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●まずは面白いものを

3つのトマトが合体した奇形。
自然にこういうのもできます。
合成にあらず。

●農家になった理由−「形」か「大きさ」か(別にヤラシイ意味はないです)

・・・さて。

 「農家になった理由」ということですが、実はいろんな背景があったことに気がついてしまい、それらをまとめようとしたら抽象的な表現になってしまいました。
どうにか具体的な表現ができるように、ネット上の事を使って下手なたとえ話をさせていただきましょう。


@まず、あなたはHPを公開したいのだけれど、今のところHTMLタグの知識が全くないとします。
A世の中に「HP作成ソフト」はあるけど、一部のサーバーが持っているだけで、売られてはいないしフリーでも存在しないとします。
B利用するサーバーとして、「自宅PC」はありえないとします。
Cサーバーの引越しは可能でも、引越し後は元のHPを使えず、また白紙から作る必要があるとします。(なお、元のHPを作る上でタグの知識を得たとしても、サーバーを引っ越したらあなたはそれを全て忘れることにします。)

 そういう極端な前提としましょう。

 その前提のもと、以下の2条件から二者択一的に選ぶしかない場合、あなたはどちらのサーバーを選んでHPを公開するでしょうか?(料金や広告表示などは同じと見なして考慮しません。)

A:「容量制限があります。あなたの公開したい細々したものまで全てを載せると、容量オーバーになります。ただし、このサーバーの利用者は、サーバーが所有するHP作成ソフトを使う権利を得ることができます。また、セキュリティーはサーバーが保証します。サーバーが落ちる事も滅多になく、安定しています。」

B:「容量無制限です。あなたの公開したい事をいくらでも載せることができます。ただし、ソフトはないので、自分でタグを勉強したり、素材を集めてください。セキュリティー対策も、全部自分でしてください。サーバーは、状況次第で結構落ちます。」

 ある人は「A」を取ると思います。タグを勉強しなくても、ソフトの機能を使って簡単にHPの形を作れるからでしょう。それに、苦労して素材を集めてこなくてもある程度の素材はソフトに標準で付いてきます。見た目の画面レイアウトをキレイにできれば、それを見る人には良い印象を与えるでしょう。そして、大抵のセキュリティー対策はサーバーが用意しているので、自分で何もしなくても安心です。自分の作ったHPが突然見られなくなる心配もありません。

 ただ、いくら簡単にキレイなHPを作れても容量に制限があります。もっと公開したい内容があっても、ガマンするしかないでしょう。無制限サーバーに引っ越してもいいですが、今度はタグだけで白紙から作る必要があるわけです。

 「B」を選ぶ人もいるでしょう。容量無制限ということで、HPのサイズを気にすることがありません。つまり、容量の制限がなければ、好きな事を好きなように好きなだけ公開できるHPを作れるからでしょう。

 ただ、いくら公開したくても、まずはタグを勉強しなければなりません。レイアウト用の素材なども、かき集めるとか作るしかないでしょう。そうして、がんばって完成・公開したにせよ、ソフトほど簡単にキレイに形を整える事は初心者だと結構難しいのではと思います。見る人は、レイアウトが変だと思うかもしれません。最悪、タグが全く理解できなければHP自体が作れません。それに、ネット上のセキュリティー対策も自分でやらなくてはならないのです。しかも、いつHPが見られなくなるか分かりません。

 まぁ、容量とかソフトについての話はここまでにしましょう。なお、俺はAに近い条件でHPを公開していて「今のところ」文句はありません。

 この例え話をふまえて、農家になった「抽象的理由」を答えるなら、生き方として「大きさ」とか「無制限」にこだわったから、だと言えます。そのままだったら、おそらくHPなんて面倒だから「形」にしなかったと思います。

 しかし、生き方の「形」を考えさせられる出来事がありました。2003年9月に、高校時代の友人が急逝したのです。そこで「死」というものを考えるうち、それまで少しも止まらずに突っ走ってきた自分の人生について、初めて立ち止まって振り返りました。そして、いつ訪れるかわからない「死」の前に、自分の「形」を残したいと考え「自伝」というものを書きました。


 「初めて立ち止まり」、自伝の中で自分を見つめなおしていくと、俺の中には「始まり」と「終わり」、そして「2度目の始まり」があることに気がつきました。今存在する自分の「背景」、これを初めて目にしたこと、それが「形を作ろうと思ったきっかけ」です。

 少し話がそれますが、それなりに作りこんだ農家のHPを見たことがあるでしょうか?代々続く農家だと、「我が家の歴史」のように、先祖の時代からさかのぼって、その土地でどうやって農業を営んできたかという背景を、古い写真等を交えて紹介するページを作ることができます。

 それは「背景」という文字通り、HPで言えば「壁紙」にあたるわけです。普段は、HPの壁紙なんてそんなに気にしないでしょう。ところが、背景が真っ白のHPというのは、おそらく見ていて落ち着かないはずです。代々農家である人なら、人が落ち着いて見られるように、つまりは「納得できるように」、「壁紙」を用意できるのです。

 一方俺の場合は、農家として「初代」(末代でもあるのか?)に当るわけで、そういう背景は何もないわけです。だから「どんな経緯があって、そこで農家をやっているのか」という部分の「壁紙」は、「自分の歴史」という形でしか表せないのです。

 よって、俺自身という存在をHPに例えた場合「背景が真っ白なままでは落ち着かないだろう」という考えのもと、「大きさにこだわりつつも、ある程度は形を整えて」「壁紙」をつけるに至ったわけです。その壁紙の全容は「自伝」になるわけですが、それは見る人にとって「容量オーバー」になるでしょう(既に、ですか?)。

 そこで、以下に挙げるような「流れ」として、あらすじをまとめてみたわけです。これだけでも「俺自身」というHPの壁紙は「真っ白」ではなくなることでしょう。

 「農家になった理由」を聞かれた場合、今までは「北海道の農場で住み込みバイトして農業に興味を持って、それから・・・」なんて答えてきました。もし、先に書いた「きっかけ」がなければ、ここにもそうやって書いたことでしょう。

 でも、それは端的な理由であって、以下に示した流れこそ、俺が農家になった「本当の理由」「大きさにこだわるに至った流れ」なのです。農家での住み込みバイトは、無軌道な流れに方向性を与えた、やはり「きっかけ」だったということです。そのきっかけがたまたま農業だったので、今こうして「農家」という場所に「流れ着いた」と思っています。ここで流れは「終わり」なのか、それとも「通過点」なのか、今はわかりませんが・・・ここらでやめましょう。


●農家になるまでの沿革−あるいは「農業者三田耕生」という製品の製造ライン−

※当時の俺に関わった方々へ
 俺に対する評価・判断の是非を指摘するなどといった、たいそうな意図はありません。あくまでも、過去を見つめなおす中で出てきた「自分なりの」結論です。

※さらに追記
 だからといって、かつて俺がやらかした事の「言い訳」にするつもりもありません。

幼少期  俺の印象では厳しい両親のもとで育つ。実際、今になって過去を振り返ると怒られた記憶の方が圧倒的に多い。(楽しんだ記憶もあるだろうが、思い出せない。)
 そういう理由かどうか分からないが「現在から逆算すると」この段階の精神年齢は既に小学生レベルかそれ以上あったと思う。
例)「ぼくは、なんでいきてるのかわからない。」←3歳当時に俺が言ったらしい。

小学校  厳しい教育は続く。自分を抑えて、怒られないように生きるようになる。精神年齢は、肉体年齢よりどんどん上を行っていたと思われる。
例)「すごく大人しいお子さんですねぇ」←周りの大人たちの言葉らしい。
 4年生でバレー部に入るも、試合では負け続け。
 家でもバレーでも、もはや悔しいと思わなくなる。着々と老けていった精神年齢によって「耐えること」「負けること」を当たり前として生きていたと思う。

中学校  父は、中学校の美術教師だった。しかも、俺が入学する中学校で、入学前年度まで生徒指導をしていた。(俺の入学と同時に、定年前だったが父は教師を辞職。以後は画家として今に至る。)
 生徒指導だった父が残した、学校内の「遺産」を「相続」する。「遺産」に由来して「自分は直接関係のないことで」理不尽な攻撃などを受け続ける。それに「耐え」るように、全てに関して極端に自分を殺して生きる。実際、行動や発言に中学生らしい活発さがほとんど見られなかった。
例)「お前はつきあいが悪い。」←当時の友人から言われた言葉

 精神年齢では老年期に入り、すぐに「精神上の死亡」に至ったと思われる。つまり「表面上は」ほとんど無感動・無反応になった。周りから見れば、おとなしい「良い生徒」だったと思われる。
 でも、それに納得していたわけではなく、どこかで耐えられなくなる。そして、遺産を残したオヤジに対し「裏側で」「バレないように」隠れて密かに反抗する。反抗内容は、自分が本当にやりたいことでなくても良かった。隠れて反抗できること、それ自体が楽しかった。つまり、本当の楽しみ「自分自身の楽しみ」を知らない。
 いずれにせよ、圧倒的に多い「耐え」「負け」の記憶ばかりが蓄積していく。

高校1年  中学校を離れることで、理不尽な攻撃が終結。同時に、反抗する動機も特になくなる。それでも「表面の自分を殺して、隠れて反抗して楽しむ」という老けた生き方しか知らない。どう生きたら良いかわからず、とりあえず周りのマネをして大学進学のための勉強をしてみる。しかし、中学校までの生き方も尾を引いていて、たどたどしい中途半端なマネ。
 とはいえ、高校入学を契機に「精神の死亡状態」から「生まれ変わり」を果たしたと思われる。逆に、精神年齢上は、「赤ん坊」からやりなおし。マネをしていたことからも、精神は赤ん坊に近かったと言える。ただし、「前世」に相当する老人精神も混在するので、2回目ではなく「1.5回目」とでも言うべき、不安定にして純粋ではない赤ん坊精神。

高校2年  マキヲさん、K先生、演劇部との出会い。これにより、精神は赤ん坊から「幼稚園児」に成長したと考えられ、生まれ変わり後の精神がハッキリと出てくるようになる。ただし、過去に死んでいるとは言っても、肉体も脳ミソも死んではいないから「幼稚園児精神」の裏には「老人精神」が消えずに残る。
 演劇部では音響担当になる。自分が好きになった事を、隠れずに堂々とできる楽しみを知る。子供の精神が強いので、ひたすら熱中する。ほかに演出助手も担当して、自分を殺さず意見することを覚える。
 しかし「自分自身も含めて役者のみんなも初心者」「よって俺の演出に大きな反対はほとんどありえない」という特殊状況を認識できないまま、自分の意見通りに演出が進むと「思い込み」自信過剰に。「しつけ」を受けない幼稚園児として、精神は成長を続ける。
 一方、「耐えて」「負けて」きた「前世の後悔」も消えない。演劇部に入って「自立」を始めた子供精神は、それに押されたこともあり、執拗に「勝ち」を求めたと思われる。
 ところが、演劇県大会の音響操作で大失敗。「理不尽な原因」ではなく、自分が原因となる大きな悔しさを初めて味わう。自分の手で「負け」てしまったことで「後悔を残した老人精神」がさらに強く出てくるようになったと考えられる。そのためか「準備さえちゃんとしていれば俺自身に間違いはなかった」と、結論付ける。
 生まれ変わったことが嬉しくて、「一人勝ち」を求めてもいいが「土俵」が違うことに全く気づいていなかった。そんな誤解をしてるとは認識できない「不安定な子供精神」まま、肉体は高校生として生きていく。

高校3年  「見た目では」一生懸命仕事をすることが評価されたようで、文化祭の実行委員長に選ばれる。誤解した精神のままで組織運営。県大会の失敗ほか「前世」で経験した「負け」「悔しさ」も帳消しにと企む「不可解な幼稚園児」の精神が一人歩きを始める。
 実際、文化祭の仕事を一人で数多くこなそうとした。組織活動はみんなでという原則を無視、ほぼ自分だけで仕事を進める。「一発逆転一人勝ち」の文化祭を狙っていたと考えられる。「原則を無視している」認識はなかった。
例)「今年の文化祭は、俺の、俺による、俺のための文化祭みたいなもんです」←委員会召集時に俺が本気で吐いた、マンガみたいなセリフ。一悶着を起こす。
 結局、全部の仕事は処理できす周りに手伝ってもらう。しかし、どこかでそれをジャマと思う。「一人でやりたかったのに手伝いが入っては不完全燃焼だ」と悔いを残したと考えられる。


 いろいろ問題はあるが、高校3年間で俺は確かに「生まれ変わった」と思う。
例)「三田くん変わったねぇ。前より話しかけやすくなった。」←高校卒業前、中学校の同窓会で3年ぶりに会った同級生から言われた言葉。

大学1年  高校文化祭の悔いを学園祭で燃やそうと思ったか、大学の学園祭実行委員会へ入る。精神年齢は、第1.5回小学校低学年レベルだったと考えられる。
 一方、演劇での「誤解した反省」は生きていたらしい。1年目は「本番(翌年の学園祭)で失敗しないための十分な準備」と見なしたようで、仕事を全部把握しようと普通の人より激しく動き回っていた。見た目はたぶん「単純な子供」で、まだ素直。
 それでも、最後の頃には暴発して、人様にも迷惑をかける。しかし、暴発してもまだ自分が子供だと気がつかない。

大学2年  仕事を全部一人でするのは不可能と悟ったらしく、子供らしい単純さが消え始める。それに変わって「自分の色に染める」という形での一人勝ちを狙う。実際、いろいろ画策した。それでも組織が染まらないことに対し、いらだちを感じた。
 その後、後輩の世話を通じて「人や組織はどうやっても染められない」ことを何となく認識したと考えられる。とはいえ、一人勝ちを実現したい思いが強烈で、組織に合うような「大人」になることはなかった。
 肉体が会社という組織に入る前に「子供らしく思いっきり動き回りたい」と精神が望んだらしく、学生時代にしかできないバイトを探す。
 北海道の農場バイトで、農業に出会う。作物は、自分が関わったことに対して確実に成果「勝ち」を感じさせてくれる、というように精神が理解したと思われる。
 農業はいいなと思うが、農家の息子でない自分は農家になるはずがないと思っていた。そのため、「農協」など農業に関係する職につきたいと考えるようになった。

大学3年  農家の息子でなくても、条件が揃えば農家になれる事を知る。でも、金が無いとムリということで、とりあえずは就職して金ができてから「独立はまた後で考えよう」とする。農業と関係する職に絞って考えるも、どういう会社・仕事内容を選ぶべきか悩む。
 同時に、なんとか「卒業してすぐ独立して農家」になりたいと、どこかで思い始める。
 いずれにせよ、場所は北海道を考える。
 大学では、また別の委員会で燃えて、こりずに大きな一人勝ちを考える。しかし「俺のやりたいことは組織に合わない」という所まで認識が進んだと思われる。実際、組織活動に対する自分の気持ちが変化していることに気がついた。(周りから見れば「振り切れるほどの高熱」が「超高熱」に下がった程度かもしれないが。)

大学4年  大学での委員会活動は全て引退。「超高熱」は「高熱」まで低下したらしく、組織でむやみに燃えようとする思いはなくなった。精神年齢はおそらく、第1.5回小学校高学年レベル。一方、制限されずに燃えたいという思いは絶対に消えない。
 「二度と死にたくない」と老人精神が思ったか、会社という「燃焼を制限される」組織への就職はしないことを決める。卒業後すぐに農家となるにはどうしたらいいか、考え始める。借金など、それなりに覚悟を決める。
 畑作・稲作・施設園芸とやってきた農家バイトの経験から、いろいろある農業の形態の内、施設園芸農業に絞り込む。
 一方、場所が北海道である必要性はなく、単なる憧れだったと切り捨てて考える。
 「大きな借金をしなくても、土地・ハウス・機械をセットで貸す」という、山形のフレッシュファームと出会う。全部セットという条件は他になかったので、いいと思う。
 その反面、北海道の次は、売り先を考えて長野を重視していたので、悩む。
 最終的に9月には、フレッシュファームに行く事を決める。技術研修となる1年間だけは、妥協してサラリーマンをすることになる。

で、  こんな具合の「製造ライン」をたどり、今「農業者としての俺」がいます。ここまで読まれた方ならお分かりの通り、この製品の「主原料」は次の通りです。

@過去に耐えて負け続けた、マイナス記憶
Aそれをプラスにしようと激しく燃える、勝ちへ意思

 この2つの主原料に対し、「強烈な燃焼を可能にする制限のない環境」として、たまたま農業という「金型」があてがわれ「農業者としての俺」が完成したと言えます。

 ちなみに現在の俺の精神年齢は「第1.5回中学生レベル」と考えられ、その裏にはやはり、肉体年齢で中学期に経験した「老人精神」があると思っています。
 「俺個人」という視点で見てもそうかもしれませんが、これまでの流れで見ると「躁鬱病的」人生パターンだと言えます。
つまり、中学校卒業までが「欝」、それ以後が「躁」に当るわけです。川で言えば、穏やかな下流から激しい上流へ向かって、「逆流」しているとも言えます。

 自己紹介の内容をみて疑問に思った方もいるかと思いますが、俺が基本的に「終わりの無いこと」「果ての無いこと」を気にせず動き続けたいと思えるのは、現在の肉体を支配する主な精神が子供で、かつ裏側には「後悔を残したまま死にたくない」と願う前世の精神もあるからだと思います。というのは、次に来る「死」はおそらく「肉体的な死」も伴うでしょうから、そこまでに好き放題やっておかないと、また後悔を残すことになると、どこかで思っているのでしょう。

 その一方、正直どこか頭の隅っこで「終わり」を求めているのは、中学校で「精神的な死」を経験し、「また生まれ変わってやり直せる」「死という終わりの先にもっと楽しいことが待っている」と、若干期待しているからだと思います。(まぁ、次に死ぬことがあれば再び生まれ変わる事はたぶんないのですが。)

 あ、別に宗教とかの影響はないです。ただ、「初めて」過去を冷静に振り返って、勝手にそう思い至っただけのことです。それに、精神分析や心理学なども専門に学んだわけじゃないので、主観的な自己分析として放っておいてください。



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