拶した。その後、15時の「おやつの時間」があったが、先の挨拶(もちろん、オーバーアクションな)で俺を見て気に入ったらしいおばちゃん&30代と思われる女性が話し掛けてきた。2人とはいえ、「おばちゃん世界」との接点を確保。
 ありきたりの基本的自己紹介の後、ついにブラジルで(対おばちゃん)初売り込みをかける。
 「俺はブラジルが気に入った。」
 「おお、そーかい。」
 「んで、ボニータなブラジルねーちゃんと結婚したい。」
 「(笑)」
 「して、もし結婚できたら、死ぬまでブラジルに住む。」
 「あんた、いつまでここにいるの?」
 「1月末まで、ホテル・プリマヴェーラにいる。」
 「わかった、まかしとき〜」
 みたいな返事を頂いた。特に、30代の方が乗り気に見えた。隣で見てたジュリオも「やったじゃねーかヨ」みたいに肩叩いてきた。まぁ、こっちで売れなきゃ「在庫品」として日本に戻るだけだが、日本でもブラジルでも、やっぱし持つべきものは「おばちゃん」であると再確認した。
 今日はそんな一日。最後に、ブラジルの男子小便器を紹介。仕切りがないが、確か小学校にあった古い便所もこんなだった気がする。


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