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04年12月中旬の作業日誌
2004年12月20日  ブラジルのおばちゃんは日本と違う・・・と思うよ
 曇一時強い雨
 今日は、念願のコーヒーを扱った。コーヒー苗の定植現場へ派遣された。17日に見学した時にだいたい分かってたことだが、ここはおばちゃんが多い現場。日本でもそういう傾向はあるが、おうおうにして「手作業」は女性、「機械作業」は男性っていう分け方は、ブラジルでも同じだと思った。
 で、悪いが俺は「(日本では)おばちゃんウケが良い」と自負している。が、どうも勝手が、空気が違う。もう、最初に自己紹介した段階で、「何だその変なポルトガル語は?」みたいな顔をされる。「おおぅ、みーにゃ・ぷろぬんしあ・え・えすとらーにょ・ね?」(ああ、俺の発音って変ですよね?)って、他でもやったように自己フォローしてみるも、やっぱしダメ。「うんうん、かんなりおかしいよ。」って顔されるだけ・・・なんでだ!やっぱ、「ポル語版主婦の会話」に付いていけないからか?
 そんなだったんで、今日はロクにポル語会話ができなかったし、空気が空気だったんで写真も取れなかった(意気地ねー)。途中、辞書を出したら食いついて来たが、いわゆる下ネタ系の単語ばっかし引いては「日本語でこれは何て言うんだ?」とか、そんなんばっかし。ブラジルでも、おばちゃん(の集団)は、下ネタが好きみたいである。特に「ベイジョ」の日本語が気に入ったようだった。「キス」って英語式に答えるのもつまらんので、あえて「せっぷん」とか答えてみたら、この発音がヒットしたらしい。40〜50人のおばちゃんらの間に一気に広まり、各所で「Seppun」って単語を交えた会話が飛び交う。よし、いけると思い「ばーもす・せっぷん・こみーご!」(さぁ、俺とせっぷんしましょう)って言ってみたら、的中。これも広まった。しかし・・・悲しいかな、それ以上彼女達の会話に入り込むことはできなかった。それに、何か男のポル語よりも聞き取りにくい(やたら早口)のだ。また、ここではタバコ吸いながら仕事することも許されているから、仕事しながら会話することだってもちろんOK。だから、彼女達の会話は(日本と同じで)途切れないのだ=入り込む余地がない。
 今日判明したことは、ファーストコンタクトに限り、ブラジルではおばちゃんよりもおっちゃんの方がスムーズに行くらしいということ。日本では逆である気がしている。いや、ブラジルのおばちゃんも集団じゃなけりゃ別かもしれないが・・・しかし、日本ならおばちゃん集団にだって入り込める俺である。やっぱし、ポル語会話能力の問題なんだろう。
 とにかく、おばちゃんに溶け込むことには失敗した。また何日か一緒に仕事をするだろうが、あの「輪」を切り崩して入り込むのは、至難の業かもしれない。が、とりあえずコーヒー苗は植えられたから、約3年後には俺の植えた苗からも収穫が上がり、どっかへ輸出されることだろう。

2004年12月19日  へぇ〜・・・へぇ〜・・・へぇ〜・・・
 朝のうち雨のち曇
 ガウショのオールニーとの約束通り、8時頃には三線を持って教会へ。が、結構な雨。雨の場合の話をしてなかったが、露天商だから中止かなと思ってたら、やっぱり来なかった。帰ろうとした頃、珍しがって話し掛けてきたおっちゃんあり。「お前、それ弾くんならマニャン・フェスタでやったらどうだ?」って薦められる。「フェスタはどこでやってるの?」って場所を聞いて、行ってみた。場所は町のサッカー場で、何だか理由は知らないが無料でいろいろ飲み食いできるみたいで、入口では人がごった返していた。下は会場の全景。着いた頃には雨もあがった。
 で、昨日と同じく三線を鳴らしてみる。最初はみんな「無料コーナー」に釘付けだったが、30分もすると「珍しいエサ」に食いついてきた。ただし、昨日と状況が違うのは、集まってきたのは半分以上「ガキンチョ」ってこと。最初は大人しく見てただけだったが、「おい日本人!お前腹減ってないのか?」とか聞いてくる。アイスだのジュースだのもらってきてくれたりしてカタコト会話をするうちに、「俺の名前はアリッソンだ。日本の文字で俺の名前を書いてくれ。」とか言い出した奴がいた。これが全ての始まりだった。最初っから集まってたガキンチョがみんな「俺も俺も」式に要求を始め、その騒ぎっていうか人だかりを見て他からも集まり、次々に「ひらがな」でブラジル名を紙に書いては渡すことになった。たぶん1時間近く「日本名サイン会」をしたと思う。
 騒ぎが一段落してからは場所を移動して、三線再開。今度はもうちょっと年齢層が高くなって一安心。「やってみるか?」って薦めてカタコト会話。そのうち、たぶん地方局であろうTVカメラが来て取材を受けるも、よく分からないんで当たり前の自己紹介と三線の説明&実演した。すげー単純だが、ドレミファソラシドはやっぱし世界共通なんで、それを弾いてやるだけでもかなりウケる。また、聞きもしないのに「あたしの名前はパトリシア」「あたしはエレーナ」とか5〜6人のねーちゃんが言ってきたんでちょいと嬉しかったが、いっぺんに言われるから、残念なことに既に顔と名前がごっちゃになっている。「また今度の週末には、セントロの公園で弾くから。」とは言っといた。
 昼前にはフェスタが終わったんで公園に向かうと、オールニーに会った。「なんだよ〜教会で待ってたんだよ。で、こねーからフェスタで弾いてきた。」って言うと「いや、雨だから休みなんだ。」って予想通りの返事だった。ブラジルでは、日曜はほとんどの店が閉まる。近くの店の軒下に陣取り、俺は俺で三線弾いて客引き状態になる。オールニーは今日は商売するつもりはなかったみたいだが、人が集まったんで店(っていうかフロシキ)をひろげた。20ヘアウぐらい売ったみたいだった。
 で、このあとは「へぇ〜」。なるほどなるほど。ふ〜ん・・・ほぉ〜お・・・勉強になります。
 (検閲済み。)

2004年12月18日  散歩&ブラジルで三線
 晴だったり曇だったり雨だったり
 土曜と日曜は休みである。いや、百姓仕事が趣味である俺としては現場に出ていたいのだが、仕事を知っている一般従業員がいなけりゃ、畑にいても何ができるわけでもない。
 なんで、午前中は市内を散歩した。まずは、27日発の夜行バス切符を買いにバスターミナルへ。28日にサンパウロで中間報告会に出席した後、翌日からはイグアスへ行くためだ。サンゴタルドに到着した段階で、切符売り場には「しきり」があることを見たんで、あらかじめメモ書きをしておいた。ただでさえ十分なリスニングができないのに、しきりがあったんじゃ何も聞き取れない恐れが大である。メモも併用して無事に購入できた。お値段は約70ヘアウ。800kmという走行距離を考えりゃ、十分に安い。あとは、昼まで市内をブラブラ。地元の人はどのぐらい歩くんだか知らないが、アップダウンの道をかなり歩いた気がする。ちょいと離れた所まで来たんで、教会を中心とした町の遠景を撮影(1枚目)。住宅地を歩けば、「ここにゴミ捨てるな」っていう、日本と同じような注意書きも目に付いた。サンパウロもそうだが、ここも道路にゴミがたくさん散らかっている町である。
 昼は、経済性と利便性を考え、スーパーでパンとかハムとか調理不要の食材を購入。メシのたんびに外出ってのは面倒だし、半額ぐらいで済む。物価が安いとは言え、チリも積もればである。で、ホテルでそれ食って、午後は三線を弾きに公園へ。予想的中である。珍しがって、たぶん10人ぐらいの人が声かけてきた。「いんすとるーめんと?」「すぃん、いんすとるーめんと・じゃぽねーず・とらぢっしぃおなう。のーみ・え・しゃみせん。えすぺりめんた?」とかの調子で。中でも、アルテザォン(露天で自作アクセサリー売ってる人)のオールニーとは色々話した。彼は自分の事を「ガウショ」といい、彼の説明によると、スペイン系とインディオの混血だそうな。
 ちなみに彼は、ポル語で言う「マコーニャ」の人だが、特別に変わった様子はなく普通だった。いや、その程度じゃなきゃ商売なんてできんだろうし、あんな細かいアクセサリーを器用に作れるはずがない。んで、「明日、俺は8時に教会の前でこれを売る。お前は俺の隣にいてそれを弾いたらどうだ?弾き終ったら、帽子を前に出して物欲しげな顔をすりゃ、金をくれると思う。」・・・おぉ、「金持ち日本人」が物乞いである。面白そうなんで、OKして別れた。
 夜は、ジューリョ達が来るかと思ってたがやっぱり来ず。一方、奥山さんからは組合の忘年会に誘われたんで参加。意外に日系人が多く、つまみに刺身が出たりした。俺の好きなサーモンも出たが、聞けばブラジルでサーモンは獲れないとのこと。チリから養殖物を輸入しているそうだが、そこには日本の技術支援があったそうな。
 今日はそんな具合。

2004年12月17日  ニンジン畑とコーヒー定植の見学&接続成功
 晴だったり曇だったり
 今日も大豆だと思ったが、奥山さんが「今日はニンジン見てもらおう」とか言うので、ニンジン畑で収穫の見学(写真)。ここはたくさん人がいて、聞いたら50人ぐらいで仕事してるんだとか。今日は収穫作業中だった。現場監督のペヘーラさんに連れられて、ひたすら歩いて見て回る。ほぼ全員の前で立ち止まって名前を紹介されるも、覚えきれません。んで、やっぱ日本人は珍しがられ、何人かは車から嬉しそうにエロ本を取り出してきた。「どうだ?」「おおぅ、ちょーいい!」とか、ブラジル人にウケるように大げさな反応をしてみる。「日本にこーいうのはあるか?」とか言ってくるんで、「ある。でも、アソコの写真は禁止されている。」って、正しい説明をした。サンパウロのねーちゃんもそうだったし、今回のエロ本の写真も考慮すると、どうやらブラジルは「パイパン礼賛」の国らしい・・・
 んで、仕事かと思いきや、いつまで経ってもペヘーラさんは畑を歩き回って見てるだけ。たまに収穫物の入ったコンテナをひっくり返しては、クズものをはねるだけ。もちろん手伝うが、どうも仕事っていう程ではない。昼メシまでそんな感じでどうかと思ったんで、言ってみた。「俺もこの人たちと一緒に仕事したい。」と、ペヘーラさんは何か言って渋ってたが、ニンジンひっこ抜きをさせてもらった。聞けなかったが、間引きとかをしてないみたいで、サイズは実にバラバラだった。ここまでの面積になるとそんなこともしてらんないのかもしれないし、ブラジルの消費者は形とかにこだわらないからかもしれないし。
 んで、30分ぐらい引っこ抜いてたら呼ばれたんで終わり。聞いたら、ここの人らは「1コンテナ収穫してなんぼ」で給料を貰ってるんだとか。だから、ヘタに俺らが誰かを手伝うと、他と不公平になるみたいなことだった。このニンジン畑の人はやたらと一生懸命仕事してるのが意外だったが、その理由がわかった。つーことで、今日はほとんど単なる「見学」で終わった。なお、サンゴタルドという町は、ブラジル国内ではニンジン生産で有名な町らしい。
 夕方には、コーヒーの定植があるって言うんで、見せてもらう。ありったけのポル語と辞書を駆使して聞けたのは、以下の内容。
 株間は70cm、深さは20cmで定植する。この畑では約40人が働いていて、1日に平均500本ぐらいの苗を植える。んで、1日の賃金は18ヘアウ=約720円。今日植えている品種は「カトアイ」って言ってたが、他にも「ムンド・ノーヴォ」とか「ヤパ」っていう品種もあるそうな。日本でブラジルのコーヒーっていえば、一般には「サントスNo.2」としてまとめられるが、実際にはやっぱしこーやっていろいろ品種があるということが分かった。当たり前だが・・・
 以下、コーヒーの苗と定植の様子、畑全景。
 今日の帰りは、ジャーミーさんに送ってもらったんで、聞き取りはない。夜はこれから、ペヘーラさんと飲みに行く予定。
 そして今帰ってきた。いや、たまげた。8時にホテルへ迎えに行くって言うから、車で来るもんだと思ってたら、ニンジン畑で見た「バス」で来た。「あなたのバス?」って聞いたら「そう。」って・・・つまり、町から畑へ仕事に行く人を送迎することも彼の仕事であり、日本で大型ダンプを持ってる人と同じ感覚なんだと思う。
 んで、ペヘーラさんは「すまんが頭痛くなったんで、今日は飲めなくなった。代わりに、うちで晩飯を用意したんで食ってくれ。」そういう理由で、普通にブラジルの家庭料理を食わせてもらった。カメラをホテルに置いてきてしまったんで、残念ながら写真はない。ペヘーラさんは「明日、改めて飲もう。」と言ってくれたが、土曜はジュリオ達との約束があるんで、その旨を伝えて謝った。いや、今日は大豆畑に行くつもりだったのが、いきなりニンジン畑に連れて行かれたから、時間とかの打ち合わせができなかった。だから、もしかしたら来ないかもしれないが・・・まぁ、「土曜の夜」ってことまでは約束してあるわけだから、もし彼らが来て、俺が別の人と飲みに行ってたら気を悪くするに違いないし。
 そいから、昨日まではサンゴタルドでのネット接続を諦めてたんだが、ものは試しってことでフロントに「ネット接続したいんだけど、どうしたらいい?」って言ってみたら、電話機を交換したり色々してくれて、こっちも色々設定をいじったら繋げるようになった。聞いてみるもんだ。

2004年12月16日  やっと俺のポル語能力を分かってもらえた
 今日は雨が降らなかったが、やっぱし変わりやすく、晴だったり曇だったり。あと、今まで書いてなかったが、気温は高いんだろうが湿度は低い(サンパウロはムシムシした)。日焼けはしても、常に風が吹いてるから、汗はほとんどかかないし、日本の夏よりも体感温度は低いと思う。朝と夜は結構涼しくなるし、場合によっては軽く長袖を羽織った方が丁度いい日もある。
 仕事は相変わらずだが、みんなやっと俺の会話能力レベルを理解したみたいで、ほとんど単語を区切る形で発音してくれるようになった。
 そして今日のジュリオは俺のカメラに興味を持って「撮ってみたい」とか言うんで、せっかくだから撮ってもらった。1枚目は、ホジェリオと肩組んで。荷台に写ってるのはジョアン。2枚目は、上から撮ったジュリオ。4人の中では一番陽気で、日本人がイメージするブラジル人ってのはこんなだろうって男である。3枚目は、ジュリオが「トラクタに乗ってる所を撮ってやる」って言うんでお任せしたもの。ヘジョナルドは写ってないが、彼は意外に「内気」なブラジル人で、俺に対して一番「顔見知り」してる気がする。まぁ、時間が解決するべ。
 そいから、ピーヴォ(1枚目)の側を通ったんで撮影。地上からの高さは、たぶん3mぐらいはあると思われ、長さはホジェリオも知らないと言った。まぁ、とにかく長い。仕事が終わってからは、近所の日系2世「ヒサツグさん」に案内され、倉庫から歩いて5分ぐらいの所にある「ミーナス」(地下水の湧き出てる所。源流。)を教えてもらう。濡れてるから、ただでさえ赤い土がさらに赤みを増している。飲んでみたが、結構冷たくてうまい。なお、ヒサツグさんは、今年250haの農地を奥山さんに売った人で、来年には兄弟のいるパラナへ引っ越すという。詳しい事情は聞かなかったが、奥山さんは「あの人もかわいそうな人で・・・」とか言うことを考えるに、おそらくは経営に失敗したんだと思われる。
 そして今日の帰りは、作物別の情報を聞き取り。植付け&収穫時期、ha当りの収穫量をメモ。
●大豆
 10〜12月:植付け 3〜5月:収穫 ha当り収量:2500〜3500kg
●コーヒー
 6月:播種 8月:ポットへ移植(ここまでは業者がやり、奥山さんは苗を購入。)
 12月:定植〜2年半ぐらい過ぎると収穫できる。 んで、6〜9月:収穫
 ha当り収量:1俵60kg×30俵(良いときには70〜80俵取れるが、平均すると30俵ぐらいだそうな。)
●トウモロコシ
 10〜11月:植付け 3〜6月:収穫 ha当り収量:6000〜7500kg
●ニンジン
 1年中、時間差で植付ける。
 夏物 90〜100日で収穫。 ha当り収量:30〜50t
 冬物 120日前後で収穫。 ha当り収量:60〜80t
●ニンニク
 3月末〜4月:植付け 8月末〜9月:収穫 ha当り収量:10〜15t
●タマネギ
 2〜4月:植付け 7〜9月:収穫 ha当り収量:40〜70t
●ジャガイモ
 夏物 11〜12月:植付け 3〜4月:収穫 ha当り収量:35〜40t
 冬物 4〜5月:植付け 9〜10月:収穫 ha当り収量:約45t
●小麦
 3〜4月:植付け 8月頃:収穫。 ha当り収量:4〜6t
 ・・・聞けばこんな具合らしい。詳しい面積は聞き忘れたが、大豆とトウモロコシ、そしてコーヒーで大部分を占めているということだった。
 んで、今後はコーヒーの作付け面積(現状は250ha)を増やしていきたいと言う。単位面積あたりの収益が、大豆の10倍ぐらいになるとか。ミナスのような(ってかブラジル全土か?)丘陵地帯では、傾斜地での降雨による土壌流出が問題で、そういうところにコーヒーを植えれば、収益は上がるし土壌の流出も防げるってわけだ。
 また、ブラジルでは政策によってガスが非常に高いそうで、各都市部の溶鉱炉でも「薪」を使用しているんだとか。ところが、その原料となる木材は、溶鉱炉からウン百kmと離れた所から運んでくるからコストが高くなる。なんで、奥山さんとしては安い農地を買って「ユーカリ」を植えて、溶鉱炉へ販売する計画も持っているとのこと。輸送コスト分が安くなるから、売れる見込みはあるとのこと。ある意味、工業的原料を農業によって生産することになるわけで、面白い発想である。また、なんでユーカリかというと、病気に強くて生育が早いからだそうだ。
 そいから今日の話で、サンパウロの排気ガスの匂いが日本と違う理由が分かった。なんか、ガスっていうか甘ったるい匂いの排気ガス。それは、サトウキビから取ったアルコールをガソリンに混ぜてるからだそうな。大気汚染対策だそうで。へぇ〜
 今日はそんなとこ。しっかし、仕事始まってから書くことが多い・・・どーでもいいことも多いが。

2004年12月15日  日本より反応がいい
 天気は昨日に同じ。サンパウロはこんなにひどく降らなかったが、どうやら雨季のブラジルにおける天候ってのはこんなもんなんだと思う。
 1日の生活サイクル及び仕事の流れはだいたい掴んだ。また変わるかもしれないが、現状のライフスタイルを書く。
 6:00過ぎ起床。7:00に奥山さんがホテルまで迎えに来るんで、それまでに朝メシと準備を済ませる。洗濯物を頼む時はそれも朝に。ホテルから畑までは約30分と遠い。昨日書いたように休憩は極めて適当だが、7:30〜11:00が仕事。12:00までは昼メシ。あとは17:00まで仕事して、また奥山さんがホテルまで送ってくれる。17:30頃ホテル着。まずは赤土まみれの体を洗う。あとは、必要なら近くのスーパーまで買い物。(安い。例えばビール1缶が1.2ヘアウぐらいだから50円以下。)あるいは、一服しつつダラダラとポル語TVなど見て、リスニング能力向上を図る。19:30頃には近くのレストランで夕メシ。5.5ヘアウ=約220円で十分な量が食える。ホテルに戻ってからは、翌日の昼メシ用にテイクアウト弁当みたいなものを宅配してもらう。あとは寝るだけ・・・こんな感じ。
 んで、今日のこと。畑の場所が変わるだけで仕事は同じだが、辞書に載ってない単語を3つ教えられた。まず、「ミンジン」。1回り小さい、黄色っぽいハエのことらしい。もう慣れつつあるがミンジンはやたらと多く、体に取り付いては汗だろうか、何かを吸っている。あと、厄介だという雑草の一つ「チリリッカ」。イネ科に見えるが、どうもユリ科らしい。あとは「ミジョーチ」。日本で言う「立ち小便」のことと思われる。それと、やっといっしょに働いてる全員の名前を覚えた。ジュリオ、ホジェリオ、ヘジョナルド、ジョアン、そして親方のドドさん。
 んで、今日もジュリオと話すことが多かった。「お前はいつまでここにいるんだ?」みたいな話になった。そろそろ良いだろうと思い、こう返す。「2月になれば日本に帰る予定。でも、ボニータなブラジレイロと結婚できたら、死ぬまでブラジルに住むつもり。」と・・・そしたら、こう返してきた。「俺が紹介してやる。あと、今週末にみんなで飲もう。」とか。いや、彼のことだから遊び半分だろうが、売り込んでからの反応は日本より早い。しかも「俺には妹がいるんだ。23歳だ。」とか。おいおい、自分の妹をそんなに軽々しく外国人に紹介するもんじゃない。とはいえ、ほんとにそうなったら、マジ移住しますよ。ええ。
 そんな具合で仕事が終わり、奥山さんに送ってもらいつつ聞き取り。今日は、輪作がらみ。
 一般的な輪作パターンとしては、大豆⇒トウモロコシ、あるいはニンジン⇒小麦orトウモロコシorジャガイモ、みたいに回すらしい。果樹であるコーヒーは、1回植えたら10年ぐらい収穫するそうだが、年取った樹を抜いた後は、2年ぐらい大豆とかを植えて、その後にまたコーヒーを植えるとか。
 また、農薬の話も出た。シンジェンタとか、米国系のメーカーの製剤が多くを占めてるそうな。環境がらみの「行政指導」もあるそうで、その辺りは日本と同じ。ただし、ほとんどの国民=消費者は、日本みたいに「安全・安心」なんか気にしてる余裕もない経済状態だから、気にしてるのは農家だけってのが実状らしい。食い物にこだわれるのは、金持ちの証拠。関連する話としては、数年前にフランス系のスーパーがブラジルに進出して、いわゆる「トレーサビリティー」をやったそうな。が、消費者には「意味不明」でウケなかったらしい・・・そんな話を聞いた。
 今日の写真は、ブラジルの「フェイジャオン畑」とアップ。つまりは「インゲン豆」みたいなもんで、ブラジルではこの豆をごった煮にして食う。

2004年12月14日  セラードに降るスコール
 曇だったり晴だったりスコールだったり
 今日からは、一般従業員と同じ時間から仕事。7:30開始である。とりあえず倉庫で、トラックに肥料と種を積み込む。しっかし、昨日も思ったが、全てにおいてゆっくりである。肥料積んじゃ一服、畑に着いたら一服と・・・。日本なら、10時と15時ってのが一般的だが、こっちではいわゆるちゃんとした一服はないらしい。すげーアバウト。
 んで、実際に仕事が始まったのは8:30頃。やることは昨日と一緒。ポル語会話については、相変わらずカタコトの状態。が、今日は辞書を持っていったんで、みんな珍しがっていろんな単語をひいては見せてきた。いっぺんに全部なんか覚えられるわけないが、そうやってコミュニケーションは着々と進んでいる。
 スコール前の写真を載せる。はるか彼方まで何にもないから、実際に現場で降り出す10〜15分ぐらい前に、雨が来ることが分かる。現場の人はそれを分かってるからちゃんと準備もできてる。トラックの荷台にブルーシートみたいのを広げて、その下で雨宿りした。多分、20分ぐらいで止んだ。
 今日は、帰りに車の中で聞いた、奥山農園の聞き取り調査結果を書く。今後もこういうネタが時々出ると思われるので悪しからず。
 1930年頃(以後、2ケタ表記)、奥山さんの父がブラジルへ移住した。入植地はサンパウロ州のプロミッソーンズとかいう町だった。父はそこで4〜5年、農園の従業員として働いた。その後、パラナ州のサンタマリアとかいう町で、15ha程の農地を買い、コーヒーをメインに農業生産を始めた。
 一方、息子である奥山さんは53年頃、経営面で父とは別に、パラナ州ロンドリーナっていう町に40haの農地を購入。んで、20年近く、コーヒーとラミーリョ(麻みたいな)をメインに農業生産を始めた。
 67年頃には、「奥山家」として、ブドウの品種「ルビーオクヤマ」の栽培で有名になった。(この件については聞き取り不備あり。)
 そして74年、コチア開拓団に乗っかり、現在地であるミナスジェライス州サンゴタルドへ移住。当時の奨励作物として、コーヒー、稲(陸稲)、大豆が挙げられていたため、それに準じて作付け。なお、この時の開拓団には90家族程がいたらしいが、今でも残っているのはその50%ぐらいだという。んで、当初の経営面積は、約250ha。
 83年頃には、例の「ピーヴォ」(巨大スプリンクラー)が導入され、乾季の生産性が向上。この頃までは、面積的な変化はない。つーのは、85年頃までのブラジルは「軍政」だったことが理由。その後「民政」に変わり、農政も変化したために農地が増やせる状況になり、85年には200haの農地を購入。んで、詳しくは理解できなかったが、農政の変化によって各地で組合が破綻したらしい。面積拡大と組合が破綻したことも手伝って、作付け品目にはニンジンとかタマネギとかジャガイモみたいな野菜類を加えるようになった。
 以後、面積の変化を書く。87〜8年に、125ha購入。94年、350ha購入。97年、100ha借地。98年、250ha購入。00年、750ha借地。04年、つまり今年は250a借地・・・一部は経営上「法人」として別扱いにしてるらしいが、いずれにしても全てが奥山さんの経営ってことになる。最初の250haから足し算すると、2275ha・・・とんでもねー面積だ。研修前に県から聞いてた面積は、大豆が500haとコーヒーが250ha。たぶんそれには、他の作物の面積が入ってなかったんだと思う。
 んで、どーやってこれを回してるのか。もちろんトップは奥山さんで、その下に息子さん。経理・会計は娘さんたちの担当だそうだ。して、家族外の常勤労働者は約80人。ちなみに、農繁期の臨時雇いまで入れると、総勢500人ぐらいになるという。農地の管理方法としては、農地を地区別に4つに分けて、それぞれに「親方」を置くのだそうだ。その下に、一般労働者が配分されるっていう構造らしい。また、4人の親方の中でも、俺が今いる班の親方「ドドさん」は、約900haの管理を任されてるそうな。あと、ヒラ労働者の月給は、約600〜800ヘアウ=日本円で24000〜32000円。平均月収が1万円の国であるから、これでどうにかなるんだと思われる。
 で、どんな経営実力なのか。サンゴタルドの組合には、約80の農業経営体が属しているそうだが、組合に属する農家の総農地面積のうち、約15%が奥山さんの経営。もちろん、売上でもトップである。本人が何の迷いもなくそう言ったわけだが、俺も何の迷いもなくそうだと思う。あと、生産物は全量組合へ出荷してるとのこと。
 今日の聞き取りはここまで。ホテルの部屋を交換してもらった(昨日までは冷蔵庫がない部屋だったのだ)ら、夜景が見えるんで撮影。

2004年12月13日  初仕事
 曇だったり晴だったりちょいと雨だったり
 朝は、奥山さんとこの従業員であるジャーミーさんが迎えに来て、まずは昨日と同じく、色んな所を見せてもらう。10時ごろには、現場に到着してブラジル人と初仕事。もちろん、日本語の分かる奥山さん(社長)はいない。それでいい。そーじゃなきゃ面白みがない。
で、 大豆の播種(直播)手伝いである。機械の構造は、北海道だの茨城だので見たのとほとんど同じで意外だった。もちろん、やることも日本と同じで、とりあえず種だの肥料だのの補充をしつつ、昼までを過ごす。ちなみに、今は夏時間(サマータイム)だからって、11時に昼メシ。まだ初顔合わせの人たちなんで、あんまりバシャバシャ写真は撮らなかったが、まずは昼メシ後に休憩している人々を(写真)。昼飯の件は何にも聞いてなかった=出るもんだと思って用意してなかったが、従業員のドドさんが持ってきてくれた。
 メシ後は、向こうもだいぶ「珍しい日本人」(この町に観光資源はない)に興味を示したか、いろいろ話し掛けられたんで相変わらずのカタコトで会話。まだ、話の端々しか理解できない。「もっとゆっくり喋ってくれ」って頼んでも、やっぱりまだ速いのだ。まぁ、例えゆっくり話されても、ボキャブラリーが圧倒的に不足してるから、十分には理解できない・・・
 しかし、特に俺と話したがるジューリョさんは、結構ゆっくりと簡単な単語で話してくれて、しまいには「お前、日本の農家なんだろ?トラクタ乗ってみたいか?」とか言う。お近づきになるチャンスってことで、もちろんOKした。乗ったのは1枚目。でかいはでかいが、北海道で乗ってたのと同じクラスだろう。操作レバーの類は配置が若干違うだけで、ジューリョさんに教えられたらすぐに分かった。ただし、播種機は牽引状態なんで日本と勝手が違う。バックする時にだいぶ手間取った。
 んで、たぶん向こうまで2kmぐらいあると言われた畑を、トラクタで往復播種してみた。2枚目は播種後にスタート地点から撮影したものだが、畑の果てがわからん。なお、左端にちょこっと見える高圧電線みたいのは、「ピーヴォ」っていう、超巨大スプリンクラー。今は雨季だからほとんど使わないそうだが、水をくみ上げる地点を中心に、コンパスみたいにグルグル回るらしいのだ。長さは、たぶんウン100mはあるだろう。あとで近くに行くことがあれば撮影する。
 3枚目は、播種している所。2台でやってるが、(農家しかわからんだろうが)かなり効率の悪い播種をしている。1台が播種した隣をなぞるように、もう1台が追いかける。説明が難しいが、これだと、先行の1台は2台目が到着するまで「待機」することになる。その時間がムダ。俺だったら、畑を2分割して、別々に2台を配置して仕事させる・・・まぁ、何も言わなかったが。ちなみに、日本の倍ぐらいの速度で播種している。規模が違うし、ここ「セラード」の超赤土はかなりサラサラなんで、速くても問題ないんだと思われる。
 あとは、播種機に乗って助手をして、夕方には奥山さんがホテルへ送ってくれた。車の中で、昼メシの件をどうするか話す。とてもじゃないが母屋まで戻って食える農地面積じゃないし、やっぱし何とか自分で用意して欲しいとのこと。いいねぇ。こういう状況大好き。何でも至れり尽せりの研修じゃ面白みがない。奥山さんと相談して、昼メシは、ホテルから宅配弁当もしくはサンドイッチを頼み、それを弁当箱に詰めるという作戦に出ることにした。ので、途中でスーパーに寄って購入。なくて困ってたサンダルも。外国は部屋の中も靴っていう文化だから、ホテルにスリッパないのか?
 んで、ホテルのレストランは「朝メシのみの営業」ってことも新たに判明したんで、夜飯は常に外食となる。まぁ、1食は日本円で200〜300円ぐらいだからいいが、近くにスーパーあるし、やっぱ自炊したかった・・・
 長いからまた明日。

2004年12月12日  サン・ゴタルド到着
 一般に、ブラジルの路面状況は悪い。サンパウロ程の大都市でも、かなりデコボコである。しかし、それはまだマシなんだと分かった。夜行バスがミナス州に入ると、今までに増して振動が激しくなり、寝てられなくなった。一緒に付いてきてくれた国井さんによると、特にミナスの道路状況は悪いらしい。AM3時半頃に振動で起きてからは、寝たくても寝られない状況。
 んで、7時半頃、研修先のミナス・ジェライス州サンゴタルドに到着。親方である奥山さんが出迎えてくれ、ホテルまで。後で昼メシ一緒しようとのことだったんで、国井さんと語って時を潰す。県人会についてかなりの暴露話も出たが(国井さんは副会長)、詳細は申し訳ないので割愛する。まぁ、よーするに、本人が望んだわけじゃないのに「国井の県人会」状態になってるという、「何でも一部の人間に任して、他はほとんど動かない」団体にありがちな実状だということ。国は違えど、いわゆる「営利目的じゃない団体」ってのは、どこも似たり寄ったりなんだと思う。なお、写真はホテル・プリマヴェーラの202号室内。日本円で1泊約800円朝食つき。
 昼飯を奥山さんと食って、畑だの関連施設なんかを車で案内される。結構な雨降りだったんで、ずっと車内から通り過ぎつつ見学。よって残念ながら写真はない。まぁ、これから2ヶ月もここにいるんだし、その時その時で撮ればいい。まぁとにかく、全てが物珍しい、単純にそれだけ。また、途中で立ち寄ったサンゴタルドの日系人会館みたいな所では、やはりビデオケが行われていた。ここでも薦められ、みんな演歌ばっかし歌ってて気が引けたが、分かりそうなところで「花」とかを得意のレディースボイスで熱唱した。あ、ちなみに奥山さんの車の中では、演歌がかかっていた。
 夕方にはホテルに戻り、明るかったんで近辺を散策。サンパウロもそうだったが、ここも急な坂が多く、歩くだけでトレーニングになりそうである。また、サンパウロに比べりゃ何もない町だが、俺はこのぐらいの方が住みやすい。歩いて2〜3分の所にスーパーもあり、不自由はない。ただし、今日は日曜なんで、店という店はほとんど閉まっていて、小さい町がより一層閑散とした感じになっていた。おそらくはこの町のシンボルであろう、教会だけ撮影(写真)。
 んで、夜は肝心の「ネット接続」を試みるも、どうあがいてもダメだった・・・

2004年12月11日  移動日
 今日は、21時発のサンゴタルド行き夜行バスに乗るまでヒマ。県人会館で青年部のみなさんと昼飯を一緒させてもらいつつ、日本語とポル語を交えつつ単語だの表現だのを覚えたり。何世だか聞くのを忘れたが、青年部のチエさんは、見た目はまるっきり日本人なのに、挨拶はいわゆる「情熱的」なもんで、その辺は完全にブラジレイラだったし、ボニータであった。
 午後には、リベルダージでたまたま「東洋祭り」があるってんで、ちょこっと見学(写真。どこの県人会かは不明)して、県人会の佐藤さんだったか(いろんな人と連続で挨拶したから誰だか忘れてしまった)と一緒に、徳島県人会館へメトロ(地下鉄)で向かう。広い会館でホールがあるんで、日曜日には年金生活者を中心に集まり、社交ダンスを楽しんでるんだとか。それを見せてもらった。国井さんからも聞いてたが、ブラジルの年金生活者は、メトロもバスもタダである。俺の「老後のあり方論」はご承知の通りだが、ある意味で老人福祉はブラジルも充実してると思った。
 その後は、青年部のジュリオさんに連れられて、北海道&東北ブロックの青年部合同の忘年会に参加。もちろん日系人ばっかなんで、俺のポル語もだいぶ通じた。なお、ディスコもあったが、むしろ多くはブラジル版カラオケの「ビデオケ」を楽しんでいた。通信カラオケじゃなく、ビデオCDみたいなのをソフトに使っている。しっかし不思議な気分である。見た目は日本人なのに、日本語の会話はたどたどしい人が多い。でも、歌わせると上手な日本語なのだ。1枚目は、ビデオケを歌う日系3世の方々(男の方がジュリオさん)。2枚目は、ブレてるがビデオケの画面で、スペアナがあるのがビデオケマシン。確かJ−WARKの「何もいえなくて・夏」とかを歌ってた。俺も薦められたんで「島唄」を歌ったが、歌詞はローマ字表記なんで、なかなか難しかった。
 あとは、サンパウロのチエテにあるバスターミナルから、夜行バスでサンゴタルドへ。すぐ寝られたが・・・(翌日に続く)


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