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04年12月上旬の作業日誌
2004年12月10日  サンパウロ市内見学、サンバ飲み&国際「交流」
 さて、思い出そう(12日に書いている)。
 午前中はオリエンテーションってことで、日本移民の歴史etcの概説を聞く。だいたいは事前に調べてたようなことだったので、目新しい情報というほどでもなく。ただし、やはり「移民1世」の口から語られるそれには、端的な表現だが「重み」が十分に感じられた。
 午後からは、山形県人会青年部のエドワルドさん(3世。日本語は微妙。)に連れられ、市内を見学した。
 1枚目は「パウリスタ博物館」。何か宮殿みたいな外観の中には、歴史的な展示がメイン。ブラジルおよびサン・パウロ史の勉強になるんだろうが、いかんせん説明文が満足に読めない・・・なお、この博物館の前には庭園があり、エドさんによると、その一角でドン・ペドロ(ブラジル初代皇帝)が、ポルトガルからの独立を宣言したそうな。
 2枚目は「植物園」。でっかいヤシ並木の先には、花だの熱帯植物だのが並ぶ。ちなみに、エドさんは左端に離れて写ってる人で、他は研修生軍団。3枚目は、園芸農家として写したガラス温室内部の骨組み。
 4枚目は、最後に連れて行かれた「ブタンタン毒蛇研究所」のヘビ。ここでは毒蛇に対する血清の研究なんかをしてるらしいが、休館日で建物内は見られず。ただし、ヘビ園は見学でき、ツチノコみたいなヘビがうじゃうじゃ見られた。ちなみに、ヘビが入ろうとしている丸いのは「巣」だそうな。・・・そんな具合で、夕方までエドさんの世話になった。
 夜は国井さんに連れられ、みんなで「サンバ・バー」みたいなとこに行った。もちろん、写真とかで知ってたわけだが、生で見るのは迫力が違う。まずはカポエイラ(ブラジルの格闘技?)の兄ちゃんらがステージを暴れ回り(1・2枚目)、サンバ姉ちゃんが出てきて(3・4枚目)、一番前の席だった俺らは姉ちゃんらに手を引かれてステージに上がり、見よう見まねで暴れた。研修生のY君は「ブラジル・サイコー!」を連呼していた。つーか、(これは商売とはいえ)ブラジル人のノリも、だんだんわかってきた気がする。しかし、あの「ケツ振り」は、どーやっても真似できん。
 その後は、いろいろ紆余曲折あったが、別のロージャ・エスペシアリザードへ行った。写真撮ってもいいか?って聞いたが、ダメって言われたんで撮ってない。残念・・・いや、撮れても公開はできん性質の画像だろう。
 以下、かなり生々しいネタなんで、ポル語でカモフラージュしながら書く。まぁ、想像はつくだろうが、そーいうネタを好まない方のために。
 店に入ると、スナックと同じノリでモッサが来て座り、しばし「カタコト」を話ながらベベール。んで、ベイジャしたりしてキ・ボニータな娘ならポッソ・レヴァール。して、ナ・ロージャのドルミトーリオ・デラでヴァーモス・ファゼールしてみた・・・が、エウ・エンテンヂ。つまり、エレットはするものの、ジェラウメンチ・ブラジレイラスは、大体のパルチにおいてマイス・タマーニョ・ド・キ・ノス・ジャポネーゼスなのだ。もちろん、インポルタンチなラも。ムイント・ヂスクルペだが、それが理由でエ・ナオン・アグラダーヴェウだった。まぁエラは、ゴストーゾだのオッチモだのヴォウだのヂッセたが、それはアショ・キ、コモ・コメルシオのヘプレゼンタサオンでしかない。それに、メウ・フィーリョだって、どう考えてもペケーノ・コントラ・エラである。よってエン・フィン、メイオ・ノーヴィでサイするしかなかったが、ある種の「国際交流」として勉強になったことは間違いない。(ちなみに、コンタはウン・オーラでドゥーゼントス・ヘアイスだから、マイス・バラット・ド・キ・ジャパオンと思われる。ジャパオンでディニェイロをペガしてのファゼールはないから、はっきり言えないが。)
 また、デポイス・ファゼールはロージャにボルテイが、今までヌのモッセーズがダンセインたステージで、「ファゼール・ショウ」が始まったのにはムイント・スープレーゾ!だった。もちろん、エリのフィーリョもオリェイ。それを見た限り、アショ・キやはりジェラウメンチなジャポネーゼスのフィーリョでは、ブラジレイラスをサチスフェイタまでシェガールのはヂフィシウだろう。他の4人も、エラのラはラルゴだったって言ってるから、おそらく間違いない。
 んで、朝方4時ごろに戻って爆睡。

2004年12月9日  合流、放浪&歓迎会
 朝6時に起きる。昨夜は3時間ぐらいしか寝てないが、これで時差ボケは解消したと思われる。朝メシを食いに食堂へ。「おはようございます。朝メシ・食べたい。」したら「ゴハーン?」とか日本語で聞かれ、「すぃん・ごはーん」と答える。したら、文字通りの御飯、すなわち日本式の朝食が出てきた。焼きシャケとか納豆とか・・・ブラジル式の朝食が出てくると思ってたんだが。まぁ、これはこれでアリかと。
 10時過ぎには、他の4人(もう1人いたが、家庭の事情によりドタキャン)と合流。その後、県人会の斎藤さんに連れられ、昼はハバーダ(下の写真)っていう、ビーフシチューみたいのを食う。問題なくうまい。ちゃんと混ぜて食った。
 食後は斎藤さんと別れ、みんなでリベルダージの散策。ガイドブックとかでよく目にする光景だが、現物を見た記念に撮影。左から、「リベルダージの大鳥居」「鳥居までの大阪橋」「橋の先にあった日本庭園」「庭園内部」・・・ほんと、ここはブラジルにしてブラジルではない。店の名前は日本語で書いてあったりするし、道を歩いているのも、20〜30%ぐらいはアジア系と思われた。なお、オモチャ屋もあったんで見ると、「セイント星矢」の着せ替えフィギュアを発見。が、高い。・・・平均月収が1万円なのに、約2000円って。富裕層が買うんだろう。とにかくここは、日本からの輸入(ってか海賊版だろう)ビデオとか漫画とかがたくさんあった。「天空の城ラピュタ」とか・・・あ、携帯は高い。見た中では、本体が8000円ぐらいとか。0円携帯ってのはなかった。
 この後、今日の到着組は眠いとのことでホテルに戻り、夕方まで一人で散歩。リベルダージを改めて回る。中国系ホテルのメニューと値段表はあったんで、物価の参考までに撮影(1枚目)。1ヘアウ=日本円で約38円。面倒なので40円をかけて考えている。例えば、YAKISOBAが9ヘアウなんで、約360円。他に比べて若干高い気がするが、そんな具合である・・・しかし、焼き魚定食はなんであんなに高いんだ?まぁ、内容にもよるんだろうが。あと、普通の店で売ってる350mlのジュースは、1.5レアウ=60円。これなら安さが伝わるだろう。
 のち、サンパウロの中心「セー」地区へ足を伸ばす。アホでかい教会があったんで撮影(2〜4枚目)。なお、リベルダージ地区を出てここまで来ると、アジア系の人口が一気に激減する。実は、リベルダージ周辺だけを回っているうちは「ブラジルへ来た」って実感が湧かなかったが、セー地区まで出て初めて「ブラジル」を実感した。また、路上生活者も目立つ。それと、4枚目の下にあるのプレハブみたいのは、いわゆる「エロ本屋(専門店?)」。画像を拡大していけば、どんなポスターか見てもらえるだろう。(もうちょっと近づいて撮影したかったが、怒られてもイヤなんでアウトレンジから。あ、ズームすりゃよかったのか。)神聖なる教会の裏側だってのにエロ本屋・・・なお、ここに限らず、市内の至る所に「本屋」がある。すげぇ。
 16時頃にはホテルに戻り、17時からはみんなで県人会へ行って、今後の予定を再確認。年末にはもう一度みんなで集合&中間報告会をするのだが、県人会の計らいで「ぜひ見て欲しい」と言われ、その後はかの有名な「イグアスの滝」へ行くことになった。また、研修予定者が1人減ったので、いろいろ話を聞いてちょいと考え、俺は研修計画の変更を申し出た。まずはミナスの奥山さん方に1ヶ月世話になり、後の1ヶ月は、ドタキャンの彼が入る予定だった会田さん方(パラナ州)で研修させてもらえないかと。どーせならいろんな形態の経営を見てみたいし、会田さんも日本からの研修生を楽しみにしていたらしいのだ。会田さんの都合次第ということだったが、問い合わせてもらえることになった。加えて、個人的「旅行」として、サントス(コーヒー好きにとっては外せない)と、できればアマゾンのマナウスに行きたいので、帰国の1週間ぐらい前に研修を打ち切らせていただきたい旨を伝える。「うん、せっかくだから、ブラジルの色んな所を見ていきなさい。」と、積極的なお返事を頂いた。
 夜は、いわゆる歓迎会で、シュハスコ(ブラジルの焼肉みたいな)を頂く。日本みたいに自分で焼くんじゃなくて、ボーイさんが「焼肉の塊」を持ってきて、ひたすら切り落として皿に置いて行く。(1&2枚目)いわゆる「食い放題」状態で、肉の種類もいろいろ。「もういらない」って言うまでエンドレスで持ってくる。酒は、ブラジルのさとうきび酒「ピンガ」(3枚目)。45%ぐらいでなかなか強いが、レモンが入ってるせいか、暑い気候にはさっぱりした飲み口。砂糖を入れて飲むのが一般的らしいのでそうしたかったが、まだ明日もオリエンテーションがあるから、悪酔いを避ける意味で今日はやめといた。あとで普通の飲み方も試そうと思う。
 今日はそんな具合。ホテルではもう一人PCを持ち込んだKさんがうまく接続できないってんで、いろいろサポートして、これアップして寝ます。はい。
 明日は9時からオリエンテーション。

2004年12月8日(サンパウロ時間、以後は帰国まで同じ)  反対側に到着
(写真はいずれも、到着前の機内より。写りが悪いが、下の陸地はブラジルのはず。)
 陸地が見え始める。南米大陸ってやつだ。よく分からんが、赤く見える部分は何だろうと思う。土の色か?作物の花とか何かか?
 んで、11:10頃、予定より若干早めに、サンパウロ・グァルーリョス空港に到着。国際空港なのに、何かあっさりした印象。入国審査が長蛇の列で、1時間近く待たされた。機内で書いた入国カード・税関カードも問題なく、待ち時間に対して通過は一瞬だった。荷物もロストしてないし、出口には山形県人会の国井副会長が迎えに来てくれているので、写真とか撮りたかったがさっさと出る。まず、当たり前だが、気温はやはり夏だった。しかも、意外にムシムシする。
 挨拶して国井さんの車(左ハンドルのカローラ)に乗り込み、市街へ。情報は得ていたが、サンパウロは運転の荒い車が多い。飛ばすのは日本でも当たり前だが、一番違うのは「割り込み」。ロクに確認もしないで、ぶつかる寸前ぐらいでムリヤリに入ってくる。日本でもたまにそーいう車がいるが、ここではみんながそうである。
 国井さんの話によると、国民の平均月収は日本円で1万円ぐらいで、公務員でも6万円ぐらいらしい。このカローラは高級車の部類に入り、なんと日本円換算で230万円もするとのこと。日本でカローラはそんなにしないはずだ。とにかく、カローラは抜きにしても、平均月収から考えて、この国の車の価格はすげー高いらしい。だったらもうちょっと大切にして慎重に運転しろって感じだが・・・なお、ブラジルに国産車はなく、全部外資系のメーカーが生産している。よく見かけたのは、フォルクスワーゲンの車。また、路面状況は結構デコボコで、端っこには川状態の道があった。聞くと、排水設備も十分でないため、ちょっと雨が降るとすぐに川になるらしい。昨日が雨だったそうな。
 道路関係では、信号待ちとか渋滞の停車中、サイドミラーにガムとかチョコレートとかの包みを貼り付ける人がいる。しかも、近くの他の車にも次々と貼っていく。聞くと、イタズラじゃなく、商売なんだとか。それを受け取ったら、金を払う。取らなければ、発進までに車の列をスタスタかいくぐり、同じ人が来て回収していく。回収までに発進したらどーなるんだろとか思ったが、そういうことにはならなかった。すげー商売だ。最初のカルチャーショックか。また、不用意に窓を開けると、銃を向けられて金を脅し取られたりとか、あるらしい。外務省の情報にも同じ記載があった気がするが、こうやって実際に乗ると、なるほどと思う。なお、車だけでなく歩行者もかなり危ない横断をする。国民性、ってやつなんだろうか。
(写真:到着直後のホテル内。外側は撮ってなかった。)
 で、話はホテルのことになる。改めて、リベルダージのホテルにしないかと言われ、まぁここでも言われちゃしゃーないなと思いつつ、お言葉どおりにした。中国系ブラジル人経営の「バロン・ルー」。フロントのねーちゃんが、あからさまに乳首スケスケのシャツでびっくり・・・日本じゃありえねー。まぁ、ブラジル女性のセックスアピールの一つなんだろう。チェックイン後は腹も減ってたんで、国井さんに連れられてメシを食う。日本食が良いか?とか言われたが、郷に入れば、である。ブラジル料理、フェイジョアーダを注文。小豆みたいな黒豆(フェイジャオン豆)に、肉とかをごった煮にしたような料理。写真とっときゃ良かった。米は、タイ米みたいなものを軽く炒めてあって、これとフェイジョアーダを混ぜて食うらしいので、そうする。つーか、ブラジルでは何でも「混ぜて食う」のが普通らしい。確かに、このパラパラ飯をそのまま食うのは大変だ。腹も減ってたし、口に合わないとかもなかったんで、全部平らげる。国井さんは、「日本から来た人は、大抵残すんですよ」と言い。小豆とかが嫌いな人、あるいは見た目がグロいのがダメなひとは、確かに食えないかもしれない。もちろん、俺にそんな好き嫌いはないし、それを食ってる人がいるんだから、俺に食えないわけはないのだ。ちなみに、これにセルベージャ(ビール)1缶も付けて約10ヘアウ=380円前後か。量的にはもうちょっとあってもいいが、十分な内に入る。
(写真:山形県人会の建物。宮崎県人会の看板も見える。)
 食後は、国井さんが県人会館へ行くというので、ついて行く。中に人がいるのに、内側からカギとチェーンロックまでかけていた。いきなり乱入されたりするのを防ぐためだとか。こっちでどうやって生きるべきか、イヤでもだんだん分かってきた。室内ではちょうど「花笠踊り」の練習が終わったところらしく、ミネラルウォーターを頂く。地方は別にして、サンパウロの水道水は飲まない方が良いらしい。花笠の踊子は、山形に限らず色んな県の出身者でやってるそうな。都道府県別に県人会はあれど、どこもその枠にこだわらずに活動してるらしい。ただ、沖縄県人会は別で、純粋に沖縄出身者だけで活動しているそうな。沖縄の人の結束力は、ブラジルでも同じらしい。
 後は、国井さんが仕事らしく、俺は俺でホテルに戻る。メシ食ったし時差ボケで眠いので、少し外を歩きたかったが、睡魔に負けて爆睡。23時頃=日本の昼前に起きて、成田からここまでの手記に記憶を織り交ぜつつ、こーやって打ち込んでいる、というわけだ。
 明日(ってか今日)は9時に国井さんのお迎えで、他の研修メンバーと合流する。

2004年12月7〜8日(トロント&サンパウロ時間)  隣のねーちゃん
 今回も席は当りだった。ちょうど脇に非常口のある席で、若干間隔が広いように見えた。ちなみに、もはや日本語のアナウンスはなく、英語とポル語+たぶんフランス語。俺は窓側だったのだが、離陸前にスッチーに質問される「すぴーく・いんぐりっしゅ?おあ、ふぁら・ぽるとぅげーず?」と。例によって「ぽるとぅげーず・うん・ぽうこ」・・・ああ、またやっちまった。すげー勢いの説明が始まり、「なおん・えんてんど・べん、ぢすくるぺ(よく理解できない、ごめんなさい)」と言うと、飽きれた顔して隣のお姉ちゃんに英語で話し出す。聞き取りすると、「離陸までは危険で、何かの時は非常口からの乗客脱出を手伝って欲しい。ついては、英語もしくはポル語ができる人が非常口の隣に座ってて欲しい。ベルトサインが消えたら、また元の席に入れ替わって良い・・・」ってことだったんで、しばらくはおねーちゃんと席替え。トロントのセキュリティーでの一件と、今回の件で、「うん・ぽうこ」は、たぶん日常会話が「普通に」出来る程度っていう意味なんだと思った。
 してこの隣のおねーちゃん、ゴメン、なかなかいい女。しかも、サンパウロは夏だからってかなり「開放的な」格好で来たもんだから、機内の温度が低くて(いや、俺もあんなに機内が寒いとは思わなかった)寒いらしい。俺は「山形仕様」のまんまだから別に大した事はないが、彼女はヒザ丸めて、プルプルしているのでアリマス。ブロンドのきれいな髪も一緒に揺れているのでアリマス。あんまりにもカワイソウだし、何より「いい女」だったんで、日本男児としては俺のプランケットってやつを差し出し「どぅー・ゆー・わな・ゆーず・でぃす?」と聞くと、「おぉう!さんきゅー・べりー・まっち!あいむ・そー・こーるど!さんきゅー!」みたいに礼を言われ。後は2人とも寝てしまったが、この一件で気を良くしたか、起きてからはおねーちゃんがいろいろ話し掛けてきて、カタコトの英語で会話。ブラジルに友人がいて、会いに行くそうな。まぁ、話の内容なんか覚えちゃいねーさ。ただ、きれいなねーちゃんがいた、それだけ。鼻の下のホクロがエロティックでアリマシタ。 

2004年12月7日(トロント時間)  トロントにてトランジット
 そーいや機内食ってやつも初。そんなにまずくはないが、量が問題。あれなら3〜4人分食えるが、実を縮ませるようなエコノミー席では胃袋も縮んだか、不思議なことに空腹と戦う必要はなかった。
 現地時刻の16:30頃、無事にトロント着。着陸前に配られた入国カードみたいのがよくわからんかったが、なんとか解読。記入後に一応スッチーに見せ、これで大丈夫か?って聞いたら、どーにか書けてたらしい。入国審査では、何か言われたら嫌なんで「あいむ・とらんじっと・ぱっせんじゃー・とぅー・さんぱうろ」(以後良く使ったので、「例の言葉」とする。)、一言だけ言っといた。無事に通過。
 して預り荷物受け取りレーンでは、かの有名な「ロストバゲージ」(もどき)を体験。ここはありったけの英語力を駆使して、係員らしきおっちゃんと初英会話。「エア・カナダ002便の荷物は、これで全部か?」「そうだ。」「俺の荷物の1つが、ロストバゲージだ。」「じゃあ、おまえはあそこのカウンターに行って話せ。」と。んで、カウンターに行く。いかつい兄ちゃんに、同じ事を話す。すると、「Bのレーンは見たか?あれもAC2便のだ。」「は?見てない。」「じゃあ、見て来い。」ってんで行ったら、あった。ちなみにそれは、うん・いんすとるーさおん・とらぢっしおなる・じゃぽねーすとして持ってきた「三線」。さっきの兄ちゃんの所へ行って、さんきゅーと礼を言い、サンパウロ行きのレーンへ持って行き、預ける。なお、着陸からここまでで1時間半ぐらいかかった。
 今回の初英会話で分かった事は、ポル語を一生懸命に覚えた結果、ただでさえロクに話せない英語が、より話せなくなっているってこと。口にする時、先に頭に浮かぶのはポル語の単語なのだ。「I=アイ」って言う時、「Eu=えう」って出そうになる。あと、英検5級でも、がんばればどーにかなる。
 (写真:トロント空港にあるエア・カナダのカウンター)
 荷物をサンパウロ行きに預けたんで、あとは搭乗開始まで3時間ちょっとヒマ。国外は初だし、トランジットってのはどーやったらいいのかわからんので、とりあえずエア・カナダのカウンターに行く。搭乗券を見せ、例の言葉と合わせて「俺はこのチケットをここでチェックしてもらうべきか?」と聞くと、「いいえ、この528ゲートに行けば良い。」とのこと。成田でチェックインした時の搭乗券を見たら席番号も決まってるし、さっきサンパウロ行き荷物を預けた時に528ゲートって書かれてるし、確かに何も必要なかったのかもしれないが、分からなきゃ聞いとけば確実だ。
 で、構内図を見て、528ゲートへ向かう。途中で警備らしきおっきゃんに止められ、「どこへ行くんだ?」と、怖い顔で聞かれる。搭乗券を見せ、例の言葉。「じゃあ、そこのセキュリティーチェックを受けなさい。」とのこと。ああ、そうだよね。また飛行機に乗るんだから、考えてみりゃ当然。
 セキュリティーで並んでると、係のおばちゃんが英語で話しかけてくる。よくわからんかったので、とりあえず搭乗券を見せて例の言葉。すると、行き先はブラジルだし俺の英語があまりにタドタドしいからか、「ふぁら・ぽるとぅげーず?(ポル語話すのか?)」と聞いてきた。「すぃん、うん・ぽうこ。(ええ、ちょっとだけ)」と答える。これが失敗だった。話せると言った途端、すげー勢いでポル語の指示(だろう)を喋り出す。いやまぁ、そのスピードが標準ポル語なんだろうが、こっちは「うん・ぽうこ」なんですよ。早すぎて聞き取れない・・・が、前の人らを見てると、やることは成田と一緒だと分かり、どーにか通過。これで分かったのは、話すのにちょいと考える(単語を転換する)必要があっても、早いスピードの場合なら英語の方が「聞き取り」はできるってこと。たった数ヶ月聞いた言葉と、10年も聞いた言葉じゃ、やっぱ違うんだろう。
 セキュリティーも通過したし、528ゲート行きの連絡バスに乗り、無事に到着。ちなみにトロントは、セキュリティー前の範囲は各所に喫煙所があったが、このゲート(ってか出発ターミナル)には1箇所しかない。軽食喫茶が用意した喫煙スペース。で、腹も減ったからその店でローストビーフサンドイッチみたいのを食って、コーヒー片手に喫煙所へ。したら、トロントまで隣の席だった外国人の兄ちゃんがいて、「よぅ、にーちゃん」と思いっきり日本語で話し掛けられてびっくり。何だよ日本語喋れんのかヨ・・・ブラジルから日本へ働きに出てたらしく、愛知でコンピュータ部品の工場にいて、4年ぶりに帰るんだとか。日本語とポル語を交えつつ、他愛もない話をする。後からまた別の外国人女性が来て、彼と話し出す(英語)。彼が、「俺はブラジル人で、あの男は日本人だ」みたいに紹介してくれると、女性は「ええ、一目見ただけで分かるわ」みたいに言う・・・さいですか。
 そんなこんなで彼ら2人が席を離れた後、今度は日本人らしき中年男性が「ライターありますか?」って聞いてくる。話してみると、この人は2世のブラジル人で、親の地元は長崎とのこと。家族で日本へ来て仕事してたが、肺の手術(ガンなのか何の病気なのかは不明)のためにブラジルへ帰るんだとか。手術費用がブラジルの方が安いってことだった。肺の病気だから、ほんとは吸っちゃいけないんだけどね・・・とか言ってた。やはり日本語とポル語を合わせて話すが、さっきの兄ちゃんより日系人の方が、ポル語を理解しやすいことが判明。「日本語なまり」があるからだろう。
 いろいろあったトロント・ピアソン空港だが、あとは無事に22:15発AC090便に乗り込み、サンパウロへ飛ぶ。 

2004年12月7日(日本時間)  成田発
 (1枚目:空港内 2枚目:エア・カナダ他国外航空会社のカウンター 3枚目:AC002便)

 9:10、ホテルの送迎バスで空港へ。手荷物は預けて「おのぼりさん」を始める。が、早すぎた。最初の2時間ぐらいは「へぇ〜」の連続だったが、あとは同じような店ばっかだってことに気がつき、昼メシ食ってからはあてもなくウロチョロ。禁煙パイポとかケースベルトとかサンパウロの地図とか買ったぐらいで、不審者状態。米ドルへ両替しよーかと思ったが(ブラジル通貨「ヘアウ」への両替は、米ドル⇒ヘアウって2回の手間がかかる)、やめた。ネット上でかなりの額をヘアウに両替済みだし、余らすと円に戻す時かなりムダらしいし。でも、ネットで全部両替したのは失敗だった。2回の手間は省けるにしても、改めて見るとレートが悪いし、せっかくだから両替ってのをやってみたかったし。まぁ、帰国時にやりゃいいや。・・・にしても、成田はタバコ吸う所が限られてて大変。
 14:30頃、エア・カナダの搭乗手続きが始まったんでカウンターへ。共同運航便っていうやつなのか、地上職員はANAの日本人ねーちゃんで助かった。ボディーチェックで手間取ったが、さっさと出国手続を済ませ、まだ入れなかった免税品エリアへ。マルメンが5Pで1100円とかで、タバコ税ってものを実感する。これもまた、おのおぼりさんには新鮮だったが、やっぱし同じは同じで飽きる。免税ブランド品とかにも興味ねぇし。結局、搭乗まではタバコの「吸い貯め」。
 出発は17:15が30分に遅れ、さらに遅れて18:30に出発。(つーか、どの時刻を出発って言うのか知らんが、17:30から1時間ぐらいは滑走路まで走ってるだけだった。)ちなみに、席は良かった。ビジネスクラスとの境にある壁を前にした席なんで、他のエコノミー席よりもゆったりできた。しかも通路側だし。で、日本語も(ある程度)出来る中国人らしきスッチーがいて、のーぷろぶれむ。ただし、後ろと横とその向こうを「子連れ」に囲まれたのが難点。日本時間の22時頃には寝ようと試みるも、うるさくて寝られん。何回かウトウトしたあと、液晶にトロント時間が表示されたんで、時計を合わせた後はどうにか寝られた。

2004年12月6日  成田まで
 出発時の山形は雨  他各地とも晴
 朝一で、アパートの「水抜き」をしてもらう。水道管には凍結防止の電熱線が巻いてあるが、電気代がムダ(熱モノは消費電力が大きい)なので止めるためだ。水抜きしないで電気だけ止めると、最悪の場合、配管だのボイラーだのが凍結して破裂する=弁償。しかし、実際に水抜き終わってから確認のため聞いたら、まずいらしい。しゃーないのでブレーカーは入れっぱなしで、それ以外は「待機電力」を食わないように全部引っこ抜き。
 駅まではファームのSさんに送ってもらい、11時前の赤湯発「つばさ」で東京へ。車内でポル語のダメ押しするつもりだったが、どうも落ち着かず(公共交通機関はかなり久しぶり)、ひたすらボケーっと外を眺め。栗子は雪が積もってた。東京に近づき、久々に住宅地・商業地の密集エリアを見るにつけ、「俺はここでは暮らせん」と改めて思う。ちなみに、コンクリってのは何でできてるんだろ?何も知らんから「石の仲間だろう」ぐらいにしか思えんが、あれだけ大量のコンクリが、どっから来てるかが気になってしょーがなかった。コンクリって、天然資源じゃなくて、工業的に作ってんのか?
 東京には13時半ごろ到着。到着後は昼メシ食おうと思って、1時間後の成田エクスプレスを予約していた。が、つばさの車内で食っちまったんで、結局1時間ムダ。することもないんで、なまった体を少しでも慣らそうと重いトランクをひきずり、いろんなエスカレーターを上がったり下がったりしていた・・・明らかに挙動不審&邪魔。
 んで、成田空港第2ビル到着。初成田で迷い、中央広場とかいう何もないところに出て、ちょっと泣きそうになる。通りがかりの警備のおっちゃんに聞いて、無事にホテル送迎バス乗り場へ。「動く歩道」も初めて見る。へぇー・・・典型的「おのぼりさん」である。
 そしてさっきホテルに着いたわけだが、あれこれ設定をいじっても部屋から接続できない!?フロントに聞いたら「4階にある数部屋しか接続できません」って・・・部屋チェンジは不可だと言われたが、持ち込み接続専用ブースを紹介され、そこからアップしている。「ホテルスカイコート成田」、もし宿泊して部屋から接続したい場合、その旨を先に連絡しましょう。
 明日は、早めに空港へ行ってウロチョロして「おのぼりさん」を満喫する。して出発は、17:15。ちなみに、エア・カナダのトロント経由サンパウロ行き。『外国で飛行機が〜♪落ちましたぁ〜♪乗客に日本人は〜♪いました〜♪いました〜♪』(イエモンの「JAM」より、一部改変)とかなったら、ぜひ笑っていただきたい。

2004年12月5日  地球の反対側へ
 クソ暴風雨
 とりあえず最後の準備「手土産」を買いに、道の駅へ。昨日、K先生らと寄った段階で絞り込んではいたが、改めて見るとどれも捨てがたく、結局全部買う。「玉こんにゃくギフトセット」とかいっても、単品でウジャウジャあるより、ちょっとづつ色々の方がおもろいだろうし。内訳は、緑茶、芋煮(レトルト)、漬物、青菜(せいさい、と読む)の干物、玉こんにゃく、ふ(麩)、以上。紅花とかもあったんで考えたが、俺は使ったことがなく、相手に説明できないんでやめた。んで結局、手土産でトランクの片面が埋まった。帰りは向こうの土産で埋まるだろう。
 午後は、荷物の最終チェックと情報収集。デジカメの充電池スペアが見あたらず、購入。あと、今まで知らなかったが、手荷物検査でライターもひっかかることがあるそうな。火でもつけられたらヤバイってのがあるんだろう。そーいや機内は禁煙だし・・・これが痛い。経由地のトロントまで12時間、そっからサンパウロまで10時間。まぁ、どっちも半分ぐらいは寝てることになるだろうが、パイポでもなけりゃやってられん。噛みタバコ買っときゃよかった。
 夜は「気合」のため、スキンヘッド化。
 明日は成田のホテルまで移動のみ。7日夕方の便だから、当日の移動でも十分間に合うんだが、事情により「金を使わなければならない」状況なのだ。
(辞書は格納済みだし、以後は実践のみなんで、ポル語版はおしまい。)

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 明日はホテルから更新するつもりだが、一応先に書いておこう。
 ブラジルから接続できれば問題ないが、1ヶ月以上更新がない場合、このHPはサーバーから削除される(規約による)。その場合、帰国後に再公開するつもりだが、おそらくURLは変わると思われる。
 奇特にして貴重な一部の「常連様」のため、消えた場合の移動先は、
 http://www.geocities.jp/life_cultivator/index.html (今は何もない)
 に、2005年2月9日前後にお知らせするので、よろしくお願いしたい。

2004年12月4日  接待&規模拡大?
 曇
 9時過ぎから、K先生とカミさんの接待。3月に「Dサイト」の使い方をレクチャーして以来である。まぁ、結局使わずに別ルートで見つけたらしいが。いろいろ話を聞く限り、波紋は大きそうだ。
 いろいろ回りつつ、自分のハウスだのファームのハウスだのを見て。イチゴハウス見てる間に、ファームの社長と話す。
 「来年、あっこしねが?」
 同期で研修したKさんが、来年はハウス借用を止めて自己建設ハウスへ引っ越す。そのため、ファーム所有のうち4棟のハウスが空くことになっている。今借りてる他に、そこもやる気はねーか、ということである。借りれば売上増は確実だ。しかし、それは「飛び地」なんで、管理が厄介になる。常勤パートも必要だろう。・・・即答できる事項じゃないんで、ブラジルから帰ってから返事することにした。
 夕方には白布温泉まで送って、接待完了。年度内には入籍する予定とのことだった。夜は、ブラジルの件で I さんが来て激励のお言葉を頂き。また、I さんに限らず各方面から「お餞別」を頂戴しており、非常に恐縮している。
(ポル語版)
 Depois nove horas, eu atendi contra o professorSr.K e esposa dele.E desde marco que eu ensinei ele do metodo de usar sobre ”D−site”.Mas, ele nao usou e encontrou outro metodo.Ouvindo conversa varias, acho que a ondulacao vai ser grande.
 Passei nos lugares varios, olhei minhas estufas e as possuidas por Farm.Durante nos olhamos estufa do morango, eu falei com o chefe de Farm.
 ”Proxima ano, voce nao quer usar ali?”
 Sr.K quem estudou comingo.Ele nao empresta estufas proxima ano, e usa estufas construidas por ele.Entao, quatro estufas possuidas por Farm ficam livras.Ou seja, e ”Acrecentando voce uso agora, voce quer usar ai?”.Se eu peco emprestado, e certo aumentar minha venda.Mas, ali e terra se separada, o controle vai ser dificil.Acho que preciso do biscate vindo todos os dias.・・・E uma pergunta nao sei responder logo, eu vou responder depois viagem no Brasil.
 Da tardinha, eu os enviei para Shirabu aguas termais, minha recepcao acabou.Ele disse que eles se casam ate proxima marco.Da noite, Sr.I veio para minha casa e recebi palavra encorajando sobre Brasil.A proposito, eu recebi ”おせんべつ” nao limitado para Sr.I, algumas pessoas.Eu agradeco muito.

2004年12月3日  未回収の債権はありません
 晴
 どーせやるんだし、まずはタイヤをスタッドレスに換装。終わってからは、売上の入金確認に行った。約42万円入ってて、今年の「債権」は回収完了。ハウス見たら、こないだの風でチューブの釣り紐が外れてたりしたんでちょこっと直して。
 午後は情報収集しつつ、手土産を何にしようか考える。日本、あるいは山形らしいもの。さらに、飛行機で持って行っても壊れないもの。「緑茶」とか、土産物屋で売ってる「芋煮のレトルトパック」とか、いろいろ考えた。実用的なものとしては、「あかすり」もいいんじゃないかと思った。サンパウロに東洋人街があるとはいえ、「あかすり」は売っていまい。
 明日は、K先生とカミさん(?)の接待。・・・「愛人」じゃないことは確かだ。
(ポル語版)
 Vou fazer isto em todo o caso, eu trocei os pineus para すたっどれす.Depois disso, eu fui confirmar a receita da venda.Entrou por volta de quarenta e dois mil ienes, eu recebi todos os さいけん do este ano.Passado nas estufas, as cordas penduradas os tubos desprenderam.Eu as corrigi.
 De parte da tarde, eu reuni informacaos e pensei como lembranca eu devo levar.As coisas tendo caracteristica do Japao ou Yamagata.E, as coisas nao quebram no aviao.Eu pensei sobre ”Cha verde” ,”いもに instantaneo” vendidos na loja da lembranca, e outra coisa.Achei que ”あかすり” e tambem bom como uma coisa uso pratico.E verdade que Sao paulo tem liberdade.Mas, talvez nao vende ”あかすり”.
 Amanha, eu faco recepcao do professor Sr.K e esposa(?) dele.・・・E certo que ela nunca e ”amante” dele.
(更新履歴)
 相互リンクのお話を頂いたので、リンク集に「ダイエットコム」を追記。

2004年12月2日  渡航準備
 曇
 っても、準備する物は決まっている。北海道の住み込みバイトを思い出し、それに準じた物をトランクに詰める。ブラジルだろうがどこだろうが、俺が農作業をして生活するために必要なものは同じである。作業ズボンがボロボロだったんで、その他も含めて買い物。後で思ったのは、「ブラジルで買った方が安かったかも」ってこと。
 それと、荷物の重さに制限がある(32kgまで)んで、「体重計」も買った。仕事で使ってるハカリは20kgまでしか量れんのだ。んで、もちろん自分の体重も量る・・・77kgなり。いやぁ太った。まぁ、どーせ夏に仕事すりゃ落ちる。ってか、ブラジルで落ちるべ。
(ポル語版)
 Apesar de, coisas preparando sao se decidindo.Eu lembrei do biscate em Hokkaido morando, e enchi coisas iguais com isso na mala.No Brasil ou qualquer lugar, o artigo indispensavel para meu trabalho da agricultura e minha vida e igual.Os calcas foram trapos, eu os comprei e tambem comprei outra coisas.Depois das compras, achei que e mais barato no Brasil.
 E, eu comprei ”a balanca do peso”.Porque tem limitacao sobre peso de bagagem(ate trinta e dois quilogramas).Mas,minha balanca usando para trabalho sabe pesar somente ate vinte quilogramas.Naturalmente, eu pesei minha peso・・・foi setenta e sete quilogramas.Ah, engordei.Mas, o peso vai baixar se eu trabalho no verao.Ou, vai baixar no Brasil
(更新履歴)
 リンク集ページに、お世話になっている農家「石塚農園」へのリンクを追記。 

2004年12月1日  出発式
 曇一時晴一時雨
 予定通り県庁へ。知事が出てきて、ブラジル行くに当たっての抱負みたいのを語れと言われ。「開拓精神」を体得したいと思いますとか、無難な(いや本音でもあるが)路線で答えといた。知事からは「独身ですか?」とか質問されたんで、「いい人がありましたら、ぜひご紹介ください」って、ちゃんと忘れずに売り込んだ。
 午後からは具体的日程の説明があり、やっと詳細が判明した。んで、現地研修は12日から始まるとのこと。
 夜は、各ISPのローミング料金を比べた。今使ってるYahoo!BBでもローミングできるが、サン・ゴタルド近くのAPがない&1分当りの接続料金が高いのだ。最終的に、近くにAPが3箇所ある&料金が安いSo−netと契約した。ただし、約50km離れて「近い」うちに入る。
 明日からは、ぼちぼち準備を始める。
(ポル語版)
 Igualmente com plano, eu fui para reparticao publida de provincia.O governador disse para mim falar sobre aspiracao de visita no Brasil.Eu disse resposta sem perigo(e tambem verdadeira) que ”Eu quero estudar espirito explorando”.E ele perguntou para mim ”Voce e solteiro?”.Eu respondi e pus a venda sem esquecimento ”Se voce conhece algumas mulheres bonitas, me informa sem falta.”
 De parte da tarde, ouvi instrucao da programacao concreta, finalmente eu soube detalhes.E, estagio na local vai comecar depois no dia doze.
 De noite, eu comparei o preco de ろーみんぐ de cada ISP.Yahoo!BB que eu uso agora pode fazer ろーみんぐ, mas ele nao tem AP perto de Sao Gotardo e o preco da conexao por um minuto e caro.Em fim, eu assinei um contrato com So−net que tem tres APs perto de Sao Gotardo e o preco e mais barato.Porem, a distancia por volta cinquenta quilometros e contido ”perto”.
 Depois amanha, eu comeco a preparar.


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